スポーツ選手、俳優、学者、実業家、芸能人など各界で活躍する人物情報に加え、外の言語(多言語)で紹介されている内容や、その人物にゆかりのある地の観光資源データを集めました。
柴崎 友香(しばさき ともか、本名同じ、1973年10月20… 柴崎 友香(しばさき ともか、本名同じ、1973年10月20日 - )は、日本の小説家。 大阪府大阪市大正区出身。大阪府立市岡高等学校、大阪府立大学総合科学部国際文化コース卒業。 母は広島県呉市の出身で、祖父は『わたしがいなかった街で』に書かれた通り、広島市の原爆ドーム近くのホテルでコックとして働き、原爆投下の直前、呉市に移り難を逃れ、後に大阪に出た。『わたしがいなかった街で』に出てくる「赤い橋」は音戸大橋を指す。 小学校4年生の国語の教科書で、"たった三行でわたしに小説を書き続けるエネルギーをくれたのはジャン・コクトーの「シャボン玉」という詩だった"という。高校時代から小説を書き始める。大学では写真部に所属。
谷 甲州(たに こうしゅう、1951年3月30日 -)は、日… 谷 甲州(たに こうしゅう、1951年3月30日 -)は、日本の小説家。 兵庫県伊丹市出身。大阪工業大学工学部土木工学科卒業。建設会社勤務を経て青年海外協力隊員としてネパールに、国際協力事業団(JICA)プロジェクト調整員としてフィリピンに勤務する。 ネパール在勤中に、「137機動旅団」が『奇想天外』に掲載され、作家としてデビューする。1981年に刊行された初の単行本である長編『惑星CB-8越冬隊』が、ハードSF的な設定と冒険小説的な要素を組み合わせた作品という評価を得る。以後、「航空宇宙軍史」と称される同一設定をもった未来史シリーズなどのハードSFや、山岳冒険小説などを多数執筆する。また、小松左京を中心とした『日本沈没』の第2部執筆プロジェクトに参加し、アジア地域での生活の長さを買われて、老齢の小松に代わって第2部の実際の執筆に当たった。
ジェームス三木(ジェームス みき、本名:山下 清泉(やました… ジェームス三木(ジェームス みき、本名:山下 清泉(やました きよもと)、1934年〈昭和9年〉6月10日 - 2025年〈令和7年〉6月14日)は、日本の脚本家、作家、演出家、元歌手。 1934年、満洲国奉天省奉天市(現・中国遼寧省瀋陽市)生まれ。小学生の時に大阪府茨木市に引き揚げる。 中学2年の時、父が心臓病で急死。父の死後、医師である叔父の勧めで医学部を受験する予定だったが、大阪府立市岡高校に入学後は演劇や恋愛に熱中していた。 高校2年の時、演劇部で自ら主演・演出した芝居が大阪府高校演劇コンクールで1位入賞。これを期に俳優志望となり、俳優座養成所の入所試験を受けたところ、12倍の競争率を突破して合格。
稲見 一良(いなみ いつら、1931年1月1日 - 1994… 稲見 一良(いなみ いつら、1931年1月1日 - 1994年2月24日)は、日本の小説家、放送作家。大阪府大阪市出身。 記録映画のマネージメントを務める傍ら、1968年文芸誌の新人賞に入選、しかし多忙のため作家活動に専念しなかった。テレビCF、記録映画のプロデューサを努める。 1985年肝臓癌の手術を受けるが全摘ができないと分かると、生きた証として小説家活動に打ち込むと周囲に宣言し、1989年『ダブルオー・バック』にて本格的に小説家デビュー。1991年『ダック・コール』にて数々の賞を受賞し期待されるも、1994年わずか9冊を残して癌のため没した。 作品は自身の趣味であった猟銃の知識を生かしたハードボイルドな推理小説で、少年の視点・目線やニヒリズムを取り入れたものであった。
直木 三十五(なおき さんじゅうご、1891年2月12日 -… 直木 三十五(なおき さんじゅうご、1891年2月12日 - 1934年2月24日)は、日本の小説家、脚本家、映画監督。本名は植村 宗一(うえむら そういち)。弟は東洋史学者の植村清二。エンターテインメント系の作品に与えられる直木三十五賞(通称:直木賞)は、彼に由来する。 1891年2月12日、現在の大阪市中央区安堂寺町2丁目に生まれる。 父の反対を押して早稲田大学英文科予科を経て、早稲田大学高等師範部英語科へ進学したが、月謝未納で中退。しかし早稲田大学へは登校し続けており、卒業記念写真の撮影にも参加している。 1920年、久米正雄、吉井勇、田中純、里見弴らによって創刊された『人間』の編集を担当。