スポーツ選手、俳優、学者、実業家、芸能人など各界で活躍する人物情報に加え、外の言語(多言語)で紹介されている内容や、その人物にゆかりのある地の観光資源データを集めました。
小寺 和久(こてら かずひさ、1983年2月5日 - )は日… 小寺 和久(こてら かずひさ、1983年2月5日 - )は日本の脚本家。 大阪府大阪市出身。大阪府立市岡高校、同志社大学経済学部卒業。シャープ株式会社、株式会社KADOKAWAに勤めた後、独立。 『一秒の奏でる世界』でショートショートフィルムフェスティバル&アジア2014でジャパン部門優秀賞/東京都知事賞を受賞。TVドラマ『ドラマスペシャル 湊かなえサスペンス 望郷』(2016)で脚本家デビュー。『正体』(2024)で、第48回日本アカデミー賞優秀脚本賞を受賞した。 会社員時代に営業職として働いていたが、26歳のときに転勤で上京したことを機に、シナリオセンターへ通い始めた。 脚本に関心を持ったきっかけは、フルマラソン完走後に新たな挑戦を模索していた際、『1週間でマスター 斉藤ひろしのシナリオ教室』(雷鳥社)を手にしたことだったという。
島野りーみん(しまの りーみん、1982年4月12日 - )… 島野りーみん(しまの りーみん、1982年4月12日 - )は、女子プロボクサー、元女子競輪選手。大阪市出身。プロボクサーとしてはTEAM 10 COUNT所属。競輪時代は日本競輪選手会神奈川支部所属。日本競輪学校(当時。以下、競輪学校)第102期生(女子1期生)。師匠は遠澤健二(57期)。 本名は島野 麗敏(しまの りーみん)。競輪時代の選手登録名は旧姓である中山 麗敏(なかやま りーみん)、中国名は王 麗敏(ワン・リーミン)。 実家は御堂筋近くで中華料理店を営む。当初は中国国籍であったが、2001年に日本へ帰化し日本国籍を取得した。 大阪府立市岡高等学校 時代は砲丸投と円盤投に取り組み、高校総体への出場経験を持つ。
中山 麗敏(なかやま りーみん、1982年4月12日 - )… 中山 麗敏(なかやま りーみん、1982年4月12日 - )は、元女子競輪選手。大阪市出身。日本競輪学校第102期卒業。現役時は日本競輪選手会神奈川支部所属。師匠は遠澤健二(57期)。
前田 紘孝(まえだ ひろたか、1980年4月6日 - 201… 前田 紘孝(まえだ ひろたか、1980年4月6日 - 2019年1月)は、日本の映画プロデューサー。元俳優。エンターテインメント創出会社「株式会社SOUL AGE」代表取締役を務めていた。北海道函館市生まれ。 大阪府立市岡高等学校から東京都立大学経済学部入学後、芸能事務所のオーディションを受け、1000人中2人の合格者の1人となる。2001年に矢口史靖監督作品『ウォーターボーイズ』に出演。主演の妻夫木聡と生涯に渡る親交を持つようになる。 その後俳優を引退して金融機関で経験を積み、2010年に「株式会社SOUL AGE」を設立し、代表取締役に就任。映画プロデューサーとして、複数の作品を手がける。 2014年にプロデュースした作品、『そこのみにて光輝く』はキネマ旬報ベスト・テンの第一位に選出されたほか、モントリオール世界映画祭にて呉美保監督が最優秀監督賞を受賞。
林本 大(はやしもと だい、1977年(昭和52年) - )… 林本 大(はやしもと だい、1977年(昭和52年) - )は、能楽師シテ方観世流。佐賀県唐津市出身、大阪市大正区育ち。大阪府立市岡高等学校卒業。 関西大学の能楽部にて、能楽に出会い、1999年(平成11年)山本眞義および山本章弘のもとに入門。この年22歳で初舞台、10年間の内弟子修行を行う。2008年(平成20年)6月独立。 独立以来、大阪府・九州地方を中心に能楽の普及活動を行っている。独立の翌年から毎年、育った土地である大阪市大正区を舞台に「アゼリア大正DE能」を5年間主催した。 また、能にとどまらず、気鋭の劇作家林慎一郎が能の人気曲「安達原」を現代演劇とコラボレーションさせた「紡ぎ歌 鬼こもれりと聞くはまことか」(山本能楽堂)に出演。
