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稲垣 昭義(いながき あきよし、1972年6月10日 - )… 稲垣 昭義(いながき あきよし、1972年6月10日 - )は、日本の政治家。新政みえ所属の三重県議会議員(6期)。三重県議会第114代議長、三重県議会第115代副議長。 1972年6月10日、三重県四日市市東坂部町生まれ。大池中学校・四日市高校・立教大学法学部卒業。立教大学在学中、早稲田大学の政治サークル鵬志会にて活動。 1995年4月、株式会社三重銀行入行。1998年8月、同行退社。 2003年4月、三重県議会議員選挙で、当時30歳最年少で当選。 2016年11月に行われた四日市市長選挙に民進党推薦で出馬するが、2087票差で森智広に敗れる。四日市は民進党の代表を務めたこともある岡田克也の地元であり、国政選挙区とあって、岡田が支援する旧民主-民進系の市政が20年間続いていたが、これが途絶えることとなった。
田中 俊行(たなか としゆき、1951年(昭和26年)10月… 田中 俊行(たなか としゆき、1951年(昭和26年)10月27日 - )は、三重県の政治家。第16代四日市市長。 尊敬する人物は宮本武蔵。好きな食べ物はカレーライス。愛読書は夏目漱石のこころ。趣味は楠町立楠中学校時代の四日市市と三重郡の三泗地区大会で優勝したテニス。カラオケ。絵画鑑賞。映画鑑賞。東京大学卒業の高学歴である事から四日市市議会議員で自身の支持者から逆学歴差別をされて三重県議会議員など上級の議員と公職を目指した。四日市市のホームページに四日市市長のページとして、「トッキーのおもしろ情報」という新コーナーを設けた。ブログ形式であり、「トッキー」とは女性支援者が田中俊行市長につけたニックネームである[要出典]。
平田 耕一(ひらた こういち、1948年(昭和23年)11月… 平田 耕一(ひらた こういち、1948年(昭和23年)11月9日 - )は、日本の政治家、実業家。財務副大臣(福田康夫改造内閣・麻生内閣)、経済産業大臣政務官(第2次小泉改造内閣・第3次小泉内閣)、衆議院議員(2期)、参議院議員(1期)を歴任。 四日市市天ヶ須賀(富洲原地区住吉町)生まれ。実業家だった父の方針で、特別教育を受けるために公立の四日市市立富洲原小学校ではなく私立小学校(暁学園)の暁小学校、暁中学校で学び、三重県立四日市高等学校を経て、慶應義塾大学経済学部を卒業[要出典]。 石膏ボードメーカーの千代田建材工業に入社して、1988年(昭和63年)から1995年(平成7年)まで同社の社長を務める。
井上 哲夫(いのうえ てつお、1938年(昭和13年)7月1… 井上 哲夫(いのうえ てつお、1938年(昭和13年)7月12日 - 2019年(平成31年)2月21日)は、日本の政治家。三重県出身で、参議院議員(1期、三重県選挙区)、第15代四日市市長(3期)を務めた。 三重県四日市市海蔵地区生まれ。三重県立四日市高等学校、名古屋大学法学部卒業。 民間企業で働きながら司法試験に26歳で合格。司法修習20期を経て、弁護士登録。司法修習の同期には高村正彦(元外務大臣)、江田五月(参議院議長)、横路孝弘(衆議院議長)、神崎武法(元公明党代表)、松尾邦弘(元検事総長)らがいる。四日市市ぜんそく公害訴訟の原告弁護団の一員を務める。 その後三重県弁護士会会長も務める。
山本 幸雄(やまもと さちお、1911年〈明治44年〉2月2… 山本 幸雄(やまもと さちお、1911年〈明治44年〉2月26日 - 2007年〈平成19年〉2月6日)は、日本の政治家、内務・建設官僚。位階は従三位。 衆議院議員(7期)。自治大臣(第32代)、国家公安委員会委員長(第41代)を歴任した。 現在の三重県桑名市に生まれる。旧制富田中学、松本高等学校文科甲類を経て1933年(昭和8年)に東京帝国大学法学部政治科に入学。在学中に高等文官試験行政科に合格し、1936年、大学卒業。 1936年、内務省に入省する(同期に山田正雄陸上幕僚長)。入省後、愛媛県で別子銅山の公害調査、富山県で内務省高等官として都市計画等の地方行政に携わる。終戦後の1946年、当時内務政務次官であった世耕弘一の下、経済警察の立場で隠退蔵物資摘発に携わった後、神奈川県国家地方警察隊長、国家地方警察本部人事課長、防衛庁人事局長、警察庁長官官房長、大阪府警察本部長、建設省官房長を務め、建設事務次官を最後に退官。
田中 覚(たなか さとる、1909年(明治42年)12月15… 田中 覚(たなか さとる、1909年(明治42年)12月15日 - 2002年(平成14年)8月10日)は、日本の政治家で、三重県知事(5期)、衆議院議員(1期)を務めた。三重県四日市市塩浜地区出身。学歴は東京帝国大学卒業である。元四日市市長の加藤寛嗣は従兄弟である。1944年(昭和19年)佐藤喜代子と結婚して、2女をもうける。喜代子と死別後の1975年(昭和50年)には元総理大臣三木武夫の妻睦子の妹である三重子と再婚した。元衆議院議員の松崎哲久は義理の息子、映画監督として人気のあった藤田敏八は甥(姉の子)である。 1909年(明治42年)12月15日、三重県四日市市蔵町の母の実家で生まれる。塩浜尋常小学校、塩浜高等小学校、三重県立第二中学校(現・四日市高校)から東京府立第五中学校(現・小石川高校)へ転校して、第八高等学校 (旧制)を経て東京帝国大学農学部農業経済学科を卒業した。
片岡 恒一(かたおか つねかず、1896年(明治29年)4月… 片岡 恒一(かたおか つねかず、1896年(明治29年)4月19日 - 1952年(昭和27年)4月7日)は、三重県三重郡富洲原町(現在の四日市市富洲原地区)富田一色出身の政治家。衆議院議員(2期)。地方議員(三重県会議員・四日市市会議員)。三重郡富洲原町の教育者。 1896年(明治29年)4月19日、三重県三重郡富洲原町(現・四日市市)に生まれる。富田一色地区の三重県下の富豪で名門の商家であった片岡家(有力者の片岡徳松の一粒種の子供)の一人っ子であった。金持ちの1人息子でボンボンと呼ばれて、片岡氏は北勢四十八家の1つで堺村城主だった片岡家の一族である。型破りの人物で、親譲りの監元買別所(四日市市に立地)と、米穀取引所仲買店(名古屋市に立地)と、回漕店(三重郡富洲原町に立地)を切廻して一分の隙もなかった。