スポーツ選手、俳優、学者、実業家、芸能人など各界で活躍する人物情報に加え、外の言語(多言語)で紹介されている内容や、その人物にゆかりのある地の観光資源データを集めました。
山本 和作(やまもと かずなお、1986年9月21日 - )… 山本 和作(やまもと かずなお、1986年9月21日 - )は、兵庫県川西市出身の元プロ野球選手(内野手)。 現役引退後は大阪経済大学硬式野球部監督を務め、2023年からオリックス・バファローズ職員。 小学3年時に明峰少年野球クラブで軟式野球を始める。中学時代は兵庫川西で2年時に全国大会出場。 尼崎工業高校では、1年夏からベンチ入りした。3年夏は4回戦で敗退し、甲子園出場は叶わなかった。 大阪経済大学に進学すると、1年秋に関西六大学リーグ史上初の1年生で首位打者、ベストナインを獲得。2年春にもベストナインを獲得した。2年秋から三塁手に転向。3年秋に明治神宮大会に同校初出場すると初戦で本塁打を放つも敗退。
西村 基史(にしむら もとふみ、1962年11月17日 - … 西村 基史(にしむら もとふみ、1962年11月17日 - )は、兵庫県出身の元プロ野球選手(投手)。 尼崎工業高から新日本製鐵広畑に進む。1981年から4年連続で都市対抗に出場(うち2回は補強選手としての出場)。1981年の第52回都市対抗では、藤高俊彦との投の二本柱で勝ち進むが、準決勝で東芝の菊地恭一に3ラン本塁打を浴び敗退。1983年の同大会でも準決勝に進み先発として起用されるが、この大会に優勝した東芝の黒紙義弘、池田親興(日産自動車から補強)、川端順の継投の前にまたもや苦杯を喫した。1982年アマチュア野球世界選手権日本代表、1983年ロサンゼルスオリンピック予選日本代表に選出されている。
上坂 嘉彦(うえさか よしひこ、1958年9月18日 - )… 上坂 嘉彦(うえさか よしひこ、1958年9月18日 - )は、兵庫県西宮市出身の元プロ野球選手(投手)。 尼崎工業高から、社会人野球の三菱自動車京都を経て、1979年オフにドラフト外で南海ホークスにテスト入団。 右腕の本格派投手であったが、一軍公式戦に出場することはなく、1年間で退団した。
岡田 豊(おかだ ゆたか、旧名:哲男〈てつお〉、1932年9… 岡田 豊(おかだ ゆたか、旧名:哲男〈てつお〉、1932年9月12日 - )は、元プロ野球選手・プロ野球審判員。兵庫県出身。 県立尼崎工業から近畿大学に進む。近畿学生野球リーグでは在学中7回優勝。1955年春秋季リーグ連続で首位打者となる。 1956年に阪急ブレーブスに捕手として入団。1年目から一軍に上がり、1960年には山下健と併用されて32試合に先発マスクを被る。しかし1961年には岡村浩二が新入団、出場機会が減少し同年限りで引退。 その後パ・リーグ審判部に入局し、パ・リーグ初の3000試合出場を達成し、1993年までつとめた。審判員袖番号は3(1977年初採用から1993年引退まで、3は2003年以降橋本信治がつけている。
岡田 功(おかだ いさお、旧名:和也(かずや)、1931年6… 岡田 功(おかだ いさお、旧名:和也(かずや)、1931年6月20日 - )は、兵庫県尼崎市出身の元プロ野球選手(外野手)、プロ野球審判員。元セントラル・リーグ審判副部長。 兵庫県立尼崎工業高等学校から1950年に大阪タイガース に入団。1952年に一軍に上がり、1954年、1955年には各1試合に中堅手として先発出場。しかし活躍の場には恵まれず、1956年に審判員へ転身。以後着実に力を発揮し、プロ野球審判員現役37年、一軍実働36年、13年連続日本シリーズ出場、日本シリーズ通算94試合出場、日本シリーズ通算21回出場(1963年~1967年、1969年~1981年、1983年、1991年)、レギュラーシーズン通算3902試合出場は日本プロ野球記録。