カネシゲ タカシ(1975年10月22日 - )は、日本の漫… カネシゲ タカシ(1975年10月22日 - )は、日本の漫画家、イラストレーター、ミュージシャン。元お笑い芸人で、ドレスの一員だった。大阪府出身。大阪府立市岡高等学校、関西大学社会学部を卒業。妻はイラストレーター・芸術家のたんたん。 本名は金重 高志(読み同じ)、別の名義として「マンガウルフ」があり、嘗てはこの名前でも漫画家として活動していた。 NSC大阪校14期生として芸能界入り。同期は国崎恵美 、ロッチのコカドケンタロウなどがいた。 かつて岩尾望とお笑いコンビ「ドレス」として活動しており、カネシゲはツッコミを担当していた。岩尾望とカネシゲは同じ関西大学の同級生であり、当時の岩尾望との出会い、印象についてカネシゲは「当時の僕はパンクバンドを組んでいて、ミュージシャンを目指していました。
柴崎 友香(しばさき ともか、本名同じ、1973年10月20… 柴崎 友香(しばさき ともか、本名同じ、1973年10月20日 - )は、日本の小説家。 大阪府大阪市大正区出身。大阪府立市岡高等学校、大阪府立大学総合科学部国際文化コース卒業。 母は広島県呉市の出身で、祖父は『わたしがいなかった街で』に書かれた通り、広島市の原爆ドーム近くのホテルでコックとして働き、原爆投下の直前、呉市に移り難を逃れ、後に大阪に出た。『わたしがいなかった街で』に出てくる「赤い橋」は音戸大橋を指す。 小学校4年生の国語の教科書で、"たった三行でわたしに小説を書き続けるエネルギーをくれたのはジャン・コクトーの「シャボン玉」という詩だった"という。高校時代から小説を書き始める。大学では写真部に所属。
津田 正太郎(つだ しょうたろう、1973年 - )は、日本… 津田 正太郎(つだ しょうたろう、1973年 - )は、日本のメディア・コミュニケーション研究者。慶應義塾大学メディア・コミュニケーション研究所教授。 大阪府出身。大阪府立市岡高等学校、1997年慶應義塾大学法学部政治学科卒業。2001年サセックス大学文化コミュニケーション研究科メディア学専攻博士前期課程修了。2003年慶應義塾大学大学院法学研究科政治学専攻博士後期課程単位取得満期退学。国際通信経済研究所情報通信研究部、サセックス大学社会学部訪問研究員、法政大学社会学部教授を経て現職。
小苗 久信(こなえ ひさのぶ、1972年7月28日 - )は… 小苗 久信(こなえ ひさのぶ、1972年7月28日 - )は、日本の陸上選手。110メートルハードルを専門とした。 1997年世界陸上競技選手権大会に出場した。 大阪府立市岡高等学校、順天堂大学出身。鐘紡に所属していた。
玉田 弘文(たまだ ひろふみ、1971年10月25日 - )… 玉田 弘文(たまだ ひろふみ、1971年10月25日 - )は、日本の実業家である。
阿部 良之(あべ よしゆき、1969年8月15日 - )は、… 阿部 良之(あべ よしゆき、1969年8月15日 - )は、大阪府出身の自転車プロロードレース選手、血液型A型。愛称は「あべちゃん」。ベロチスタ-アベル所属。174 cm、65 kg。 大阪府立市岡高等学校時代はバスケットボール部に所属し、トレーニングの一環で自転車競技を始める。大阪のクラブチームシクルアミやT&Hスギノから実業団レースに参戦を始める。大阪工業大学卒業後にシマノからプロデビュー。 1997年には当時最強チームと謳われたマペイGBに移籍し、イタリアを拠点にポーランド一周ステージ優勝や、国内では全日本選手権とジャパンカップで優勝を決める(2020年現在、ジャパンカップ唯一の日本選手優勝者)。
島田 太郎(しまだ たろう、1966年10月22日 - )は… 島田 太郎(しまだ たろう、1966年10月22日 - )は、日本の実業家。株式会社東芝代表取締役社長兼CEO。 東芝エネルギーシステムズ株式会社代表取締役社長、東芝デバイス&ストレージ株式会社代表取締役社長、東芝デジタルソリューションズ株式会社取締役社長を兼任する。大阪府出身。 大阪府立市岡高校、甲南大学理学部卒業。 1990年、新明和工業入社。2015年9月、独シーメンス日本法人専務などを経て、18年10月東芝入社。コーポレートデジタル事業責任者、19年4月執行役常務、20年4月執行役上席常務、22年3月から代表執行役者社長を経て、2023年12月22日付で代表取締役社長兼CEO。
