スポーツ選手、俳優、学者、実業家、芸能人など各界で活躍する人物情報に加え、外の言語(多言語)で紹介されている内容や、その人物にゆかりのある地の観光資源データを集めました。
上ノ坊 悠馬(うえのぼう ゆうま、2002年7月14日 - … 上ノ坊 悠馬(うえのぼう ゆうま、2002年7月14日 - )は、ジャパンラグビーリーグワンのクボタスピアーズ船橋・東京ベイに所属するラグビーユニオン選手。 尼崎市立尼崎高等学校から天理大学に入る。 大学2年時、関西大学春季トーナメントに、控えで公式戦初出場。3年時、4年時とも、関西大学リーグや大学選手権において、フランカーまたはナンバーエイトで出場した。 2025年1月21日、ジャパンラグビーリーグワンのクボタスピアーズ船橋・東京ベイへの入団を発表した。同年3月、天理大学卒業。
岩本 大吾(いわもと だいご、2001年2月10日 - )は… 岩本 大吾(いわもと だいご、2001年2月10日 - )は、日本の男子バレーボール選手である。 兵庫県尼崎市出身。両親の影響で12歳からバレーボールを始めた。 2016年、尼崎市立尼崎高等学校に進学。高校時代は3年とも全日本高等学校選手権大会(春高バレー)に出場。3年時、ユース日本代表に選出され、アジアユース選手権(U-18)に出場し、チームの優勝に貢献した。また、高校でも全国高等学校総合体育大会(インターハイ)で優勝を果たし、自身もベスト6を受賞した。2019年の第71回春高バレーでは準決勝に進出した。 2019年、早稲田大学に進学。同年、ユース日本代表としてU19世界選手権に出場。全日本大学選手権大会(全日本インカレ)では、1年時から3連覇を果たし、3年時の第74回大会では最優秀選手賞も受賞した。
安井 恒介(やすい こうすけ、2000年12月8日 - )は… 安井 恒介(やすい こうすけ、2000年12月8日 - )は、日本の男子バレーボール選手である。 大阪府豊中市出身。友人に誘われて中学2年生からバレーボールを始める。 尼崎市立尼崎高等学校、明治大学を経て、2022-23シーズン、V.LEAGUE DIVISION1 MEN(V1男子)に所属する堺ブレイザーズ(現・日本製鉄堺ブレイザーズ)の内定選手となった。 2023年、大学卒業後に、堺ブレイザーズに入団した。入団1シーズン目となる2023-24シーズンにV1男子の試合に出場し、Vリーグデビューを果たした。 2025年、日本代表に初選出された。
上野 輝人(うえの あきと、2000年9月14日 - )は、… 上野 輝人(うえの あきと、2000年9月14日 - )は、兵庫県出身のサッカー選手。Jリーグ・カマタマーレ讃岐所属。ポジションはフォワード、ディフェンダー。 中学時代はヴィッセル神戸の下部組織に所属していた。市立尼崎高校では2年時に同校史上初の全国大会となるインターハイに出場。卒業後は大阪経済大学に進学した。2022年11月2日、2023年シーズンからのFC岐阜加入内定が発表された。 2023年3月5日、J3リーグ開幕戦のギラヴァンツ北九州戦でJリーグデビューを飾った。2024シーズン終了後、契約満了により退団。 2025年、カマタマーレ讃岐へ加入。
武本 紗栄(たけもと さえ、1999年11月23日 - )は… 武本 紗栄(たけもと さえ、1999年11月23日 - )は、日本のやり投選手。 神戸市立白川台中学校、尼崎市立尼崎高等学校、大阪体育大学出身。オリコ所属。
安藤 誠弥(あんどう せいや、1998年10月6日 - )は… 安藤 誠弥(あんどう せいや、1998年10月6日 - )は、日本の男子バレーボール指導者である。 神戸市立王塚台中学校、市立尼崎高等学校を経て、筑波大学に進学。その後、同校の大学院に進学。 2023年、V.LEAGUE DIVISION1 MEN(V1男子)に所属する堺ブレイザーズのコーチに就任した。
