スポーツ選手、俳優、学者、実業家、芸能人など各界で活躍する人物情報に加え、外の言語(多言語)で紹介されている内容や、その人物にゆかりのある地の観光資源データを集めました。
杉浦 正則(すぎうら まさのり、1968年5月23日 - )… 杉浦 正則(すぎうら まさのり、1968年5月23日 - )は、和歌山県出身の元アマチュア野球選手(投手)。日本生命勤務。 社会人野球や日本代表のエースとして活躍し、「ミスターアマ野球」と呼ばれる。日本生命硬式野球部元監督。 和歌山県伊都郡九度山町出身。九度山町立九度山中学校から和歌山県立橋本高等学校に進む。1986年の春季近畿大会に県予選を勝ち抜き進出。1回戦で京都商に延長12回サヨナラ勝ち、しかし準決勝では比叡山高に惜敗した。同年夏は県予選で敗れ、甲子園には届かなかった。 同志社大学商学部に進学。関西学生野球リーグでは、1990年秋季リーグで5勝を挙げ14季ぶりの優勝に貢献、最優秀選手に選ばれた。
平野 嘉也(ひらの よしや、1967年(昭和42年)12月7… 平野 嘉也(ひらの よしや、1967年(昭和42年)12月7日 - )は、日本の政治家。薬剤師。高野町長(3期)。徳島文理大学薬学部卒業。和歌山県高野町出身。 和歌山県高野町高野山の祖父、父、親戚、兄妹共に薬剤師の家系に生まれる。高野山幼稚園、高野山小学校、高野山中学校、橋本高等学校卒業し薬剤師を目指すため徳島文理大学薬学部に進学し卒業芦屋大学教育学部卒業。 薬剤師として南労会紀和病院・高野町立高野山病院などに勤務。またこれまでに高野山青年団団長・伊都青年会議所理事長・高野町青少年団体連絡協議会会長・高野町商工会青年部部長などを歴任。 2014年(平成26年)4月20日に投開票の高野町長選挙に出馬し初当選、その後、3期連続で当選を果たす。
坂口 親宏(さかぐち ちかひろ、1960年8月28日 - )… 坂口 親宏(さかぐち ちかひろ、1960年8月28日 - )は、日本の政治家。元和歌山県橋本市議会議員。元アナウンサー。 和歌山県橋本市出身。橋本市立橋本小学校、橋本市立橋本中央中学校、和歌山県立橋本高等学校卒業。1983年京都外国語大学卒業。テレビ和歌山社員アナウンサーとして地元県内のローカルニュース、高校野球などのスポーツ中継等に21年に渡って携わる。退社後は大阪市のプロダクション「パートナーズ・プロ」に属し、活動を続けた。奈良テレビの契約キャスターとしてNEWSライン、ドラマティックナイン、びわ湖放送の週刊県政プラスワン、テレビ和歌山でもニュースライフラインわかやまのキャスターを務めた。2008年から2009年には、ぱしふぃっくびぃなすのクルーズディレクターを務めた。
谷澤 幸生(たにざわ ゆきお、1958年 - )は、日本の医… 谷澤 幸生(たにざわ ゆきお、1958年 - )は、日本の医学者、教育者。山口大学学長。医学博士。和歌山県の出身。専門は糖尿病学。 1958年和歌山県の生まれ。1977年和歌山県立橋本高等学校を卒業。1983年山口大学医学部医学科を卒業。1987年同大学院医学研究科(内科系内科学専攻)修了し、医学博士となる。労働福祉事業団愛媛労災病院内科を経て、1989年同大学医学部附属病院(第3内科)助手になる。1990年にワシントン大学(米国ミズーリ州、セントルイス市)内科内分泌代謝糖尿病部門 (M. Alan Permutt教授) の研究員として勤務。1993年山口県に戻り、山口大学医学部附属病院(第3内科)医員、1995年同病院助手、1997年同病院講師、2002年に同大学院医学系研究科応用医工学系独立専攻生体シグナル解析医学講座分子病態解析学(旧内科学第3講座)教授、同大医学部附属病院第3内科科長を併任。
本田 悦朗(ほんだ えつろう、1955年(昭和30年)1月 … 本田 悦朗(ほんだ えつろう、1955年(昭和30年)1月 - )は、日本の大蔵官僚、経済学者(国際金融・金融政策)。TMI総合法律事務所顧問。 財務総合政策研究所研究部部長、四国財務局局長、外務省大臣官房審議官(欧州局担当)、財務省大臣官房政策評価審議官、静岡県立大学国際関係学部教授、内閣官房参与、スイス駐箚特命全権大使兼リヒテンシュタイン駐箚特命全権大使兼欧州金融経済担当特命大使などを歴任した。 1955年、和歌山県にて生まれた。和歌山県和歌山市、岩出市、有田郡、日高郡などで育った。和歌山県立橋本高等学校を卒業後、上京して東京大学に入学する。1978年、同大学法学部第1類(私法コース)を卒業し、法学士を取得した。
