スポーツ選手、俳優、学者、実業家、芸能人など各界で活躍する人物情報に加え、外の言語(多言語)で紹介されている内容や、その人物にゆかりのある地の観光資源データを集めました。
ソマオ・ミートボール(本名:林 蒼真(はやし そうま)、19… ソマオ・ミートボール(本名:林 蒼真(はやし そうま)、1997年〈平成9年〉12月19日 - )は、日本のお笑いタレント。吉本興業東京本社所属。 京都府京丹後市出身。京都府立峰山高等学校卒業。 高校3年生のときに地域のお笑いコンクールのようなものに同級生と出場し、「一番面白い人達の輪に入りたい」という想いで芸人を目指す。 NSC大阪校に39期生として入学し、2016年4月30日に阪本佳大(現在は大盛とのコンビ「ガジャボイ」として活動)とお笑いコンビ「サンカップ」を結成。3年間活動するも、2019年10月31日に解散。ピン芸人としての活動を開始する。 コロナ禍になり、先輩からのアドバイスを受けSNSに力を入れ始め、TikTokにギャグ動画を毎日投稿して知名度を獲得する。
荻野 賢次郎(おぎの けんじろう、1991年9月14日 - … 荻野 賢次郎(おぎの けんじろう、1991年9月14日 - )は、京都府与謝郡野田川町(現・与謝野町)出身の元サッカー選手。ポジションはゴールキーパー(GK)。 1991年9月14日、京都府与謝郡野田川町(現・与謝野町)に生まれた。小学3年時に野田川サッカー少年団でサッカーを始め、中学年代ではクラブチームではなく与謝野町立江陽中学校に所属し、本格的にゴールキーパーを任せられた。中学3年時には江陽中学校が約10年ぶりに京都府大会に出場するが、1回戦負けを喫している。その後京都府立峰山高等学校に進学したが、高校時代に全国大会への出場経験はない。高校3年時にはU-18日本代表に選出され、AFC U-19選手権予選に出場した。
中邑 真輔(なかむら しんすけ、1980年2月24日 - )… 中邑 真輔(なかむら しんすけ、1980年2月24日 - )は、日本の男性プロレスラー。京都府峰山町(現:京丹後市)出身。京都府立峰山高等学校、青山学院大学経営学部卒業。WWE所属。血液型A型。アメリカ合衆国フロリダ州オーランド在住。 小学生の頃に空手教室に入ったが、それは長続きせずすぐに止めている。中学生になるとバスケットボールを始め、ブロック大会でチームを優勝に導く主要メンバーだったこともある。中学卒業時にプロレス入りを希望したが、母親に「高校に行ってからでも遅くはないじゃない」と諭され、高校に進学し、部活でレスリングを始めた。卒業時にもふたたびプロレス入りを希望するが、母親に「大学に行ってからでも遅くはないじゃない」と諭され、青山学院大からのスカウトもあり進学した。
井尻 薫(いじり かおる、1975年〈昭和50年〉5月20日… 井尻 薫(いじり かおる、1975年〈昭和50年〉5月20日 - )は、日本のレーシングドライバーである。京都府京丹後市出身。
岡本 真也(おかもと しんや、1974年10月21日 - )… 岡本 真也(おかもと しんや、1974年10月21日 - )は、京都府竹野郡網野町(現:京丹後市)出身の元プロ野球選手(投手)。右投右打。 現役時代は中日ドラゴンズ・埼玉西武ライオンズ・LGツインズ(韓国)・東北楽天ゴールデンイーグルスに在籍していた。2009年は岡本 慎也、2010年・2011年は岡本 真或の登録名を使用した(いずれも読み同じ)。 現役引退後は、宮城県仙台市に構えるうどん・もつ鍋屋の店主を務めている。2022年から本数契約として野球解説者としても活動する。 京都府立峰山高等学校出身で、田中敏昭と同期であった。3年夏は岡本が1番を付けたが、その後は関西の大学、強豪社会人数チームの選考に漏れた。
田中 敏昭(たなか としあき、1974年10月21日 - )… 田中 敏昭(たなか としあき、1974年10月21日 - )は、京都府京丹後市出身の元プロ野球選手(投手)。右投右打。 中学時代は左翼手兼投手。 京都府立峰山高等学校では高校2年の秋季大会の対海洋高戦で参考記録ながらノーヒットノーランを記録。高校通算36試合に登板し、防御率は1.89。エースは後に中日ドラゴンズなどで活躍する岡本真也で、田中は控え投手だった。1992年のドラフト会議で横浜ベイスターズから7位指名を受け入団。シュート、フォークボールが武器。 入団後、二軍では主戦投手として通算で187試合に登板したが、一軍では11試合に終わった。1999年の対阪神とのオープン戦では8回に登板すると3者連続3球三振を記録した。
広瀬 新太郎(ひろせ しんたろう、1962年12月8日 - … 広瀬 新太郎(ひろせ しんたろう、1962年12月8日 - )は、京都府京丹後市出身の元プロ野球選手(投手)。 峰山高では、新浦寿夫や鈴木啓示のフォームを真似たというしなやかな投げ方で注目を浴びた。大きなテイクバックとリストの強さを生かしたフォームは評価が高く、最速144km/hのストレートと鋭いカーブ、スライダー、シュートが持ち味だった。 2年次の1979年に夏の府大会で決勝に進出するが宇治高に敗退。 1980年は春の府大会で準優勝、夏も準々決勝に進むが、京都商業高に惜敗し甲子園には出場できなかった。同年のプロ野球ドラフト会議で原辰徳のクジを外した横浜大洋ホエールズから1位指名を受け入団。エースナンバー18が与えられる。