安岡 澄人(やすおか すみと、1965年〈昭和40年〉2月2… 安岡 澄人(やすおか すみと、1965年〈昭和40年〉2月24日 - )は、日本の農林水産技官。 大阪府大阪市出身。大阪府立市岡高等学校を経て、1988年(昭和63年)3月、京都大学農学部農芸化学科を卒業。その後、国家公務員試験I種・農芸化学に合格し、1990年(平成2年)4月、農林水産省に入省。入省後、環境保全型農業の推進、農畜産物の放射性物質対策、スマート農業等の技術政策などに携わり、農林水産省大臣官房政策課研究調整官、生産局総務課生産推進室長、農林水産技術会議事務局研究調整官、消費・安全局農産安全管理課長、農林水産省大臣官房生産振興審議官などを歴任した。 2023年(令和5年)7月4日、消費・安全局長に就任。
瀬野 憲一(せの けんいち、1964年〈昭和39年〉10月1… 瀬野 憲一(せの けんいち、1964年〈昭和39年〉10月15日 - )は、日本の政治家。大阪府守口市長(1期)。 大阪府大阪市此花区に生まれる。大阪府立市岡高等学校を経て、1983年に大阪府庁に入る。その傍ら、関西大学法学部法律学科第二部に通い、卒業する。 2010年、守口市行財政改革担当部長となる。 2017年、藤井寺市副市長となる。 2019年、大阪府議会事務局議事課長となる。 2022年、大阪府議会事務局総務課長兼議会秘書長となる。 2023年2月14日、4月に行われる守口市長選挙に大阪維新の会からの立候補を表明。4月16日告示の守口市長選挙に立候補し、無投票で当選した。 2024年3月、2024年度の守口市予算案が成立。
河内 将芳(かわうち まさよし、1963年8月 - )は、日… 河内 将芳(かわうち まさよし、1963年8月 - )は、日本の歴史学者。奈良大学教授。専門は日本中世史。室町・戦国期~織豊政権下の京都についての著作が多い。またこれまで体系的に研究されてこなかった、豊臣秀吉・秀頼父子の造立した方広寺大仏(京の大仏)についての研究を行っている。
南 秀憲(みなみ ひでのり、1960年11月25日 - )は… 南 秀憲(みなみ ひでのり、1960年11月25日 - )は、大阪府大阪市出身の元プロ野球選手(投手)。右投右打。
石田 英司(いしだ えいじ、1959年7月8日 - )は、元… 石田 英司(いしだ えいじ、1959年7月8日 - )は、元・毎日放送社員(テレビディレクター、報道記者)。 MBSテレビの『ちちんぷいぷい』で、1999年10月の番組開始当初から2017年9月30日まで18年間にわたってニュース解説を担当したことから、「ニュースのおっちゃん」というニックネームでも知られる。 大阪府大阪市旭区の出身で、大阪市立旭東中学校から大阪府立市岡高等学校・上智大学文学部新聞学科へ進学。大学卒業後の1984年4月1日に、毎日放送に入社した。 毎日放送には一般職で採用されたことから、入社当初は営業局に配属。報道局社会部で司法担当の記者やデスク、『MBSナウ』(平日の夕方に関西ローカルで放送されていたテレビのワイドニュース番組)や選挙開票特別番組で構成を担当した後に、テレビ制作局のチーフプロデューサーへ異動した。
山元 賢治(やまもと けんじ、1959年- )は、日本の実業… 山元 賢治(やまもと けんじ、1959年- )は、日本の実業家、経営コンサルタント。EMC日本法人副社長、Apple Computer日本法人代表取締役社長を経て、コミュニカ代表取締役CEO。 大阪府生まれ。大阪府立市岡高等学校を経て、1983年神戸大学工学部システム工学科卒業、日本アイ・ビー・エム入社。1995年日本オラクル入社。1999年EMCジャパン入社。2001年EMCジャパン副社長。2002年日本オラクル取締役専務執行役員。 2004年からApple Computerセールス担当バイスプレジデント兼Apple Computer日本法人代表取締役社長を務め、iPhoneの日本市場への投入や、iPodビジネスの立ち上げなどを行った。
亀崎 直樹(かめざき なおき、1956年 - )は、日本の動… 亀崎 直樹(かめざき なおき、1956年 - )は、日本の動物学者。特にウミガメの研究に力を注いでいる。国際ウミガメ学会理事、NPO法人日本ウミガメ協議会前会長、神戸市立須磨海浜水族園学術研究統括(前:園長)、岡山理科大学生物地球学部教授。 日本ウミガメ協議会、亀崎直樹、薮田慎司、菅沼弘行『日本のウミガメの産卵地』日本ウミガメ協議会 1994 https://ci.nii.ac.jp/ncid/BB05900065
