スポーツ選手、俳優、学者、実業家、芸能人など各界で活躍する人物情報に加え、外の言語(多言語)で紹介されている内容や、その人物にゆかりのある地の観光資源データを集めました。
川端 千都(かわばた かずと、1995年12月20日 - )… 川端 千都(かわばた かずと、1995年12月20日 - )は、京都府舞鶴市出身の陸上競技選手。専門は長距離種目、駅伝。 京都府立綾部高等学校、東海大学体育学部卒業。コニカミノルタ陸上競技部を経て、現在はSGホールディングスグループ陸上競技部に所属。 小学校時代は野球チームに所属していた。舞鶴市立若浦中学校では陸上部に入るもきちんとした活動をせずにいたが、3年時に「思い出作り」として出場した駅伝大会で2位に入ったことで、綾部高校の陸上部監督から勧誘を受けて進学した。 高校2年時のインターハイでは3000mSCで2位入賞。3年時は5000mで8位入賞を果たす。第19回都道府県対抗駅伝では1区でトップと3秒差の区間3位と好走。
久馬 悠(きゅうま はるか、1993年12月20日 - )は… 久馬 悠(きゅうま はるか、1993年12月20日 - )は、京都府綾部市出身の陸上競技選手。専門は5000mと10000m。一卵性双生児の姉であり、妹の萌と合わせて久馬姉妹と呼ばれている。 小学校時代に綾部市の駅伝大会に出場したのを、地元中学の陸上部顧問が見てスカウトされたことから、本格的に陸上競技を始めた。綾部中学校2年時の2008年1月、初めて姉妹同時に全国都道府県対抗女子駅伝競走大会(全国女子駅伝)京都府代表に抜擢される。中学校3年時の同年8月21日、新潟スタジアム(東北電力ビッグスワンスタジアム)で行われた第35回全日本中学校陸上競技選手権大会女子1500mに出場、3位入賞を果たす。この時、萌は優勝し、大会新記録を出している。
久馬 萌(きゅうま もえ、1993年12月20日 - )は、… 久馬 萌(きゅうま もえ、1993年12月20日 - )は、京都府綾部市出身の陸上競技選手。専門は5000mと10000m。一卵性双生児の妹であり、姉の悠と合わせて久馬姉妹と呼ばれている。 小学校時代に綾部市の駅伝大会に出場したのを、地元中学の陸上部顧問が見てスカウトされたことから、本格的に陸上競技を始めた。2008年、綾部市立綾部中学校2年生で初めて姉妹同時に全国都道府県対抗女子駅伝競走大会京都府代表に抜擢される。同年8月21日に新潟スタジアム(東北電力ビッグスワンスタジアム)で行われた第35回全日本中学校陸上競技選手権大会女子1500mに出場、大会新記録で優勝を果たす。この時、悠は3位に入賞している。
杉山 晃紀(すぎやま あきのり、1990年11月1日 - )… 杉山 晃紀(すぎやま あきのり、1990年11月1日 - )は、京都府綾部市出身の元プロ野球選手(投手)。右投両打。プロでは育成選手であった。現在はプロのダーツプレイヤーや、俳優として活動。 綾部市立中筋小学校2年時に、地元の中筋ジャガーズで野球を始める。最初は内野手で、後に捕手に転向。 綾部市立綾部中学校では、ボーイズリーグの綾部パワーズに入団。2年時に外野手から投手に転向。 綾部高では、1年秋から右翼手兼控え投手。2年春から投手に専念し、秋からはエースとして活躍した。3年夏は、京都府予選の初戦で洛星高に敗退。甲子園出場経験はなかった。 2008年10月30日、プロ野球ドラフト会議において読売ジャイアンツから育成ドラフト1巡目で指名され、11月18日に支度金200万円、年俸240万円で仮契約。
四方 源太郎(しかた げんたろう、1974年3月7日 - )… 四方 源太郎(しかた げんたろう、1974年3月7日 - )は、日本の政治家。京都府綾部市長(1期)。元京都府議会議員(4期)。元綾部市長、元京都府議会議員の四方八洲男は父。元毎日新聞社学生新聞本部長、元サンデー毎日編集長の四方洋は伯父。 愛知県名古屋市生まれ。4歳の時に京都府綾部市に転居し、以後は同市で育つ。綾部小学校、綾部中学校、綾部高校、三重大学人文学部卒業。1996年4月、株式会社ジェイアールアイ(企画会社)に入社し東京都で勤務。その後綾部市にUターンし、1998年3月より株式会社両丹経済新聞社(現・北近畿経済新聞)で記者を、1999年9月より有限会社両丹企画(印刷会社)で業務責任者を務める。
相根 澄(さがね きよし、1973年10月4日 - )は、京… 相根 澄(さがね きよし、1973年10月4日 - )は、京都府綾部市出身の元フットサル選手、元サッカー選手、フットサル指導者。 綾部サッカースポーツ少年団 (現:綾部フリーゲンフースバルクラブ)でサッカーを始めて、京都府立綾部高等学校に入学。卒業後は京都紫光クラブ(現:京都サンガF.C.)、ヴァンフォーレ甲府などでプレーし、後にフットサルに転向した。 フットサル転向後1999年にフットサル日本代表入り。2002年から2004年にかけてAFCフットサル選手権で3年連続準優勝した際のメンバーでもある。その後イタリア等で長くプレーした後、2007年に発足した日本フットサルリーグ(Fリーグ)の立ち上げに関与し、自らもASVペスカドーラ町田に加入して選手としてプレーするが、同年限りで現役を引退した。