森 愛樹(もり あいき、1998年4月19日 - )は、日本… 森 愛樹(もり あいき、1998年4月19日 - )は、日本の男子バレーボール選手である。 兵庫県揖保郡出身。小学1年生からバレーボールを始める。 市立尼崎高等学校を経て、近畿大学に進学。 2017/18シーズン、V・チャレンジリーグII(当時のVリーグ3部リーグ)に所属する近畿クラブスフィーダにインターンとして入団。同シーズン、V・チャレンジリーグIIの試合に出場し、Vリーグデビューを果たした。2018/19シーズンもインターンとして近畿クラブスフィーダでプレーした。 2021年、V.LEAGUE DIVISION2 MEN(V2男子)に所属する兵庫デルフィーノに入団した。 2021-22シーズン、V2男子にてサーブレシーブ賞を受賞した。
小山 貴稀(こやま たかき、1997年11月23日 - )は… 小山 貴稀(こやま たかき、1997年11月23日 - )は、日本の元男子バレーボール選手である。 兵庫県豊岡市出身。中学1年生の時に、顧問に誘われてバレーボールを始める。 2013年、尼崎市立尼崎高等学校に進学。2014年、U18日本代表としてアジアユース選手権に出場し、チームの準優勝に貢献。2015年、U19日本代表として、世界ユース選手権に出場。 2016年、大阪産業大学に進学。同年、U20日本代表としてアジアジュニア選手権に出場。2017年、U21日本代表として世界ジュニア選手権に出場。 2020年、ウルフドッグス名古屋に入団。 2025年3月、2024-25シーズン限りでの現役引退が発表された。
井上 桃子(いのうえ ももこ、1997年5月26日 - )は… 井上 桃子(いのうえ ももこ、1997年5月26日 - )は、日本の女子バスケットボール選手である。ポジションはスモールフォワード。Wリーグの山梨クィーンビーズ所属。 大阪薫英女学院中学校から市立尼崎高校、関西学院大学に進み、インカレベスト8。 卒業後は地域リーグの山形銀行に入社。 2023年、山梨クィーンビーズに加入。
数原 魁(かずはら かい、1997年4月30日 - )は、兵… 数原 魁(かずはら かい、1997年4月30日 - )は、兵庫県尼崎市出身のボートレーサーである。尼崎市立尼崎高等学校卒業。登録第5060号。123期。同期には西岡成美、上田紗奈、伊久間陽優、山崎小葉音らがいる。従兄にGENERATIONSのボーカル数原龍友。 幼少期からボートレーサーに興味を示し、6歳の時にABCテレビで制作されていた「探偵!ナイトスクープ」宛に「モンキーターンをしてみたい」と応募して、同番組への出演を果たした。2003年6月13日の同番組でこの様子が放送されている。この時、水野要・向所浩二と後の師匠となる山本隆幸の現役ボートレーサーと共演したことが契機となり、幼稚園児ながらも水野らとの交流を開始した。
久原 翼(ひさはら つばさ、1995年3月18日 - )は、… 久原 翼(ひさはら つばさ、1995年3月18日 - )は、日本の元男子バレーボール選手、指導者。 兵庫県尼崎市出身。兄2人がバレーボールをしていて父親が指導者だった影響で小学生でバレーボールを始める。当時所属したのは父親がコーチをしていた常光寺バレーボールスポーツ少年団。2番目の兄は元JTサンダーズ広島の久原大輝。 南武庫之荘中学校時代は、全国大会に出場し個人としても記録を残した兄と比べられることが多く、バレーボールが好きではなかった。 市立尼崎高等学校に進学すると身体の成長でプレーの幅が広がり、代表のアンダーカテゴリーに選ばれ徐々に自信を着ける。 全日本高等学校選手権大会(春高バレー)や 全国高等学校総合体育大会(インターハイ)にも度々出場した。
