スポーツ選手、俳優、学者、実業家、芸能人など各界で活躍する人物情報に加え、外の言語(多言語)で紹介されている内容や、その人物にゆかりのある地の観光資源データを集めました。
宮西 尚生(みやにし なおき、1985年6月2日 - )は、… 宮西 尚生(みやにし なおき、1985年6月2日 - )は、兵庫県尼崎市出身のプロ野球選手(投手)。左投左打。北海道日本ハムファイターズ所属。 公式戦における通算ホールド・通算ホールドポイントのNPB記録保持者で「両部門における世界プロ野球記録の保持者」ともされている。また、最優秀中継ぎ投手のタイトルを通算で3回獲得。この回数も、最優秀中継ぎ投手部門では歴代最多タイ記録(いずれも2023年シーズン終了時点)。 大野奨太とは、日本ハムで一時バッテリーを組んでいたほか「互いの妻が実の双子姉妹」という義兄弟の関係にある。 小学1年時から野球を始める。中学校時代に所属したボーイズリーグの尼崎ボーイズでは、南大阪大会での優勝を経験した。
金刃 憲人(かねと のりひと、1984年4月10日 - )は… 金刃 憲人(かねと のりひと、1984年4月10日 - )は、兵庫県尼崎市出身の元プロ野球選手(投手)、野球指導者。 兵庫県尼崎市の出身。在日韓国人三世で、大学3年のときに日本へ帰化した。尼崎市立園和北小学校1年時に軟式野球の「園和北フレンズ」に入団し4年生でボーイズリーグ「兵庫尼崎」に移籍、6年時に全国優勝。尼崎市立園田中学校時代はボーイズリーグ「兵庫尼崎」に在籍。中学の1年先輩には後にプロでチームメイトとなる野間口貴彦がいた。 市立尼崎高校進学後は2年冬に甲子園未出場ながら高校全日本台湾遠征メンバーに選出され、MVPを受賞。3年夏の兵庫大会では準々決勝でグエン・トラン・フォク・アンを擁する東洋大姫路高校を完封するまで全て2失点以内に抑えたが、準決勝で坂口智隆を擁する神戸国際大附高校に9回裏2死から5点差を逆転されてのサヨナラ負けを喫してベスト4。
小橋 正佳(こばし ただよし、1975年8月10日 - )は… 小橋 正佳(こばし ただよし、1975年8月10日 - )は、大阪府三島郡島本町出身の元プロ野球選手(投手・右投右打)、俳優。所属事務所は、アーティストボックス。 父・小橋洋は尼崎市立尼崎高等学校(後に自身が在学)の野球部監督として、後にヤクルトでチームメイトになった先輩である池山隆寛らを指導した。その父の影響で小学校2年生の時から野球を始め、2年秋の県大会では準決勝で敗れたが3位決定戦で先発し、救援を仰ぐが延長11回サヨナラ勝ち。近畿大会では初戦で登板はなかったが勝利、続く準々決勝で先発したが途中降板して6回コールド負け。1993年のセンバツ有力候補となるが、惜しくも落選する。同年夏の兵庫県大会も3回戦で敗退したが、長身から繰り出される高い威力のある速球で注目され、1993年のドラフト会議にてヤクルトスワローズ(現:東京ヤクルトスワローズ)から5位指名を受け、同年11月29日に契約金4000万円、年俸400万円の契約条件で入団に合意した。
池山 隆寛(いけやま たかひろ、1965年12月17日 - … 池山 隆寛(いけやま たかひろ、1965年12月17日 - )は、兵庫県尼崎市出身の元プロ野球選手(内野手、右投右打)、コーチ、監督。 NPBにおける現役時代はヤクルトスワローズ一筋のフランチャイズ・プレイヤーとして、1984年から2002年まで19年間プレーした。フルスイングを信条としており、その豪快なスイングから「ブンブン丸」の愛称で親しまれた。そのバッティングスタイルから、現役時代は三振が多かったものの、1988年から5年連続30本塁打を達成するなど、主軸打者として活躍、通算304本塁打を記録した。この通算本塁打記録は2025年に山田哲人に更新されるまで球団記録だった。引退後は東北楽天ゴ
林 泰宏(はやし やすひろ、1961年6月16日 - )は、… 林 泰宏(はやし やすひろ、1961年6月16日 - )は、熊本県出身の元プロ野球選手(投手)、日本の実業家。橘フェニックス株式会社の代表取締役、東郷証券株式会社(現:TO株式会社)の元取締役会長。 市立尼崎高では、4番・エースとして活躍した。1978年秋季近畿大会県予選準決勝に進むが、滝川高に完封負けを喫する。翌1979年夏の甲子園県予選では決勝に進出するが、明石南高に0-1で惜敗し、甲子園には出場できなかった。 1979年のプロ野球ドラフト会議で、木田勇のクジを外した読売ジャイアンツから1位指名を受け入団。同じ年の3位指名は、岡崎郁だった。 スリー・クォーター気味のフォームで投げ込む速球が武器で、中央では無名ながら将来のエースになる大器と宣伝されていたが、コントロールが悪くプロ入り後は伸び悩んだ。
清水 稔(しみず みのる)は兵庫県出身の元アマチュア野球選手… 清水 稔(しみず みのる)は兵庫県出身の元アマチュア野球選手・指導者である。 市立尼崎高校では主将を務め、3年夏の甲子園に出場。池山隆寛と同期であった。近畿大学では主将を務め、西岡剛、山内嘉弘とバッテリーを組む。関西学生野球リーグの同期の捕手に立命大の古田敦也がいた。 大学卒業後は社会人野球三菱重工神戸のチームに入団し、捕手として活躍した。 小田幸平に正捕手の座を譲ると引退。 引退後は、コーチを経て、2000年から2003年までに同チームの監督を務めた。その後、同チームの部長を務めた。 またその一方で、日本放送協会で高校野球解説者を務め、侍ジャパン女子代表「マドンナジャパン」のコーチも務めた(2010年 - 2016年)。