谷 甲州(たに こうしゅう、1951年3月30日 -)は、日… 谷 甲州(たに こうしゅう、1951年3月30日 -)は、日本の小説家。 兵庫県伊丹市出身。大阪工業大学工学部土木工学科卒業。建設会社勤務を経て青年海外協力隊員としてネパールに、国際協力事業団(JICA)プロジェクト調整員としてフィリピンに勤務する。 ネパール在勤中に、「137機動旅団」が『奇想天外』に掲載され、作家としてデビューする。1981年に刊行された初の単行本である長編『惑星CB-8越冬隊』が、ハードSF的な設定と冒険小説的な要素を組み合わせた作品という評価を得る。以後、「航空宇宙軍史」と称される同一設定をもった未来史シリーズなどのハードSFや、山岳冒険小説などを多数執筆する。また、小松左京を中心とした『日本沈没』の第2部執筆プロジェクトに参加し、アジア地域での生活の長さを買われて、老齢の小松に代わって第2部の実際の執筆に当たった。
大坪 文雄(おおつぼ ふみお、1945年9月5日 - )は、… 大坪 文雄(おおつぼ ふみお、1945年9月5日 - )は、パナソニック株式会社特別顧問。パナソニック株式会社代表取締役社長、同社代表取締役会長、帝人取締役、関西電力監査役、関西大学理事等を歴任した。 関西電力監査役として原発立地に絡む森山栄治元部落解放同盟福井県連合会書記長からの金品受領問題を知りながら報告しなかったとし、関西電力の調査で善管注意義務違反を指摘されたが、損害賠償請求は見送られた。 大阪府出身。1971年、大阪府立市岡高等学校を経て関西大学工学部卒業・同大学院工学研究科機械工学専攻修士課程修了後、松下電器産業(現・パナソニック)に入社する。 ※白物家電カタログ表紙における「National」商標掲載は2008年8月発行分(シェーバーカタログは同年7月発行分)を以て完全終了。
岩本 多代(いわもと ますよ、1940年〈昭和15年〉3月5… 岩本 多代(いわもと ますよ、1940年〈昭和15年〉3月5日 - 2020年〈令和2年〉8月17日)は、日本の女優。血液型はA型。 和歌山県田辺市出身。大阪府立市岡高等学校卒業。最終所属はオフィスPSC。 高校卒業後、俳優座養成所に11期生として入所。勝呂誉、工藤堅太郎らが第11期同期にあたる。 1962年、養成所を卒業して劇団新人会に所属。『おっぺけぺ』『さすらい』などの舞台に出演して注目される。 1961年のテレビドラマ『絶唱』(フジテレビ)でデビュー。1963年の紹介記事では、これからの抱負として「おとなしい娘役ばかりではなく、明るく活動的な役にも取り組みたい」と述べている。この頃、松竹と本数契約して『無宿人別帳』(1963年)などの映画に出演。
高田 順弘(たかだ よりひろ、1940年-)は、プロ野球球団… 高田 順弘(たかだ よりひろ、1940年-)は、プロ野球球団阪神タイガースの元球団社長。 大阪府大阪市出身。市岡高校を経て、大阪大学経済学部を卒業した後に、阪神タイガースが2度目のリーグ優勝を果たした年である1964年に阪神電気鉄道に入社した。1984年には阪神タイガース取締役に就任、1988年には古谷真吾の後任として球団代表に就任した 1999年には球団社長に就任し、野村克也を監督として招聘した。
松波 弘之(まつなみ ひろゆき、1939年6月5日 - )は… 松波 弘之(まつなみ ひろゆき、1939年6月5日 - )は、日本の工学者。京都大学名誉教授、京都先端科学大学特任教授。工学博士(京都大学)。大阪市出身。 炭化ケイ素(SiC)という、従来は研磨材や耐熱材料としての利用しかなかった材料の半導体材料としての可能性に早くから注目し、20年以上の試行錯誤の末、SiC 薄膜作製法において、結晶面に適度な傾斜角を導入することによって、結晶成長を制御する方法を見出し、世界で初めて結晶多形混在のない高品質SiCのエピタキシャル成長に成功した。その後、高耐圧・低損失のSiC ショットキーバリアダイオード、高性能SiC電界効果トランジスタを実現し、既存のシリコン半導体では実現できない高性能なパワーデバイスがSiCにより実現できることを世界で初めて実証し、SiCの半導体材料としての地位を確立した。