瀧本 智行(たきもと ともゆき、1966年10月23日 - … 瀧本 智行(たきもと ともゆき、1966年10月23日 - )は、日本の映画監督、脚本家。京都府綾部市出身。 京都府立綾部高等学校卒業。早稲田大学政治経済学部に在学中から自主映画や演劇活動に没頭。1993年頃からフリーの助監督として様々な作品に参加。TVドラマの脚本やプロットプランナーとしての仕事も手掛ける。映画『樹の海』で監督デビュー。
門 智昭(かど ともあき、1966年10月16日 - 202… 門 智昭(かど ともあき、1966年10月16日 - 2021年11月3日)は、日本の男性アニメーター、キャラクターデザイナー、アニメ演出家。 1966年10月16日、京都府綾部市位田町岡倉に生まれた。綾部市立豊里小学校、綾部市立豊里中学校、京都府立綾部高等学校を卒業後、東京の専門学校でアニメーションを学び、アニメーターとして活動を始めた。その後は作画監督として『地獄少女』シリーズや『ジョジョの奇妙な冒険』シリーズと言った多数の作品に参加した。2020年10月16日には大腸癌からの肝臓転移が判明したが、門の妻によれば、本人が早期の仕事復帰を希望したため手術は行わず、抗がん剤による治療を続けていたという。
屋敷 豪太(やしき ごうた、1962年2月26日 - )は、… 屋敷 豪太(やしき ごうた、1962年2月26日 - )は、日本のミュージシャン、ドラマー、音楽プロデューサーである。京都府綾部市出身。 京都府立綾部高等学校卒業後に上京。 1982年、こだま和文らとミュート・ビートを結成。 1986年、MELONに加入し、ヨーロッパ公演を行った。 1987年、中西俊夫、藤原ヒロシらとダンスミュージックを中心としたレコードレーベル「Major Force」を設立した。 1988年に渡英。1989年にソウル・II・ソウルでプログラミング等を担当したシングル「Keep on Movin'」が、全英チャート5位を記録、続いてリリースされたシングル「Back to Life」は、全英チャート1位(Music Week)、全米チャート4位(ビルボードHot100)を記録した。
四方 幸子(しかた ゆきこ、1958年11月3日 - )は、… 四方 幸子(しかた ゆきこ、1958年11月3日 - )は、日本のキュレーター、批評家。メディアアート、現代美術、20世紀美術を主な対象とし、情報技術・自然環境・社会・精神の相互作用に着目したキュレーションと批評活動で知られる。キヤノン・アートラボ、森美術館、NTTインターコミュニケーション・センター(ICC)などで活動し、2025年4月に十和田市現代美術館館長に就任した。著書に『エコゾフィック・アート――自然・精神・社会をつなぐアート論』(2023年)がある。 京都府出身。京都府立綾部高等学校を経て、都留文科大学文学部英文学科を卒業した。 1980年代初頭からヨーゼフ・ボイスに関する出版活動に関わり、1980年代後半以降はフリーランスのライター、キュレーターとして活動した。
山崎 善也(やまざき ぜんや、1958年〈昭和33年〉2月1… 山崎 善也(やまざき ぜんや、1958年〈昭和33年〉2月10日 - )は、日本の政治家。京都府綾部市長(4期)。 綾部市立綾部小学校、綾部市立綾部中学校、京都府立綾部高等学校、九州大学経済学部卒業。1980年(昭和55年)日本開発銀行(現・日本政策投資銀行)に入行。企業戦略部長や国際部長を歴任。在職中には米国で経営学修士(MBA)を取得し、世界銀行へ出向した。2009年(平成21年)4月から10月まで綾部市理事(会計管理者)を務めた。 2010年(平成22年)2月1日、綾部市長に就任した。 2022年 (令和4年)1月に行われた市長選で、4選。 2025年 (令和7年)9月、次年1月の綾部市長選への不出馬を表明。
北井 久美子(きたい くみこ、1952年〈昭和27年〉10月… 北井 久美子(きたい くみこ、1952年〈昭和27年〉10月29日 - )は、日本の弁護士、労働・厚生労働官僚。 京都府出身。京都府立綾部高等学校を経て、1976年(昭和51年)3月、東京大学法学部を卒業。東京大学在学中に司法試験に合格した。 1976年(昭和27年)4月、労働省に入省。 労働省入省後、雇用政策や雇用均等行政に携わり、男女雇用機会均等法の改正、パートタイム労働法の改正などにあたった。職業安定局業務指導課課長補佐、婦人局婦人政策課課長補佐、職業安定局雇用保険課課長補佐、労働省大臣官房総務課課長補佐、職業安定局雇用政策課企画官、同局地域雇用対策課長、婦人局婦人福祉課長、同局婦人政策課長、女性局女性政策課長、厚生労働省大臣官房審議官などを歴任。