ディーン 元気ことディーン・ロドリック・元気(ディーン げん… ディーン 元気ことディーン・ロドリック・元気(ディーン げんき、Genki Roderick Dean, 1991年12月30日 - )は、兵庫県神戸市出身のやり投選手。ミズノ所属。 神戸市立平野中学校時代に兄の影響で陸上競技を始める。全中の砲丸投で4位になった。また3年次のジュニアオリンピックの円盤投で優勝している。尼崎市立尼崎高等学校に進学後、やり投を始め、3年次のインターハイでは、やり投と円盤投の二冠を達成した。中学時代には四種競技、高校時代には八種競技にも取り組んでいた。 早稲田大学スポーツ科学部へ進学後は、やり投に専念するようになった。2010年、世界ジュニア陸上競技選手権大会で銀メダル、日本陸上競技選手権大会で3位、2011年、アジア陸上競技選手権7位、ユニバーシアード12位、日本陸上競技選手権大会2位の成績をあげた。
久原 大輝(ひさはら だいき、1991年12月26日 - )… 久原 大輝(ひさはら だいき、1991年12月26日 - )は、日本の元男子バレーボール選手である。 兵庫県尼崎市出身。父と兄の影響を受けて小学1年生の頃からバレーボールを始める。 尼崎市立尼崎高等学校を経て筑波大学に進学。大学時代はV・チャレンジリーグ(当時のVリーグ2部リーグ)に所属するつくばユナイテッドSun GAIAでもプレー。2013年、V・プレミアリーグ(当時のVリーグ1部リーグ)に所属するJTサンダーズ(現・JTサンダーズ広島)の内定選手となった。内定選手として2013/14 V・プレミアリーグに出場した。 2014年、大学卒業後に、JTサンダーズに入団した。 2021年、2020-21シーズン終了をもって現役引退。
井之上 明(いのうえ あきら、1991年4月12日 - )は… 井之上 明(いのうえ あきら、1991年4月12日 - )は、ジャパンラグビーリーグワンレッドハリケーンズ大阪に所属するラグビー選手。 幼稚園の年長からラグビーを始めた 2010年、市立尼崎高校卒業後、立命館大学に入る。 2014年、立命館大学卒業後、NTTドコモレッドハリケーンズ(現・レッドハリケーンズ大阪)に加入。同年8月30日に行われたジャパンラグビートップリーグ第2節のコカ・コーラレッドスパークス戦にて途中出場で公式戦初出場を果たす。
湯田 逸友(ゆだ はやと、1989年10月9日 - )は、兵… 湯田 逸友(ゆだ はやと、1989年10月9日 - )は、兵庫県出身のサッカー選手。関西サッカーリーグ・レイジェンド滋賀FC所属。ポジションは、ミッドフィールダー。
阿部 領太(あべ りょうた、1989年4月3日 - )は、日… 阿部 領太(あべ りょうた、1989年4月3日 - )は、日本の元男子バレーボール選手である。 兵庫県南あわじ市出身。中学1年生のとき、楽しそうだと関心を持ちバレーボールを始める。 尼崎市立尼崎高等学校、東亜大学を経て、2011/12シーズン、V・プレミアリーグ(当時のVリーグ1部リーグ)に所属する大分三好ヴァイセアドラーの内定選手となった。内定選手としてV・プレミアリーグの試合に出場しVリーグデビューも果たした。 2012年、大学卒業後に、大分三好ヴァイセアドラーに入団した。 2023年、2022-23 V.LEAGUE DIVISION1 MENをもって現役を引退した。大分三好では選手兼応援団長として活動していた。
高瀬 無量(たかせ むりょう、1989年1月31日 - )は… 高瀬 無量(たかせ むりょう、1989年1月31日 - )は、日本の元陸上競技選手。専門は長距離走。兵庫県川辺郡猪名川町出身。尼崎市立尼崎高等学校、山梨学院大学卒業後、日清食品グループ陸上競技部に所属した。 「無量」という名前は無量大数が由来になっており、「無限の可能性を持つ」という意味が込められている。 山梨学院大学時代には4年連続で箱根駅伝に出場。1・2年時には5区を担当し、1年時には区間6位、2年時には区間前半で先頭に立つ好走を見せるも、後半に酸欠状態になり失速し、区間22位に終わった。3年時の第86回大会では、古田哲弘以来10年ぶりの山梨学院大学2区日本人走者となった(区間7位)。4年時にも前年と同じく2区を担当した(区間15位)。