三浦 宏文(みうら ひろふみ、1938年 <昭和13年> 3… 三浦 宏文(みうら ひろふみ、1938年 <昭和13年> 3月17日 - 2020年 <令和2年> 3月5日)は、日本の工学者。位階は従四位。 東京大学名誉教授。元工学院大学学長。元日本ロボット学会会長。専門はロボティクス、マイクロ技術、スペーステクノロジー、メカトロニクス。 徳島県徳島市出身。東京大学工学部機械工学科卒業。同大学院数物系研究科機械工学専攻博士課程修了。 東京大学助教授、NASA客員研究員、東京大学工学部教授を経て、2003年~2009年工学院大学学長。1993年~1995年日本ロボット学会会長。2017年秋の叙勲で瑞宝中綬章を受章。現在は昆虫の動きを研究し、それを真似て虫型ロボットを研究する。
冨田 憲二(とみた けんじ、1937年7月16日 - )は、… 冨田 憲二(とみた けんじ、1937年7月16日 - )は、日本の理論物理学者、宇宙物理学者。専攻は一般相対性理論、宇宙論。理学博士。京都大学基礎物理学研究所名誉教授。 林忠四郎の弟子の1人で、宇宙定数をもつ宇宙モデルの研究(1963年)や一般相対論的非一様宇宙モデルの長年にわたる系統的研究を行った。特に巨大なボイドを用いた非一様宇宙論で斬新なアイディアを披露し、宇宙加速を宇宙定数なしで説明しうることを示した(2000年)。 広島大学理論物理学研究所では(1964 - 1990年)、成相秀一(1924 - 1990年)と研究を行い、多数の研究者(石原秀樹、葛西真寿、杉山直等)を育てた。 広島大学理論物理学研究所について膨大な記録を取りまとめ、Web ページに公開している。
左近 正男(さこん まさお、1936年11月26日 - 20… 左近 正男(さこん まさお、1936年11月26日 - 2024年10月16日)は、日本の政治家。位階は従四位。元日本社会党衆議院議員(4期)。
中西 勝己(なかにし かつみ、本名:中西 勝彦(なかにし か… 中西 勝己(なかにし かつみ、本名:中西 勝彦(なかにし かつひこ)、1935年4月6日 - 2009年3月29日)は、大阪府大阪市出身の元プロ野球選手(投手)・コーチ。
ジェームス三木(ジェームス みき、本名:山下 清泉(やました… ジェームス三木(ジェームス みき、本名:山下 清泉(やました きよもと)、1934年〈昭和9年〉6月10日 - 2025年〈令和7年〉6月14日)は、日本の脚本家、作家、演出家、元歌手。 1934年、満洲国奉天省奉天市(現・中国遼寧省瀋陽市)生まれ。小学生の時に大阪府茨木市に引き揚げる。 中学2年の時、父が心臓病で急死。父の死後、医師である叔父の勧めで医学部を受験する予定だったが、大阪府立市岡高校に入学後は演劇や恋愛に熱中していた。 高校2年の時、演劇部で自ら主演・演出した芝居が大阪府高校演劇コンクールで1位入賞。これを期に俳優志望となり、俳優座養成所の入所試験を受けたところ、12倍の競争率を突破して合格。
岩村 吉博(いわむら よしひろ、1932年11月3日 - )… 岩村 吉博(いわむら よしひろ、1932年11月3日 - )は大阪府大阪市東淀川区出身の元プロ野球選手。
山内 久司(やまうち ひさし、1931年〈昭和6年〉11月9… 山内 久司(やまうち ひさし、1931年〈昭和6年〉11月9日 - 2014年〈平成26年〉8月13日)はテレビプロデューサー、元・朝日放送 顧問。朝日放送ドラマ部門チーフプロデューサー担当を務めた他、松田 司の名義でドラマの脚本も執筆した。 大阪市西区出身。京都大学文学部文学科卒業。1955年4月、朝日放送に入社。同期に植草貞夫、澤田隆治、槇洋介がいる。1960年代には脚本家の佐々木守とのコンビによる『お荷物小荷物』を始めとする一連の“脱ドラマ”を、1970年代前半から1980年代にかけては必殺シリーズを世に送り出した。その後は制作部長、制作局長、取締役制作局長、取締役常務、代表取締役専務を歴任。
