スポーツ選手、俳優、学者、実業家、芸能人など各界で活躍する人物情報に加え、外の言語(多言語)で紹介されている内容や、その人物にゆかりのある地の観光資源データを集めました。
小川 理子(おがわ みちこ、1962年12月4日- )は、日… 小川 理子(おがわ みちこ、1962年12月4日- )は、日本のジャズピアニスト・実業家。パナソニック役員、マツダ取締役。大阪府出身。 パナソニック執行役員、マツダ取締役、アプライアンス社副社長、技術担当(兼)技術本部長、テクニクス事業推進室長、テクニクスブランド事業担当。 大阪市西区立売堀に生まれ育つ。大阪市立愛日小学校、大阪市立船場中学校、大阪府立大手前高等学校、慶應義塾大学理工学部 生体電子工学科卒業。1986年、パナソニック(当時の社名は松下電器産業)に入社し、音響研究所に配属される。音響心理、音響生理を基盤とした音響機器の研究開発に15年間従事。2014年5月にオーディオ事業部門に異動し、高級オーディオブランドのテクニクス復活を総指揮。
蔭山 秀一(かげやま しゅういち、1956年7月4日 - )… 蔭山 秀一(かげやま しゅういち、1956年7月4日 - )は、日本の実業家。三井住友銀行取締役副会長や、ロイヤルホテル代表取締役社長を経て、同社取締役会長。日本ホテル協会会長、関西観光本部副理事長。元関西経済同友会代表幹事。 大阪府大阪市生まれ。大阪府立大手前高等学校を経て、1979年神戸大学経済学部卒業、住友銀行(現三井住友銀行)入行。関西営業畑を歩み、鳳支店長、熊本支店長、今里法人営業部長、大阪駅前法人営業部長、梅田法人営業第二部長、神戸法人営業第一部長、執行役員京都北陸法人営業本部長、常務執行役員等を歴任。 2012年三井住友銀行取締役兼専務執行役員に昇格。2014年取締役兼副頭取。2015年取締役副会長。
小林 哲也(こばやし てつや、1943年〈昭和18年〉11月… 小林 哲也(こばやし てつや、1943年〈昭和18年〉11月27日 - )は実業家。近鉄グループホールディングスの取締役相談役および近畿日本鉄道取締役(近鉄社長としては大阪電気軌道創立から15代目)。また、2004年(平成16年)をもって解散したプロ野球球団・大阪近鉄バファローズ最後の球団社長でもあった。 大阪府生まれ。1962年(昭和37年)大阪府立大手前高等学校を経て、1968年(昭和43年)早稲田大学政治経済学部(当時は第一政治経済学部)を卒業、近畿日本鉄道(近鉄)に入社。 上本町営業局及び天王寺営業局の各運輸部で勤務したあと、業務局営業課長を経て、1980年(昭和55年)に天王寺営業局運輸部営業課長兼企画課長に、1982年(昭和57年)には上本町営業局運輸部営業課長にそれぞれ就き、1992年(平成4年)に事務局部長、2000年(平成12年)に営業推進局長に就任。
森 詳介(もり しょうすけ、1940年〈昭和15年〉8月6日… 森 詳介(もり しょうすけ、1940年〈昭和15年〉8月6日- )は、日本の実業家。関西電力取締役会長を退任後に相談役となったが、森山栄治元福井県高浜町助役との間の金品受領・便宜供与問題で、八木誠、岩根茂樹と謀り隠蔽を主導したとして、特に大きな責任があると第三者委員会から指弾され辞任し、関西電力から1億7000万円の損害賠償請求訴訟を受けた。 1959年(昭和34年)大阪府立大手前高等学校を卒業。大手前高校では柔道の部活動を3年生の夏休みまで続けており、部活に指導に来た先輩が京都大学の柔道部員であり、京大に入学したいというよりも京大柔道部へ入りたくて京大へ進学した。 1963年3月に京都大学工学部電気工学科を卒業し、同年4月に関西電力株式会社に入社。
大坪 清(おおつぼ きよし、1939年〈昭和14年〉3月15… 大坪 清(おおつぼ きよし、1939年〈昭和14年〉3月15日 - )は、日本の実業家。住友商事代表取締役副社長を経て、レンゴー代表取締役会長。関西経済連合会副会長、日本製紙連合会副会長、凌霜会理事長なども務めている。 大阪府豊中市生まれ。大阪府立大手前高等学校を経て、1962年(昭和37年)神戸大学経済学部卒業。住友商事に入社後「一番弱い分野」を希望し紙・パルプ課に入る。 兵庫県尼崎市にある摂津製紙(のちのセッツ。レンゴーと合併した)への出向を経て、1966年に扶桑紙業(のちの住商紙パルプ、現国際紙パルプ商事)専務取締役。 1988年マレーシアの住友商事クアラルンプール支店長。1992年(平成4年)取締役。
高原 勇巳(たかはら いさみ )は、日本の経営者。学習塾「馬… 高原 勇巳(たかはら いさみ )は、日本の経営者。学習塾「馬渕教室」運営の株式会社ウィルウェイの代表取締役社長。 大阪市城東区出身。1983年(昭和58年)大阪府立大手前高等学校を卒業。その後に入った大学を辞め、大阪外国語大学(大阪大学外国語学部)に入学し直し卒業。30歳の時に大手学習塾に就職したが辞め、「馬渕教室」に再就職した。 大手前高校時代のクラブ活動はサッカー部。学生時代アルバイトで塾の講師を務めていたことから、就職先に塾業界を選択。大手の塾だったが、イメージしていた通りではなく「期待はずれだった」ため、馬渕教室に再就職した。 当時、馬渕教室は規模的には小さな塾だったが、著名な講師が数多くいて、地元北河内地方の枚方市や寝屋川市ではトップ高校への合格実績も圧倒的な“名門”として有名で、「ここなら、自分も教師としてきっと成長できる」と思い応募した。