新保 聰太朗(しんぼ そうたろう、1988年12月26日 -… 新保 聰太朗(しんぼ そうたろう、1988年12月26日 - )は、兵庫県出身のサッカー選手。
原口 大佑(はらぐち だいすけ、1988年9月17日 - )… 原口 大佑(はらぐち だいすけ、1988年9月17日 - )は、兵庫県出身で、JFL・MIOびわこ滋賀所属のサッカー選手。
福井 諒司(ふくい りょうじ、1987年8月7日 - )は兵… 福井 諒司(ふくい りょうじ、1987年8月7日 - )は兵庫県出身の元プロサッカー選手。ポジションは、ディフェンダー(DF)。 小学2年生で地元サッカーチームにてサッカーを始める。小学5年生よりガンバ大阪のジュニアチームでプレーし、中学進学時にセレッソ大阪のU-15チームに入団。そのままU-18チームへ昇格し、クラブユース選手権やJリーグユースカップなどの各種大会に出場した他、2005年には国民体育大会兵庫県選抜チームに選出され、晴れの国おかやま国体に出場した。 高校卒業後、福岡大学へ進学してサッカー部に入部。同学年に藤田直之、1学年下に永井謙佑。 2010年、東京ヴェルディへ入団。しかしリーグ戦では開幕戦の1試合にのみ出場。
垣田 恵利(かきた えり、1986年10月20日 -)は兵庫… 垣田 恵利(かきた えり、1986年10月20日 -)は兵庫県宍粟市出身の日本の柔道家。52kg級の選手。身長は160cm。組み手は右組み。得意技は大外刈。 弟は90kg級で活躍している垣田恭兵。 柔道は6歳の時に一宮柔道教室で始めた。中学3年の時に1学年下の弟とともに地元の中学から強豪校の藍中学校へ転校した。さらに市立尼崎高校へ進むが、この当時大きな実績はなかった。阪神柔道協会に所属していた2005年の全日本ジュニアでは52kg級決勝で日本大学の粟野壽子に敗れるも2位になった。アジアジュニアでは81kg級の弟とともに姉弟優勝を飾った。 武庫川女子大学へ進学すると、2年の時には学生体重別の決勝で天理大学の村口みきに敗れて2位だった。
吉田 真史(よしだ まさふみ、1985年9月6日 - )は、… 吉田 真史(よしだ まさふみ、1985年9月6日 - )は、兵庫県尼崎市出身の元サッカー選手、元サッカー指導者。現役時代のポジションはMF。 ヴィッセル神戸のアカデミー出身で2004年にトップチームに昇格。同年7月のJリーグカップ予選で初出場したが、以降は出場なく2006年をもって退団した。2007年から2014年までバンディオンセ加古川に在籍、その後は高砂ミネイロFC、F.C.Real.Earnestに在籍。2019年4月にFC淡路島へ加入。2021年に引退した。 2022年2月7日、FC淡路島から改称したFC.AWJの監督に就任することが発表された。
宮西 尚生(みやにし なおき、1985年6月2日 - )は、… 宮西 尚生(みやにし なおき、1985年6月2日 - )は、兵庫県尼崎市出身のプロ野球選手(投手)。左投左打。北海道日本ハムファイターズ所属。 公式戦における通算ホールド・通算ホールドポイントのNPB記録保持者で「両部門における世界プロ野球記録の保持者」ともされている。また、最優秀中継ぎ投手のタイトルを通算で3回獲得。この回数も、最優秀中継ぎ投手部門では歴代最多タイ記録(いずれも2023年シーズン終了時点)。 大野奨太とは、日本ハムで一時バッテリーを組んでいたほか「互いの妻が実の双子姉妹」という義兄弟の関係にある。 小学1年時から野球を始める。中学校時代に所属したボーイズリーグの尼崎ボーイズでは、南大阪大会での優勝を経験した。