手塚 昌利(てづか まさとし、1931年3月8日 - 202… 手塚 昌利(てづか まさとし、1931年3月8日 - 2020年4月18日)は、日本の実業家。阪神電気鉄道相談役。旭日重光章受賞者。阪神電鉄元会長・社長、阪神タイガース元オーナー、元毎日放送社外取締役。 徳島県鳴門市出身。旧制市岡中学校、第四高等学校を経て、京都大学法学部卒業後、1953年に阪神電鉄へ入社。取締役運輸部長、常務・不動産事業本部長、代表取締役専務などを歴任し、1992年には社長に就任。2004年から2006年まで会長を務めた。 阪神電鉄社長時代に発生した阪神・淡路大震災では自社路線も大きな損害を受け、社長として復旧作業の陣頭指揮を取った。 1998年から阪神タイガースのオーナー代行を務め、オーナーの久万俊二郎を支えていた。
稲見 一良(いなみ いつら、1931年1月1日 - 1994… 稲見 一良(いなみ いつら、1931年1月1日 - 1994年2月24日)は、日本の小説家、放送作家。大阪府大阪市出身。 記録映画のマネージメントを務める傍ら、1968年文芸誌の新人賞に入選、しかし多忙のため作家活動に専念しなかった。テレビCF、記録映画のプロデューサを努める。 1985年肝臓癌の手術を受けるが全摘ができないと分かると、生きた証として小説家活動に打ち込むと周囲に宣言し、1989年『ダブルオー・バック』にて本格的に小説家デビュー。1991年『ダック・コール』にて数々の賞を受賞し期待されるも、1994年わずか9冊を残して癌のため没した。 作品は自身の趣味であった猟銃の知識を生かしたハードボイルドな推理小説で、少年の視点・目線やニヒリズムを取り入れたものであった。
福間 知之(ふくま ともゆき、1927年9月20日 - 20… 福間 知之(ふくま ともゆき、1927年9月20日 - 2000年1月7日)は、日本の政治家、参議院議員(3期)。日本社会党に所属し、派閥は政構研であった。 大阪府大阪市出身。旧制大阪府立市岡中学校卒業。1946年松下電器入社。1953年同労組書記長、同委員長、1962年電機労連中央執行副委員長、1964年初代IMF-JC(全日本金属産業労働組合協議会)議長を経て、1974年の第10回参議院議員通常選挙全国区に無所属(電機労連の組織内候補)で立候補し、初当選。その後、日本社会党に入党。 1986年、日本社会党政策担当中執。 1992年、第16回参議院議員通常選挙に立候補せず政界引退。 1997年、秋の叙勲で勲二等旭日重光章受章。
蔭山 和夫(かげやま かずお、1927年1月16日 - 19… 蔭山 和夫(かげやま かずお、1927年1月16日 - 1965年11月17日)は、日本のプロ野球選手(内野手)。
青木 一三(あおき いちぞう、1926年 - 1994年3月… 青木 一三(あおき いちぞう、1926年 - 1994年3月17日)は、日本のプロ野球選手スカウト。大阪府生まれ。関西大学卒業。「マムシの一三」と呼ばれた。
能村龍太郎(のうむらりょうたろう、1922年5月29日 - … 能村龍太郎(のうむらりょうたろう、1922年5月29日 - 2006年1月19日)は、昭和後期-平成時代の経営者。 1922年(大正11年)生まれ、市岡中学校(現・大阪府立市岡高等学校)を卒業。1946年(昭和21年)、「能村縫工所」を設立し、リュックサックや船舶用シートを製造する。1947年(昭和22年)、株式会社に組織を変更、太陽工業と改称し社長となる。1977年(昭和52年)、会長に就任。各種テントを中心に業績をのばし技術開発を進め、東京ドームの屋根膜などの施工を担う。1985年(昭和60年)のつくば博では、テント製パビリオンの9割、大阪万博のアメリカ館などのパビリオンを手がける。その他、関西経済同友会の幹事を務め、1995年(平成7年)には大阪文化賞を受賞する。
児島 英一(こじま えいいち、1922年5月14日 - 20… 児島 英一(こじま えいいち、1922年5月14日 - 2007年11月23日)は、日本の経営者。近畿日本ツーリスト社長を務めた。 東京都出身。1945年に大阪帝国大学工学部機械工学科を卒業し、同年に近畿日本鉄道に入社。1972年11月に取締役、1975年5月に常務、1978年6月に専務を経て、1981年6月に副社長に就任。1985年3月に近畿日本ツーリスト副社長に就任し、1987年3月には社長に昇格。1993年3月に取締役相談役に就任し、1996年3月には相談役に就任。 1984年11月に藍綬褒章を受章。 2007年11月23日に急性心不全のために死去。85歳没。