脇田 哲志 (わきた てつし 1955年 - ) は、元NH… 脇田 哲志 (わきた てつし 1955年 - ) は、元NHKアメリカ総局長、中国総局長、国際放送局長。元京都光華女子大学副学長、教授。 京都光華女子大学名誉教授。 和歌山県橋本市出身。1974年、和歌山県立橋本高校を卒業。 1979年、京都大学法学部を卒業し、NHK入局。北九州放送局記者を経て、報道局社会部で、警視庁担当。1988年、プリンストン大学ウッドロー・ウイルソン国際公共政策大学院で客員研究員。帰国後、報道局国際部を経て、1991年からNHKロサンゼルス支局長。1993年、NHKアメリカ総局(ニューヨーク)に赴任し、主に国連を担当した。1995年に帰国後、報道局国際部デスク勤務。 1998年、NHK中国総局長に就任。
中辻 憲夫(なかつじ のりお、1950年3月26日 - )は… 中辻 憲夫(なかつじ のりお、1950年3月26日 - )は、日本の生物学者。京都大学名誉教授。理学博士(京都大学、1977年)。和歌山県出身。 胚性幹細胞(ES細胞)をはじめ、精子形成細胞や胎児期生殖細胞など、様々な細胞の発生分化制御機構の研究における権威である。 厳しい倫理規制の下、日本で最初に受精した胚からヒトES細胞の株の作成方法を樹立するとともに、ヒトES細胞株の分配体制も確立するなど、日本の再生医学分野の発展において、その功績は計り知れない。
広畑 良次(ひろはた よしつぐ、1947年 - )は、日本の… 広畑 良次(ひろはた よしつぐ、1947年 - )は、日本の元アマチュア野球選手である。ポジションは投手。 橋本高等学校では、3年生時に1965年夏の甲子園県予選でエースとして活躍。140kmのストレートを武器としていた。しかし、体調不良により、思うような投球ができずに、準々決勝で県立和歌山商業高等学校に敗退し、甲子園への出場は実現しなかった。同年のドラフト会議で東映フライヤーズから2位指名されたが入団を拒否し、立教大学に進学する。 大学卒業後は帰郷し、家業の生花店を手伝いながら、1970年夏から30年間に亘って、母校の橋本高校の野球部監督を務めた。2008年をもって勇退し、翌年には育成功労賞を受賞した。
松山 恒昭(まつやま つねあき、1942年 <昭和17年> … 松山 恒昭(まつやま つねあき、1942年 <昭和17年> 12月7日 - )は、日本の裁判官、弁護士。神戸地方裁判所長や、大阪高等裁判所部総括判事を務めた。瑞宝重光章受章。 1961年和歌山県立橋本高等学校卒業。1965年東京都立大学法経学部法学科卒業。参議院法制局参事を経て、1966年旧司法試験に合格。大阪地方裁判所部総括判事、釧路地方裁判所長、司法研修所第1部上席教官を経て、2001年神戸地方裁判所長。2004年大阪高等裁判所部総括判事。2008年大阪弁護士会弁護士登録。2013年瑞宝重光章受章。法務省難民審査参与員、近畿大学法科大学院教授等も歴任した。
古川 勝(ふるかわ まさる、1936年(昭和11年)1月6日… 古川 勝(ふるかわ まさる、1936年(昭和11年)1月6日 - 1993年(平成5年)11月21日)は、和歌山県橋本町(現・橋本市)出身の水泳(競泳)選手。1956年メルボルンオリンピック200メートル平泳ぎ金メダリスト。独自の潜水泳法を編み出し、同時期に就役したアメリカ海軍の潜水艦になぞらえ「人間ノーチラス」の異名をとった。 1936年ベルリンオリンピック金メダリストの前畑秀子とは同じ町内の出身であった。古川は幼い頃から紀ノ川で水に親しみ、中学3年で全国大会3位、さらに和歌山県立橋本高等学校在学の頃から頭角を現わす。前畑の薦めにより、平泳ぎに専念するようになった。1952年ヘルシンキオリンピックには派遣されなかったが、同じ年に行われた全日本選手権でヘルシンキオリンピック第2位を上回る記録を出した。
添田 清美(そえだ きよみ 1920年4月1日 - 2021… 添田 清美(そえだ きよみ 1920年4月1日 - 2021年12月11日)は、日本の寺庭婦人、高野山の宿坊ビジネスの元祖。センテナリアン。旧姓・土生川。 和歌山県出身、和歌山県立橋本高等女学校卒業、東京女子大学卒業。 教師の家に生まれ育つ。女学校で英語が好きになり、教育熱心な親のおかげで大学進学し英語を専攻する。卒業後は横浜正金銀行に就職したものの、東京が空襲を受けるようになったことから帰郷。帰郷後は周囲から女学校での家庭科教師になるように望まれていたのに対し、本人は英語教師を希望していたが敵性語のために叶わなかった。1946年に高野山の宿坊・蓮華定院に嫁ぐ。戦後の宿坊には進駐軍が訪れるようになり英語力が役立った。