竹貫 元勝(たけぬき げんしょう、1945年1月1日 - 2… 竹貫 元勝(たけぬき げんしょう、1945年1月1日 - 2021年5月16日)は、日本の歴史学者。花園大学名誉教授、正眼短期大学副学長・特任教授。博士(文学)(佛教大学、1992年)。日本中世史、禅宗史専攻。京都府綾部市出身。
松本 英昭(まつもと ひであき、1942年2月10日 - 2… 松本 英昭(まつもと ひであき、1942年2月10日 - 2023年10月23日)は、日本の自治官僚。元自治事務次官。退官後は自治総合センター理事長、第28次・第29次地方制度調査会専門小委員長、地方公務員共済組合連合会理事長、地方公務員共済組合協議会会長などを歴任した。 1979年に大臣官房総務課長補佐だった際の青田買いは官庁で話題となっており、同年の大蔵省入省者曰く「東大法学部に何度も足を運び、ここぞと思う人物には電話もかけて説得していた。大蔵省に行くのが決まっていたが、情熱と人柄にホダされて自治省へ行った者もいた」という。この年は18人中17人が東大法学部で占めた。
仁田 陸郎(にった むつお、1942年 <昭和17年> 2月… 仁田 陸郎(にった むつお、1942年 <昭和17年> 2月9日 - 2015年 <平成27年> 11月2日)は、日本の元裁判官・弁護士(第一東京弁護士会所属)。2013年(平成25年)瑞宝重光章を受章。叙正三位。 元東京都公安委員会委員長。
四方 八洲男(しかた やすお、1940年(昭和15年)2月1… 四方 八洲男(しかた やすお、1940年(昭和15年)2月10日 - )は、日本の政治家。元京都府綾部市長(3期)、元京都府議会議員(3期)、元綾部市議会議員(2期)。兄は元毎日新聞編集委員、元サンデー毎日編集長の四方洋、長男は京都府議会議員の四方源太郎。 兵庫県西宮市生まれ。終戦と共に、両親の郷里である綾部市(当時は何鹿郡綾部町)にUターンし、綾部市立綾部小学校、綾部市立綾部中学校、京都府立綾部高等学校、京都大学経済学部卒業。1963年(昭和38年)三菱重工業株式会社に入社。 1976年11月に「オールカラー版 世界の童話」(小学館)を自分の子供に読み聞かせていたところ、『ピノキオ』中の「びっこのキツネ」「めくらのネコ」という箇所に気づき、その点を指摘しながら「五体満足で利口な主人公を『期待される子供像』として描いている反面、他の障害を持つキャラクターを社会の落伍者として描いており、差別を拡大助長させる童話であり看過できない」と出版社に抗議する。
大槻 和夫(おおつき かずお、1936年2月6日 - )は、… 大槻 和夫(おおつき かずお、1936年2月6日 - )は、日本の国語教育学者。広島大学名誉教授。 京都府天田郡川合村(現福知山市)生まれ。京都府立綾部高等学校卒、1958年広島大学教育学部卒、1965年同博士課程中退、教育学部助手、1967年講師、1970年助教授、1984年教授、1993-1997年附属小学校長、1999年定年退官、名誉教授、安田女子大学教授。 2016年、春の叙勲で瑞宝中綬章を受章。 (このほかに単著なし)
小林 實(こばやし みのる、1901年 <明治34年> 5月… 小林 實(こばやし みのる、1901年 <明治34年> 5月25日 - 1982年 <昭和57年> 11月28日)は、日本の経営者。位階は従四位。 京都府出身。1922年に京都府立城丹農事講習所を卒業し、郡是製絲(現在のグンゼ)に入社。1955年1月に取締役に就任し、1961年1月に常務を経て、1969年1月に専務に就任し、1970年1月に社長に昇格した。1975年1月に会長を経て、1977年2月から相談役を務めた。 1971年11月に藍綬褒章を受章し、1980年4月に勲三等旭日中綬章を受章。 1982年11月28日消化管出血のために死去。81歳没。死没日付をもって従四位に叙された。
大島 実太郎(おおしま じつたろう、1874年6月28日 -… 大島 実太郎(おおしま じつたろう、1874年6月28日 - 1924年9月3日)は、日本の弁護士、政治家。衆議院議員(1期)。 大阪府出身。1895年、東京高等蚕糸学校(現・東京農工大学)、1901年、東京法学院(現・中央大学)卒。京都府蚕糸同業組合立高等養蚕伝習所(現・京都府立綾部高等学校)教師を経て、弁護士の業務に携わる。花屋敷土地、四国生糸、大阪証券交換所各(株)取締役となる。 1920年の第14回衆議院議員総選挙において京都6区から立憲政友会公認で立候補して当選する。衆議院議員を1期務め、1924年の第15回衆議院議員総選挙で落選した。落選から間もなく死去した。