スポーツ選手、俳優、学者、実業家、芸能人など各界で活躍する人物情報に加え、外の言語(多言語)で紹介されている内容や、その人物にゆかりのある地の観光資源データを集めました。
山田 茂樹(やまだ しげき、1949年<昭和24年> - )… 山田 茂樹(やまだ しげき、1949年<昭和24年> - )は、日本の新左翼活動家。組織名は木元。革労協木元派(赤砦社派、反主流派)の指導者。 1968年(昭和43年)大阪府立大手前高等学校を卒業、1969年(昭和44年)東北大学に入学、1973年(昭和48年)の早稲田解放闘争より東京で活動。 1999年(平成11年)5月、狭間派こと現代社派(主流派とも)から追われる形で木元派(反主流派)を結成。直後の6月に現代社派(主流派)により襲撃される。これにより、山田は瀕死の重傷を負い、一命こそ取り留めたものの、単独での歩行に支障をきたすほどの後遺症を負った。また、この事件がきっかけとなって木元派(反主流派)と現代社派(主流派)との抗争が勃発する。
山崎 博昭(やまざき ひろあき、1948年11月12日 - … 山崎 博昭(やまざき ひろあき、1948年11月12日 - 1967年10月8日)は、日本の学生活動家である。第1次羽田事件で死亡した学生として知られる。 高知県生まれ。大阪市立茨田中学校、大阪府立大手前高等学校卒業。1967年京都大学文学部に入学し、同年4月に革命的共産主義者同盟全国委員会(中核派)に参加。高校時代は「大手前高校社研(社会研究会)」で活動したほか、中核派系の反戦高協大阪府委員会結成に参加している。デモや集会に度々参加し、砂川闘争にも加わっていた。 1967年10月8日の第1次羽田事件(佐藤栄作首相の南ベトナム訪問阻止運動)に参加。羽田空港への突入を図る学生らと機動隊が海老取川に架かる弁天橋で激しい攻防を展開し、機動隊から奪った警備車兼放水車を暴走させるなど学生が激しく機動隊を攻撃する中、警備車が通った後に倒れているのを発見された。
飯田 しづえ(いいだ しづえ、1909年11月10日 - 2… 飯田 しづえ(いいだ しづえ、1909年11月10日 - 2003年3月30日)は、日本の政治家、市民活動家。大阪府内初の女性市議会議員として、1955年から7期、無所属の豊中市議会議員を務めた。 大阪府大阪市出身。大阪市電の車輌課の技手だった父松田信八、母志なの長女として生まれる。母方の姓である「中村」を継いで祖父の養女となった。1922年、大阪府立梅田高等女学校(1923年に移転し大手前高等女学校と改称)に入学、当時は女子が小学校を卒業して女学校へ行くことは珍しかったが、勉強好きの母の「受けるだけ受けさせてみたら」の一言で受験がかなったという。 女学校在学中に、新教育運動の流れをくむ国語教師や英語教師の影響を受けて映画や芝居に興味を持ち、次第に社会主義思想にも関心を寄せるようになった。