安田 章大(やすだ しょうた、1984年9月11日 - )は… 安田 章大(やすだ しょうた、1984年9月11日 - )は、日本の歌手、俳優、アイドルであり、男性アイドルグループ・関ジャニ∞のメンバーである。
金刃 憲人(かねと のりひと、1984年4月10日 - )は… 金刃 憲人(かねと のりひと、1984年4月10日 - )は、兵庫県尼崎市出身の元プロ野球選手(投手)、野球指導者。 兵庫県尼崎市の出身。在日韓国人三世で、大学3年のときに日本へ帰化した。尼崎市立園和北小学校1年時に軟式野球の「園和北フレンズ」に入団し4年生でボーイズリーグ「兵庫尼崎」に移籍、6年時に全国優勝。尼崎市立園田中学校時代はボーイズリーグ「兵庫尼崎」に在籍。中学の1年先輩には後にプロでチームメイトとなる野間口貴彦がいた。 市立尼崎高校進学後は2年冬に甲子園未出場ながら高校全日本台湾遠征メンバーに選出され、MVPを受賞。3年夏の兵庫大会では準々決勝でグエン・トラン・フォク・アンを擁する東洋大姫路高校を完封するまで全て2失点以内に抑えたが、準決勝で坂口智隆を擁する神戸国際大附高校に9回裏2死から5点差を逆転されてのサヨナラ負けを喫してベスト4。
菊池 宏之(きくち ひろゆき、1983年12月13日 - )… 菊池 宏之(きくち ひろゆき、1983年12月13日 - )は、兵庫県尼崎市出身のプロバスケットボール選手である。ポジションはシューティングガード。身長192cm、体重83kg。 尼崎市立立花中学校在籍中の13歳の時に漫画・SLAM DUNKと兄の影響でバスケットボールを始める。 1999年4月、尼崎市立尼崎高校に進学。3年生時には主将を務め、2001年インターハイに出場して初戦突破している。 2002年4月に進学した京都産業大学では1年生時よりレギュラーを獲得し、第29回関西学生選手権で最優秀新人賞を受賞、リーグ戦の優勝にも貢献した。2年生時の2003年新人戦でも最優秀新人賞を受賞。3年生時の2004年は第31回関西学生選手権で2年ぶりの優勝に貢献し、優秀選手賞を受賞。
小橋 正佳(こばし ただよし、1975年8月10日 - )は… 小橋 正佳(こばし ただよし、1975年8月10日 - )は、大阪府三島郡島本町出身の元プロ野球選手(投手・右投右打)、俳優。所属事務所は、アーティストボックス。 父・小橋洋は尼崎市立尼崎高等学校(後に自身が在学)の野球部監督として、後にヤクルトでチームメイトになった先輩である池山隆寛らを指導した。その父の影響で小学校2年生の時から野球を始め、2年秋の県大会では準決勝で敗れたが3位決定戦で先発し、救援を仰ぐが延長11回サヨナラ勝ち。近畿大会では初戦で登板はなかったが勝利、続く準々決勝で先発したが途中降板して6回コールド負け。1993年のセンバツ有力候補となるが、惜しくも落選する。同年夏の兵庫県大会も3回戦で敗退したが、長身から繰り出される高い威力のある速球で注目され、1993年のドラフト会議にてヤクルトスワローズ(現:東京ヤクルトスワローズ)から5位指名を受け、同年11月29日に契約金4000万円、年俸400万円の契約条件で入団に合意した。
池山 隆寛(いけやま たかひろ、1965年12月17日 - … 池山 隆寛(いけやま たかひろ、1965年12月17日 - )は、兵庫県尼崎市出身の元プロ野球選手(内野手、右投右打)、コーチ、監督。 NPBにおける現役時代はヤクルトスワローズ一筋のフランチャイズ・プレイヤーとして、1984年から2002年まで19年間プレーした。フルスイングを信条としており、その豪快なスイングから「ブンブン丸」の愛称で親しまれた。そのバッティングスタイルから、現役時代は三振が多かったものの、1988年から5年連続30本塁打を達成するなど、主軸打者として活躍、通算304本塁打を記録した。この通算本塁打記録は2025年に山田哲人に更新されるまで球団記録だった。引退後は東北楽天ゴ