角山 栄(角山 榮、つのやま さかえ、1921年11月7日 … 角山 栄(角山 榮、つのやま さかえ、1921年11月7日 - 2014年10月15日)は、日本の経済史家。和歌山大学学長や堺市博物館館長を務めた。専攻はイギリス近代経済史。 大阪府大阪市出身で、幼少期は堺市で育った。市岡中学校(旧制)、旧制大阪高等学校を経て、1945年(昭和20年)に京都帝国大学経済学部卒業。1950年(昭和25年)和歌山大学経済学部助教授。1961年(昭和36年)「イギリス毛織物工業史論」で経済学博士(京都大学)。和歌山大学経済学部教授、1967年(昭和42年)-1968年(昭和43年)経済学部長、1975年(昭和50年)4-7月学長、1986年(昭和61年)定年退官、名誉教授。
笠原 和夫(かさはら かずお、1920年6月3日 - 199… 笠原 和夫(かさはら かずお、1920年6月3日 - 1998年4月10日)は、大阪府出身のプロ野球選手(外野手)・監督。
松原 治(まつばら おさむ、1917年〈大正6年〉10月7日… 松原 治(まつばら おさむ、1917年〈大正6年〉10月7日 - 2012年〈平成24年〉1月3日)は、日本の実業家。紀伊國屋書店名誉会長などを務めた。 山口県佐波郡徳地町(現在の山口市)に軍人の息子として生まれる。のちに父は電柱の銘板を取り扱う会社を経営していた。 大阪市築港南尋常高等小学校を卒業した1930年(昭和5年)、大阪府立市岡中学校(旧制)に入学。旧制浪速高等学校を経て東京帝国大学法学部に進む。同期に中曾根康弘がいた。 卒業後は南満洲鉄道に入社するも召集を受け、陸軍経理学校を首席卒業。中国各地を転戦し、陸軍主計中尉として太平洋戦争の敗戦を迎える。 復員後、1946年、大日本塩業株式会社に取締役業務部長として入社。
南村 侑広(みなみむら ゆうこう、1917年4月17日 - … 南村 侑広(みなみむら ゆうこう、1917年4月17日 - 1990年4月17日)は、日本のプロ野球選手(外野手)、野球指導者、野球解説者。旧名は不可止(ふかし)。大阪府出身。
中川 三郎(なかがわ さぶろう、1916年〈大正5年〉3月9… 中川 三郎(なかがわ さぶろう、1916年〈大正5年〉3月9日 - 2003年〈平成15年〉10月24日)は、「社交ダンスの父」と呼ばれる日本におけるモダンダンスの創始者。日本タップダンス界の祖。洋舞家。ニューヨーク市立大学シティカレッジ卒。大阪市出身。「日本のディスコの産みの親」とも呼ばれる。 「擬装の麗人」と呼ばれ、昭和の日本の興行界に一大センセーションを巻き起こした。妻は戦前にジャズ歌手として活躍した上村まり子。長男はタップダンサーの中川一郎(本名:大輔)。長女は女優でタップダンサーの中川弘子。次女は女優の中川姿子。三女は「スリー・チャッピーズ」の元メンバー、女優でタップダンサーの中川裕季子(女優当時の芸名:中川ゆき、本名:元子)。
岡 芳包(おか よしかね、1915年〈大正4年〉1月12日 … 岡 芳包(おか よしかね、1915年〈大正4年〉1月12日 - 1991年〈平成3年〉9月1日)は、日本の医学者。生理学者。 大阪府大阪市出身。大阪府立市岡中学校、浪速高等学校、大阪帝国大学医学部卒業。 1943年に大阪帝国大学(現大阪大学)講師、1945年に同大学助教授に就任。1945年7月、大阪大学医学博士。論文の題は「生体肝組織における酸化還元電位的場に関する研究」。 その後、1948年7月に新設の徳島医科大学(現徳島大学)初代教授に就任。1951年に新制大学の発足に伴い徳島大学教授となり、1967年に同大学医学部長に就任。 1975年より日本学術会議10・11期会員に選出、国際学術交流委員会会員・生理科学研究連絡委員会等を歴任。
