スポーツ選手、俳優、学者、実業家、芸能人など各界で活躍する人物情報に加え、外の言語(多言語)で紹介されている内容や、その人物にゆかりのある地の観光資源データを集めました。
清水 脩(しみず おさむ、1911年11月4日 - 1986… 清水 脩(しみず おさむ、1911年11月4日 - 1986年10月29日)は、日本の作曲家。カワイ楽譜(現:カワイ出版)元社長。大阪府大阪市天王寺区出身。 1932年(昭和7年)大阪外国語学校(新制大阪外国語大学の前身、現:大阪大学外国語学部)のフランス語科を卒業後、1938年(昭和12年)に東京音楽学校(現:東京芸術大学)選科に入学、橋本國彦に作曲、細川碧らに理論を学ぶ。1939年(昭和14年)、第8回音楽コンクール作曲部門で「花に寄せたる舞踏組曲」が1位入選、1950年(昭和25年)「インド旋律による四楽章」が芸術祭管弦楽曲に入選、1953年(昭和28年)に「交響曲第1番」で第1回尾高賞の佳作に入選、1955年(昭和30年)に歌劇「修禅寺物語」で伊庭歌劇賞および毎日音楽賞を受賞。
田中 友幸(、1910年〈明治43年〉4月26日 - 199… 田中 友幸(、1910年〈明治43年〉4月26日 - 1997年〈平成9年〉4月2日)は、映画プロデューサー。東宝映画代表取締役会長、日本創造企画代表取締役会長、日本アカデミー賞協会副会長、日本映画テレビプロデューサー協会顧問を歴任。世界的に有名な怪獣「ゴジラ」の設定を着想した人物である。通り名として、「友幸」を「ゆうこう」と読むことが多い。 大阪協同劇団時代の芸名は大瀬 滝夫。映画『惑星大戦争』では、神宮寺八郎のペンネームで原作を担当した。大阪府下堅下(現・柏原市)出身。趣味は旅行。 大阪協同劇団での演劇活動を経て、東宝の映画プロデューサーとして活躍。『ゴジラ』(1954年)以降、同社の看板シリーズとなった怪獣・SF映画のほとんどをプロデュース。
中村 一雄(なかむら かずお、生年不明〈1907年11月3日… 中村 一雄(なかむら かずお、生年不明〈1907年11月3日~1908年11月2日〉 - 1990年11月2日)は、日本の競馬騎手、調教師、競走馬生産者。
西本 三十二(にしもと みとじ、1899年〈明治32年〉1月… 西本 三十二(にしもと みとじ、1899年〈明治32年〉1月2日 - 1988年〈昭和63年〉1月9日)は、日本の教育学者。大学で教鞭を取った後に日本放送協会職員として放送教育の実践を行った。 1899年(明治32年)大阪府に生まれる[要出典]。1916年(大正5年)大阪府立八尾中学校を卒業後[要出典]、大阪府師範学校第二部を経て[要出典]、1923年にコロンビア大学教育学部を卒業した。1924年に同大学修士課程を卒業した。1925年 - 1928年に帝塚山学院高等女学部を創設した。1928年(昭和3年)、奈良女子高等師範学校教授に就任した。この際、ラジオ番組を受け持つ機会に恵まれると、次第に自分の理想の教育をラジオを通じて実践したいという思いが高まり、1932年(昭和8年)に教授職を辞して日本放送協会に入る。
塩川 正三(しおかわ しょうぞう、1893年〈明治26年〉8… 塩川 正三(しおかわ しょうぞう、1893年〈明治26年〉8月22日 - 1958年〈昭和33年〉3月6日)は、日本の政治家。大阪府布施市(現・東大阪市)長(初代、5代、6代、3期)。財務大臣、衆議院議員を務めた塩川正十郎は長男。 大阪府渋川郡布施村(のち中河内郡布施町→布施市、現・東大阪市)出身。大阪府立八尾中学校(現・大阪府立八尾高等学校)卒。1915年(大正4年)、共栄組社長となり、1929年(昭和4年)、布施町会議員となる。同年3月から1932年(昭和7年)7月まで布施町助役を務めた。同月、布施町長となる。1937年(昭和12年)3月に町長を退任した。同年4月1日、布施市が発足した。同年7月10日、市長に就任した。