芦田 久美子(あしだ くみこ、1959年(昭和34年) )は… 芦田 久美子(あしだ くみこ、1959年(昭和34年) )は、京都府京丹後市弥栄町出身のトラベル・コーディネーター。丹後半島一円で2009年から2018年にかけて展開した一般市民による旅人おもてなし企画・mixひとびとtango発起人。 1959年(昭和34年)、京都府竹野郡弥栄町(現・京丹後市)に生まれる。 京都府立峰山高等学校を経て、同志社大学に進学。同志社大学在学中は心理学を専攻し、1981年(昭和56年)卒業論文で重松歩との共同研究「Loveへの心理学的アプローチ-ロマンティックラブスケールを用いて-」を発表した。 富士海外旅行株式会社の営業アシスタントを経て、1985年、イギリスに語学留学する。
俵 英三(たわら えいぞう、1957年6月15日 - )はフ… 俵 英三(たわら えいぞう、1957年6月15日 - )はフラメンコギターリスト。京都府出身。京都府立峰山高等学校、立命館大学産業社会学部卒業。 9歳からクラシックギターの英才教育を受けた。フラメンコギターに出会ったのは立命館大学のギタークラブ時代。1982年、スペイン・セビージャへ移住。日本人旅行者相手にスペイン語通訳兼ガイドをしながら生計を立て、フラメンコギタリストとしてプロデビュー。アンダルシア地方各地のタブラオ、フェスティバル、ライブ、劇場、テレビなどで活躍。 2002年には、ヘレスの大舞台フィエスタ・デ・オトーニョに、2003年には、フェスティバル・デ・ヘレスに、外国人として初めて出演するなどした。
三崎 政直(みさき まさなお、1952年(昭和27年)3月2… 三崎 政直(みさき まさなお、1952年(昭和27年)3月28日 - )は、日本の政治家。元京都府京丹後市長(1期)。 京都府中郡大宮町(現・京丹後市)出身。大宮町立大宮中学校卒業。1970年(昭和45年)3月、京都府立峰山高等学校卒業。1974年(昭和49年)3月、大阪商業大学商経学部卒業。 1999年(平成11年)4月、大宮町議会議員選挙に初当選。2003年(平成15年)に再選。2004年(平成16年)4月1日、峰山町、大宮町、網野町、丹後町、弥栄町、久美浜町の6町が合併し京丹後市が誕生する。 2008年(平成20年)5月16日、京丹後市議会議員に就任。2012年(平成24年)の市議選で再選。
金田 義倫(かねだ よしのり、1945年5月6日 - 202… 金田 義倫(かねだ よしのり、1945年5月6日 - 2020年3月22日)は、京都府中郡峰山町(現:京丹後市)出身の日本のプロ野球選手(投手)、スコアラー。プロの現役時代はほぼ打撃投手として活動した。 父は峰山町で建設会社を営んでいた。 京都府立峰山高等学校時代はエースとして活躍し、1962年夏の全国高校野球京都府大会の準優勝に貢献した。高校のコースは機械科だった。 1964年に阪急ブレーブスに入団。3年生夏の府大会の2回戦の際に、監督の西本幸雄が視察に来ており、これが入団の決め手になった。高校の10年先輩だった野村克也のいる南海ホークスへの入団が周囲では取り沙汰されて新聞にも出たため、怒った父が「契約金はいくらでも結構」という条件で阪急の球団事務所に電話で申し入れたという。
井上 修(いのうえ おさむ、1942年4月24日 - )は、… 井上 修(いのうえ おさむ、1942年4月24日 - )は、京都府出身の元プロ野球選手。 峰山高校から1962年に南海ホークスへ入団。1966年に引退。
野村 克也(のむら かつや、1935年6月29日 ‐ 20… 野村 克也(のむら かつや、1935年6月29日 ‐ 2020年2月11日)は、京都府竹野郡網野町(現:京丹後市)出身のプロ野球選手(捕手)・コーチ・監督、野球解説者・野球評論家。プロ野球史において唯一、選手と監督の両方で通算3000試合を達成。捕手でありながら当時歴代最多のシーズン52本塁打、戦後初の三冠王などの記録を打ち立て、歴代最多のベストナイン19回選出。監督としても数多の人材と名言を遺し、評論家時代を通じて野球の理論・技術の発展と普及に尽力した。京丹後市名誉市民。後妻にタレントの野村沙知代。 NPB戦後初(史上2人目)の三冠王を達成(世界のプロ野球史上初の捕手による三冠王)。実働26年で本塁打王9回、打点王7回、最優秀選手5回は歴代2位かつパ・リーグ最多記録(歴代1位はいずれも王貞治)。
中村 とうよう(なかむら とうよう、本名:中村 東洋、193… 中村 とうよう(なかむら とうよう、本名:中村 東洋、1932年〈昭和7年〉7月17日 - 2011年〈平成23年〉7月21日)は、日本の音楽評論家、編集者。 株式会社ミュージック・マガジンの元・取締役会長、代表取締役。「中村とうよう事務所」代表。武蔵野美術大学客員研究員。 ジャズ、ロック、フォークなどのポピュラー・ミュージックから、ワールド・ミュージック、国内・海外のルーツ・ミュージックまで、幅広く守備範囲とする評論家であり、また、多数のレコード、CDの企画・紹介を行っていた。 2005年、趣味である、音楽関係を中心としたさまざまなジャンルの骨董収集コレクションの内容を本にまとめ、『中村とうようの収集百珍』として刊行した。