滝沢 一(たきざわ おさむ、1914年11月10日 - 19… 滝沢 一(たきざわ おさむ、1914年11月10日 - 1993年7月11日)は、日本の映画評論家、ジャーナリスト、脚本家である。株式会社通信合同社代表。中川信夫との共同のペンネームは猿沢 丈介(さるさわ じょうすけ)。リアルタイムで作品を追い続けた、伊藤大輔、山中貞雄研究の第一人者である。 1914年(大正3年)、大阪市に生まれる。大阪府立市岡中学校(現・大阪府立市岡高等学校)卒業。 1933年(昭和8年)、マキノ・プロダクションの元宣伝部長・都村健らとともに、京都に合同通信社を興す。同社がのちに株式会社通信合同社となる。 1935年(昭和10年)、前年に市川右太衛門プロダクションに入社した、9歳上の友人・中川信夫と共同で脚本を執筆、『恥を知る者』『御用唄鼠小僧』を中川が監督した。
今西 壽雄(いまにし としお、1914年〈大正3年〉9月9日… 今西 壽雄(いまにし としお、1914年〈大正3年〉9月9日 - 1995年〈平成7年〉11月15日)は、日本の登山家。元日本山岳会会長。マナスル世界初登頂に成功。記念切手も発行された。 奈良県出身。旧制浪速高等学校を経て、1941年、京都帝国大学農学部卒業。 旧制高校在学時代より登山を始める。1953年、京大学士山岳会ヒマラヤ・アンナプルナ2峰遠征隊隊長としてアンナプルナ登頂に挑戦するが撤退。1956年、槇有恒率いる日本山岳会第三次マナスル登山隊に参加し、シェルパのギャルツェン・ノルブとともにマナスル世界初登頂に成功した。この快挙は戦後の日本人に誇りと自信を取り戻させるニュースとして大きく伝えられ、さらにネパールと日本との国交が結ばれるきっかけとなった。
川本 泰三(かわもと たいぞう、1914年1月17日 - 1… 川本 泰三(かわもと たいぞう、1914年1月17日 - 1985年9月20日)は、愛知県瀬戸市出身のサッカー選手、サッカー指導者、実業家。ポジションはフォワード。 小学校時代に大阪へ転居、大阪府立市岡中学からサッカーを始め、1930年に第12回全国中等学校蹴球選手権大会に出場してベスト4の成績を残した。1931年に市岡中学を卒業し、早稲田高等学院(予科に相当)を経て早稲田大学に入学。予科在学中からア式蹴球部で試合出場し、予科3年の1933年から早大の関東大学リーグ4連覇に貢献した。 在学中の1934年5月に開催された第10回極東選手権競技大会のサッカー日本代表に選出されて、5月15日のオランダ領東インド代表戦で初出場し、初得点も決めた。
奥宮 正武(おくみや まさたけ、1909年(明治42年)7月… 奥宮 正武(おくみや まさたけ、1909年(明治42年)7月27日 - 2007年(平成19年)2月22日)は、日本の海軍軍人、航空自衛官。海兵58期。最終階級は海軍中佐、空将。高知県出身。航空主兵論の急先鋒であり、戦艦無用論を主張した。 1909年(明治42年)7月27日、高知県に父・奥宮正治と母・虎の三男として生まれる。生家は土佐藩藩校の教授であった奥宮慥斎の本家になる。母は土佐の旧家である入交家の出身。市岡中学卒を経て、1926年(大正15年)11月、海軍兵学校58期入校。1930年(昭和5年)11月、海軍兵学校卒業。1932年(昭和7年)4月、海軍少尉任官。 1933年(昭和8年)11月、海軍練習航空隊第24期飛行学生を卒業、大村海軍航空隊付(延長教育を受ける)。
伊藤 武雄(いとう たけお、1909年(明治42年)1月11… 伊藤 武雄(いとう たけお、1909年(明治42年)1月11日 - 1977年(昭和52年)9月16日)は、日本のドイツ文学者。 大阪府大阪市生まれ。1921年大阪市浪速区難波立葉尋常小学校卒業、1925年大阪府立市岡中学校4年修了、1928年第三高等学校文科乙類卒業、1931年東京帝国大学文学部独文科卒業。 1933年に宇都宮高等農林学校非常勤講師に就いたのを皮切りに、1934年に第八高等学校専任講師、1935年教授に就任し、1948年に名古屋大学に転じて文学部助教授、1958年教授に就任した。 1959年「ケラー叙事文学の研究」で名大文学博士。同著で中日文化賞受賞。1972年に定年で退官した後は名誉教授となった。
広岡 知男(旧字体:廣岡 知男、ひろおか ともお、1907年… 広岡 知男(旧字体:廣岡 知男、ひろおか ともお、1907年8月24日 - 2002年1月5日)は、日本のアマチュア野球選手、新聞社経営者。朝日新聞社社長、日本学生野球協会会長、全日本アマチュア野球連盟会長。