士郎 正宗(しろう まさむね、1961年11月23日 - )… 士郎 正宗(しろう まさむね、1961年11月23日 - )は、日本の漫画家・イラストレーター。 兵庫県神戸市葺合区(現:中央区)出身。大阪芸術大学芸術学部美術学科(油画科)卒[要ページ番号]。大学では美術の教員免許を取得。 代表作に『アップルシード』、『攻殻機動隊』など。 大学時代に漫画研究団体「アトラス」に一般メンバーとして所属、メンバーにぴゅあ(漫画家)、伊藤浩二(アニメーター)などがいた(名誉会員に星野之宣)。この頃から漫画を描き始め、1980年代初頭の在学中に同人誌『ブラックマジック』を(アトラスのメンバーに手伝ってもらいつつ)製作、アトラスから出版し、仲間と出版社などに売り込みを始めて『アップルシード』で青心社からデビューする。
林 泰宏(はやし やすひろ、1961年6月16日 - )は、… 林 泰宏(はやし やすひろ、1961年6月16日 - )は、熊本県出身の元プロ野球選手(投手)、日本の実業家。橘フェニックス株式会社の代表取締役、東郷証券株式会社(現:TO株式会社)の元取締役会長。 市立尼崎高では、4番・エースとして活躍した。1978年秋季近畿大会県予選準決勝に進むが、滝川高に完封負けを喫する。翌1979年夏の甲子園県予選では決勝に進出するが、明石南高に0-1で惜敗し、甲子園には出場できなかった。 1979年のプロ野球ドラフト会議で、木田勇のクジを外した読売ジャイアンツから1位指名を受け入団。同じ年の3位指名は、岡崎郁だった。 スリー・クォーター気味のフォームで投げ込む速球が武器で、中央では無名ながら将来のエースになる大器と宣伝されていたが、コントロールが悪くプロ入り後は伸び悩んだ。
佐川 眞人(さがわ まさと、1943年8月3日 - )は、日… 佐川 眞人(さがわ まさと、1943年8月3日 - )は、日本の研究者・実業家。ネオジム磁石の発明者として知られている。NDFEB株式会社代表取締役社長。インターメタリックス株式会社初代代表取締役社長。大同特殊鋼顧問。東北大学特別招聘プロフェッサー。大同大学特別客員教授。名城大学特任教授。眞は真の旧字であるため「佐川真人」と書かれることもある。 徳島県徳島市出身。 尼崎市立尼崎高等学校を経て、1966年神戸大学工学部電気工学科卒業、1968年神戸大学大学院修了、電気工学の分野で修士の学位、1972年東北大学大学院にて金属材料工学を研究し工学博士の学位を取得。博士論文が『金属表面皮膜のエピタクシャル歪に関する研究 』であるように、もともとは磁石を研究していたわけではなかったが、1972年富士通に入社し磁性材料の研究を命じられる。
岡 八朗(おか はちろう、本名・市岡 輝夫〔いちおか てるお… 岡 八朗(おか はちろう、本名・市岡 輝夫〔いちおか てるお〕、1938年(昭和13年)4月16日 - 2005年(平成17年)7月26日)は、日本の喜劇俳優。2003年(平成15年)4月16日以前の芸名は「岡 八郎」。兵庫県尼崎市出身。長女はゴスペル歌手の市岡裕子。 盟友の花紀京と共に吉本新喜劇の二大巨星と呼ばれ、新喜劇の黄金時代を築いて長きに渡って君臨した。 父は喜劇役者で幼少から芸事に触れる。 1958年(昭和33年)、宝塚映画製作所の大部屋に入るが1年で退社。花菱アチャコに師事、師匠の薦めで1959年(昭和34年)4月に吉本新喜劇へ第1期生として入団。入団当初は本名の「市岡 輝夫」のまま、吉本新喜劇の前身である吉本ヴァラエティやステレオコントの舞台に上がる。
