スポーツ選手、俳優、学者、実業家、芸能人など各界で活躍する人物情報に加え、外の言語(多言語)で紹介されている内容や、その人物にゆかりのある地の観光資源データを集めました。
岡本 真也(おかもと しんや、1974年10月21日 - )… 岡本 真也(おかもと しんや、1974年10月21日 - )は、京都府竹野郡網野町(現:京丹後市)出身の元プロ野球選手(投手)。右投右打。 現役時代は中日ドラゴンズ・埼玉西武ライオンズ・LGツインズ(韓国)・東北楽天ゴールデンイーグルスに在籍していた。2009年は岡本 慎也、2010年・2011年は岡本 真或の登録名を使用した(いずれも読み同じ)。 現役引退後は、宮城県仙台市に構えるうどん・もつ鍋屋の店主を務めている。2022年から本数契約として野球解説者としても活動する。 京都府立峰山高等学校出身で、田中敏昭と同期であった。3年夏は岡本が1番を付けたが、その後は関西の大学、強豪社会人数チームの選考に漏れた。
田中 敏昭(たなか としあき、1974年10月21日 - )… 田中 敏昭(たなか としあき、1974年10月21日 - )は、京都府京丹後市出身の元プロ野球選手(投手)。右投右打。 中学時代は左翼手兼投手。 京都府立峰山高等学校では高校2年の秋季大会の対海洋高戦で参考記録ながらノーヒットノーランを記録。高校通算36試合に登板し、防御率は1.89。エースは後に中日ドラゴンズなどで活躍する岡本真也で、田中は控え投手だった。1992年のドラフト会議で横浜ベイスターズから7位指名を受け入団。シュート、フォークボールが武器。 入団後、二軍では主戦投手として通算で187試合に登板したが、一軍では11試合に終わった。1999年の対阪神とのオープン戦では8回に登板すると3者連続3球三振を記録した。
広瀬 新太郎(ひろせ しんたろう、1962年12月8日 - … 広瀬 新太郎(ひろせ しんたろう、1962年12月8日 - )は、京都府京丹後市出身の元プロ野球選手(投手)。 峰山高では、新浦寿夫や鈴木啓示のフォームを真似たというしなやかな投げ方で注目を浴びた。大きなテイクバックとリストの強さを生かしたフォームは評価が高く、最速144km/hのストレートと鋭いカーブ、スライダー、シュートが持ち味だった。 2年次の1979年に夏の府大会で決勝に進出するが宇治高に敗退。 1980年は春の府大会で準優勝、夏も準々決勝に進むが、京都商業高に惜敗し甲子園には出場できなかった。同年のプロ野球ドラフト会議で原辰徳のクジを外した横浜大洋ホエールズから1位指名を受け入団。エースナンバー18が与えられる。
金田 義倫(かねだ よしのり、1945年5月6日 - 202… 金田 義倫(かねだ よしのり、1945年5月6日 - 2020年3月22日)は、京都府中郡峰山町(現:京丹後市)出身の日本のプロ野球選手(投手)、スコアラー。プロの現役時代はほぼ打撃投手として活動した。 父は峰山町で建設会社を営んでいた。 京都府立峰山高等学校時代はエースとして活躍し、1962年夏の全国高校野球京都府大会の準優勝に貢献した。高校のコースは機械科だった。 1964年に阪急ブレーブスに入団。3年生夏の府大会の2回戦の際に、監督の西本幸雄が視察に来ており、これが入団の決め手になった。高校の10年先輩だった野村克也のいる南海ホークスへの入団が周囲では取り沙汰されて新聞にも出たため、怒った父が「契約金はいくらでも結構」という条件で阪急の球団事務所に電話で申し入れたという。
井上 修(いのうえ おさむ、1942年4月24日 - )は、… 井上 修(いのうえ おさむ、1942年4月24日 - )は、京都府出身の元プロ野球選手。 峰山高校から1962年に南海ホークスへ入団。1966年に引退。
野村 克也(のむら かつや、1935年6月29日 ‐ 20… 野村 克也(のむら かつや、1935年6月29日 ‐ 2020年2月11日)は、京都府竹野郡網野町(現:京丹後市)出身のプロ野球選手(捕手)・コーチ・監督、野球解説者・野球評論家。プロ野球史において唯一、選手と監督の両方で通算3000試合を達成。捕手でありながら当時歴代最多のシーズン52本塁打、戦後初の三冠王などの記録を打ち立て、歴代最多のベストナイン19回選出。監督としても数多の人材と名言を遺し、評論家時代を通じて野球の理論・技術の発展と普及に尽力した。京丹後市名誉市民。後妻にタレントの野村沙知代。 NPB戦後初(史上2人目)の三冠王を達成(世界のプロ野球史上初の捕手による三冠王)。実働26年で本塁打王9回、打点王7回、最優秀選手5回は歴代2位かつパ・リーグ最多記録(歴代1位はいずれも王貞治)。