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二之湯 智(にのゆ さとし、1944年〈昭和19年〉9月13… 二之湯 智(にのゆ さとし、1944年〈昭和19年〉9月13日 - )は、日本の政治家。 国家公安委員会委員長(第98・99代)兼国土強靱化担当大臣兼領土問題担当大臣兼国家公務員制度担当大臣兼内閣府特命担当大臣(防災、海洋政策)(第1次岸田内閣・第2次岸田内閣)、総務副大臣(第2次安倍改造内閣・第3次安倍内閣)、総務大臣政務官(第1次安倍改造内閣・福田康夫内閣)、参議院文教科学委員長、同決算委員長、参議院議員(3期)、京都市会議長(第69代)、京都市会議員(5期)、自由民主党参議院政策審議会会長、全国市議会議長会会長(第53代)などを歴任。 京都府京都市左京区生まれ。父は二之湯正義。1957年、三重県の小学校を卒業。
桝本 賴兼(ますもと よりかね、1941年(昭和16年)1月… 桝本 賴兼(ますもと よりかね、1941年(昭和16年)1月29日 - )は、日本の政治家、元公務員。満洲国出身。元京都市長(3期)。
本領 信治郎(ほんりょう しんじろう、1903年(明治36年… 本領 信治郎(ほんりょう しんじろう、1903年(明治36年)10月8日 - 1971年(昭和46年)7月24日)は、京都府出身の東京府東京市選出の政治家、教育者。衆議院議員、早稲田大学(以下、早大)教授、早大ラグビー部監督 & 選手。 京都市下京区寺町通五条上るの裂地袋物製造卸の本領順三郎の次男として生まれる。弟は正三郎(家業を継ぐ)、千吉郎(早稲田の工業出身)。叔父の善次郎は神戸市古湊通の貴金属時計商。京都市立第一商業学校(現、京都市立西京高等学校)を経て早大に進学。同校のラグビー部で活動し、ポジションはスクラムハーフ(SH)。1927年(昭和2年)のオーストラリア遠征では主将を務めた。卒業後の1928年(昭和3年)に早大監督に就任し、2シーズン同職を歴任。
上原 茂次(うえはら しげじ、1893年(明治26年)11月… 上原 茂次(うえはら しげじ、1893年(明治26年)11月28日 - 1971年(昭和46年)5月28日)は、日本の政治家。大津市長を3期12年間務めるなど、地方自治に活躍した。 1893年(明治26年)11月28日、滋賀県高島郡大溝町(現・高島市)に生まれた。1911年(明治44年)に京都市立第一商業学校(現:京都市立西京高等学校・附属中学校)を卒業後、東京にて岩波書店に務め、3年余り東京にいた後、京都に戻り印刷業立ち上げを計画したが頓挫し、故郷に戻った。 1927年(昭和2年)、滋賀県会議員選挙に立候補するが落選、同年は長男を病で失い失意の年であったが、1929年(昭和4年)に大溝町議会議員に選ばれ、1930年(昭和5年)3月28日、前町長の辞任を受けて大溝町長に就任した。
鳥畠 徳次郎(とりばたけ とくじろう、1893年(明治26年… 鳥畠 徳次郎(とりばたけ とくじろう、1893年(明治26年)1月7日 - 1969年(昭和44年)12月25日)は、昭和期の実業家、政治家。参議院議員(1期)、石川県議会議長。 石川県石川郡上金石町(金石町を経て現金沢市金石)で生まれる。1911年(明治44年)京都市立第一商業学校(現京都市立西京高等学校・附属中学校)を卒業した。 商社などで勤務。1927年(昭和2年)北陸自動車商会を設立し、取締役支配人に就任。その他、石川合同自動車社長、朝日車輛代表、金沢交通専務取締役、石川交通社長、石川日産自動車販売社長、朝日物産社長、大阪光タクシー社長、大阪尼ケ崎自動車工業社長、石川定期運輸社長、大阪中央自動車工業会長、大阪宝タクシー取締役、北国証券金融取締役、北陸放送取締役、金沢商工会議所常議員などを務めた。
2代 瀧井 治三郎(滝井、たきい じさぶろう、1890年(明… 2代 瀧井 治三郎(滝井、たきい じさぶろう、1890年(明治23年)5月19日 - 1973年(昭和48年)12月11日)は、明治から昭和期の実業家、政治家。位階は正五位。 参議院議員(1期)。幼名は虎三。タキイ種苗社長。(同社の会社概要では3代目瀧井治三郎) 京都府京都市下京区猪熊通梅小路上ル南夷町で、農業、種苗業「大森屋」を営む先代・瀧井治三郎の三男として生まれる。梅逕尋常小学校を経て、1908年(明治41年)京都府商業学校予科1年在学中に父が死去し、種苗業を廃業することを決めたが取引先の懇請により営業継続となり、商業学校を中退して2代・治三郎を襲名した(タキイ種苗の会社概要では1906年に3代目治三郎を襲名、『人事興信録』でも家督相続と襲名は1906年としている)。
竹上 藤次郎(たけがみ とうじろう、1887年(明治20年)… 竹上 藤次郎(たけがみ とうじろう、1887年(明治20年)1月17日)- 1961年(昭和36年)8月13日)は、大正から昭和期の日本の実業家、政治家。衆議院議員、京都府会議長、京都商工会議所会頭。 京都府 京都市上京区五辻通大宮五辻町で、生糸問屋「八文字屋」通称「八藤」当主・竹上藤造の二男として生まれる。桃薗校を経て京都市立第一商業学校(現京都市立西京高等学校・附属中学校)に入学。1902年(明治35年)弁護士を目指して京都法政学校(現立命館大学)に転じたが、同年末、父の意思で第一商業に復帰し、1907年(明治40年)3月に卒業。その後、日本大学法律学科に進んだが、家業の継承のため中退し帰郷した。
2代 山本 藤助(やまもと とうすけ、1874年(明治7年)… 2代 山本 藤助(やまもと とうすけ、1874年(明治7年)6月1日 - 1926年(大正15年)8月16日)は、明治から大正期の実業家、政治家。衆議院議員。旧姓・山田。初代山本藤助の娘婿。 鳥取県邑美郡鳥取町寺町(現鳥取市寺町)で、旧鳥取藩士・山田頼実の長男として生まれる。修徳小学校(現・鳥取市立修立小学校)、育英高等小学校を卒業後、京都府商業学校(現・京都市立西京高等学校)に進み、1895年(明治28年)に卒業した。 同年、帝国海上保険会社(現・損害保険ジャパン)に入社。1907年(明治40年)6月、鉄鋼商・海運業を経営した初代山本藤助の未亡人に懇願され、その長女・山本としの入夫となり、2代藤助を襲名した。
4代 藤井 善助(ふじい ぜんすけ、1873年(明治6年)3… 4代 藤井 善助(ふじい ぜんすけ、1873年(明治6年)3月8日 - 1943年(昭和18年)1月14日)は、明治から昭和初期の実業家、政治家、美術品収集家。衆議院議員、滋賀県神崎郡北五個荘村長。前名・善三郎、号・静堂。 滋賀県神崎郡宮荘村(北五個荘村宮荘、五個荘町を経て現東近江市)で、絹織物洋服生地製造販売業・藤井周次(3代善助)の長男として生まれる。1903年(明治36年)7月、家督を相続し善助(4代)に改名した。1887年(明治20年)京都第一商業学校(現京都市立西京高等学校・附属中学校)を卒業し、さらに上海の日清貿易研究所で学んだ。 京都の自店で働いていたが、1901年(明治34年)京都倉庫監査役、大阪金巾製織会社監査役に就任。