丘 さとみ(おか さとみ、本名;菱田 美恵子〈ひしだ みえこ… 丘 さとみ(おか さとみ、本名;菱田 美恵子〈ひしだ みえこ〉・渡辺美恵子〈わたなべ みえこ〉、1935年〈昭和10年〉9月15日 - 2024年〈令和6年〉4月24日)は、日本の女優。兵庫県宝塚市出身。 1953年3月、尼崎市立尼崎高等学校在学中にディズニー映画『シンデレラ(シンデレラ姫)』の日本公開を記念して行われたRKOラヂオ映画社と毎日新聞社主催の「日本シンデレラ姫コンテスト」に応募し、ミス・シンデレラの栄冠に輝く。その副賞で1953年3月20日から4月4日まで渡米し、ディズニー撮影所や女優・アン・ブライスの自宅などを訪問したり、ケーリー・グラントとの2度に亘る会食やソニア・ヘニーのアイスショー観覧といったハリウッド見学に招待されている。
澤田 隆治(さわだ たかはる、1933年〈昭和8年〉3月18… 澤田 隆治(さわだ たかはる、1933年〈昭和8年〉3月18日 - 2021年〈令和3年〉5月16日)は、日本のテレビプロデューサー、テレビディレクター、ラジオプロデューサー。テレビランド代表取締役社長。 東阪企画創立者で元代表取締役会長。その他にも日本映像事業協会会長、大阪放送芸術学院校長、全日本テレビ番組製作社連盟顧問、笑いと健康学会会長等を務める。 弟は放送作家の尾上たかし。 “さわだ りゅうじ”の読み方をされることもある。 大阪府吹田市出身。大阪商船に勤めた父の転勤で2歳から京城で育ち、終戦で父の故郷・富山県高岡市に引き揚げ、寂しい心を癒やしたのが喜劇映画だった。旧制富山県立高岡中学校(現・富山県立高岡高等学校)1年に編入、中学3年で住まいを移し、旧制兵庫県立尼崎中学校(現・兵庫県立尼崎高等学校)へ転入する。
葦原 邦子(あしはら くにこ、1912年〈大正元年〉12月1… 葦原 邦子(あしはら くにこ、1912年〈大正元年〉12月16日 - 1997年〈平成9年〉3月13日)は、兵庫県武庫郡本庄村字深江(現・兵庫県神戸市東灘区深江)出身の女優。元宝塚歌劇団星組トップスター。本名は中原 英子(なかはら えいこ)、旧姓は岡本。夫に画家の中原淳一、長男に画家の中原洲一、孫に声優・俳優の加古臨王がいる。 尼崎市立高等女学校(現・尼崎市立尼崎高等学校)卒業後、1928年に宝塚音楽学校に入学する。翌1929年、「春のをどり」で初舞台。宝塚歌劇団18期生で宝塚歌劇団のトップスターとして活躍し、同期生に春日野八千代、冨士野高嶺らがいた。 宝塚歌劇団在団中は「アニキ」の愛称で上級生の小夜福子や同期生の春日野と共に男役として人気を争い、宝塚歌劇団を背負って立っていった。
田口 寛(たぐち ゆたか、1900年8月29日 - 1979… 田口 寛(たぐち ゆたか、1900年8月29日 - 1979年)は、昭和時代後期の日本で活動した作曲家、教育者。 1900年(明治33年)、岡山県に生まれる。1928年(昭和3年)に東京音楽学校甲種師範科を卒業した後、1931年(昭和6年)から1949年(昭和24年)まで兵庫県の尼崎市立高等女学校(現在の尼崎市立尼崎高等学校)で音楽教諭を務める。学制改革に伴い兵庫県立尼崎高等学校へ転籍し、同校の校歌を作曲した。 1952年(昭和27年)11月、香川大学学芸学部(のち教育学部)教授に着任。在職中は1954年(昭和29年)1月に制定された「香川県民歌」並びに、岡山・香川両県内の小中学校の校歌を作曲する。
清水 稔(しみず みのる)は兵庫県出身の元アマチュア野球選手… 清水 稔(しみず みのる)は兵庫県出身の元アマチュア野球選手・指導者である。 市立尼崎高校では主将を務め、3年夏の甲子園に出場。池山隆寛と同期であった。近畿大学では主将を務め、西岡剛、山内嘉弘とバッテリーを組む。関西学生野球リーグの同期の捕手に立命大の古田敦也がいた。 大学卒業後は社会人野球三菱重工神戸のチームに入団し、捕手として活躍した。 小田幸平に正捕手の座を譲ると引退。 引退後は、コーチを経て、2000年から2003年までに同チームの監督を務めた。その後、同チームの部長を務めた。 またその一方で、日本放送協会で高校野球解説者を務め、侍ジャパン女子代表「マドンナジャパン」のコーチも務めた(2010年 - 2016年)。