山野 平一(やまの ひらかず、1887年〈明治20年〉8月4… 山野 平一(やまの ひらかず、1887年〈明治20年〉8月4日 - 1971年〈昭和46年〉12月31日)は、大正から昭和期の実業家、政治家。衆議院議員。 大阪府、現在の大阪市で山野助四郎の三男として生まれる。1905年(明治38年)大阪府立八尾中学校(現大阪府立八尾高等学校)を卒業。1914年(大正3年)家督を相続した。 実業界では、都島商事社長、大阪地下街監査役などを務めた。 政界では、大阪市会議員、同副議長を務めた。その他、都島警防団長、都島教育会長、帝国在郷軍人会都島分会顧問、軍事援護会北区連合会理事長、大政翼賛会大阪支部常務委員、借家借地調停委員、北区町会連合会長、都島簡易裁判所調停委員、大阪調停協会長、大阪市社会福祉協議会副会長などを務めた。
永雄 策郎(ながお さくろう、1884年(明治17年)1月2… 永雄 策郎(ながお さくろう、1884年(明治17年)1月28日 - 1960年(昭和35年)2月10日)は、日本の経済学者。東亜経済調査局主事、拓殖大学教授、近畿大学教授、富士短期大学大世学院教授。専門は植民政策学。東京帝国大学経済学博士。 主に大正期から戦後復興期にかけて活動を展開した。京都府竹野郡の名士の家に生まれ、第五高等学校を経て東京帝国大学法科大学を卒業。出版社への短期間の勤務を挟み、大学時代の縁で満鉄の東亜経済調査局に入ると、後に主事となりこれを運営する側に立った。この際、高校時代から関わりのあった大川周明を採用させたことが、結果として歴史的に重要な意義を持つ。 それからは審査役の身分で大連の満鉄本社へ渡り、当地の教育機関において植民政策の講師を務める。
今中 楓渓(いまなか ふうけい、1883年〈明治16年〉4月… 今中 楓渓(いまなか ふうけい、1883年〈明治16年〉4月20日 - 1963年〈昭和38年〉年8月17日)は、大正から昭和期の歌人。本名は今中 保次郎(旧姓は岩崎)。1935年(昭和10年)に東海林太郎の歌で大ヒットした「野崎小唄」の作詞者で知られる。 大阪府北河内郡生まれ。広島高等師範学校(現・広島大学)卒業。大阪府立八尾中学校(現・大阪府立八尾高等学校)在学時から作歌し、歌誌『詩歌』に参加。前田夕暮に師事した。 1907年(明治40年)に北河内郡樟葉村大字楠葉(現・枚方市南楠葉)の今中家を継いだ。 のちに『覇王樹』『林間』の同人となり、1931年(昭和6年)女性短歌誌『若葉』を主宰。大阪府立寝屋川高等女学校(現・大阪府立寝屋川高等学校)で教えながら、落語野崎詣りで有名な、北河内郡四条村大字野崎(現・大東市野崎)にある野崎観音参拝について詠んだ「野崎小唄」を東海林太郎が歌い大ヒットとなったため、「昭和歌壇の重鎮」とされている。
花愛 望都(かあい もと、9月4日生まれ- )は、宝塚歌劇団… 花愛 望都(かあい もと、9月4日生まれ- )は、宝塚歌劇団卒業生(元星組娘役)で現在歌唱指導講師。
きのした ゆうこ(6月6日 - )は、日本のマルチタレント。… きのした ゆうこ(6月6日 - )は、日本のマルチタレント。81プロデュース所属。大阪府出身。 大阪府立八尾高等学校、甲南大学法学部卒業。 声優、女優、ナレーター、ニュースキャスター、ラジオパーソナリティ、DJ、司会者、方言指導、コラムニスト、エッセイスト、スポーツライターなど多方面で活動する。 大学時代に日本テレビ系列(全国ネット)の深夜番組『11PM』のレギュラー出演者になったことが、芸能界で仕事を始める切っ掛けとなる。
坂田 宏 は、日本の経営者。サカタのタネ会長を務めている。
坂本 勲 は、大阪府出身のプロ野球選手。
中嶋 健吉(なかじま けんきち)は、日本のマーケットアナリス… 中嶋 健吉(なかじま けんきち)は、日本のマーケットアナリスト・キャスターである。大阪府八尾市出身。 大阪府立八尾高等学校を経て大阪外国語大学卒業後、1970年山一證券に入社。パリ事務所、本社国際営業部、ロンドン現地法人を経て、パリ現地法人社長、スイス(チューリッヒ)現地法人社長を歴任。金融法人部長を経て、ロンドン現地法人社長となる。 1997年山一證券清算に伴い、興銀證券(現みずほ証券)に入社。 2001年4月より日経CNBCアンカー兼コメンテーター。2011年5月からStock Voiceメインキャスター。 証券業界に長期間勤務し、現在はマーケットアナリスト・キャスターとして活動している。特に日経CNBCには約10年間という長期に渡り出演していた。