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藤井 一博(ふじい かずひろ、1977年12月23日 - )… 藤井 一博(ふじい かずひろ、1977年12月23日 - )は、日本の政治家、医師。自由民主党所属の参議院議員(1期)。元鳥取県議会議員(2期)。 鳥取県生まれ。東伯郡東郷町(現:湯梨浜町)で育つ。1996年3月、鳥取県立鳥取西高等学校卒業。2005年3月、鳥取大学医学部卒業。2007年4月、横須賀市立市民病院で消化器外科医を務める。2014年12月、同消化器外科主任医長。 2015年4月、鳥取県議会議員選挙(東伯郡選挙区)に立候補し自由民主党公認で立候補し無投票で初当選。2019年の県議選で再選。 2022年2月、自民党鳥取県連は同年7月の第26回参議院議員通常選挙における鳥取県の特定枠候補者を藤井に決定。
田村 耕太郎(たむら こうたろう、1963年7月23日 - … 田村 耕太郎(たむら こうたろう、1963年7月23日 - )は、日本の経営者、元政治家。元参議院議員(2期)。一橋大学ビジネス・スクール(国際企業戦略専攻(ICS)、英語プログラム)の客員教授を2023年から2026年に努める。 義父は新日本海新聞社社主、グッドヒル社長を務めた吉岡利固。 鳥取市立遷喬小学校、鳥取市立北中学校、鳥取県立鳥取西高等学校、早稲田大学商学部卒業、慶應義塾大学大学院経営管理研究科経営管理専攻修士課程修了(MBA課程)。在学中にフランス高等経営大学院(HEC-ISA)に交換留学。 山一證券に新入社員として入社すると、企業買収・合併担当に抜擢され、1990年から1991年に全社で営業成績第1位となった。
竹内 功(たけうち いさお、1951年〈昭和26年〉12月1… 竹内 功(たけうち いさお、1951年〈昭和26年〉12月18日 - )は、日本の政治家、建設・国土交通官僚。参議院議員(1期)、鳥取県鳥取市長(3期)を務めた。 鳥取県鳥取市生まれ。鳥取県立鳥取西高等学校を経て、東京大学法学部卒業。1974年、建設省(現国土交通省)に入省。 2002年4月7日に行われた鳥取市長選挙に出馬。現職の西尾迢富ら3候補を破り、初当選を果たした。同年4月15日、市長就任。 2012年8月14日夜、鳥取しゃんしゃん祭の閉会式で、高さ1メートルの仮設ステージで挨拶し階段を下りる際にバランスを崩し、転落する 2012年5月、「耐震改修を実施」と「新築移転」の2択で実施された住民投票に際し、住民投票の結果を尊重すると公言していた。
鉄永 幸紀(てつなが ゆきのり、男性、1947年11月21日… 鉄永 幸紀(てつなが ゆきのり、男性、1947年11月21日 - 2015年12月8日)は、日本の政治家・実業家。青谷町議会議員(4期)、鳥取県議会議員(6期)。社会福祉法人青谷福祉会理事長。有限会社鉄永商店代表取締役。 鳥取県気高郡青谷町(現・鳥取市)生まれ。 1966年3月、鳥取県立鳥取西高等学校卒業。大阪大学理学部在学中の1969年1月、父を交通事故で亡くし、家業「鉄永商店」を継ぐため中退。その後、鉄永商店の経営再建を成功させた。 1973年7月、25歳で青谷町議会議員に初当選。1985年7月、青谷町議会議長。1988年7月、鳥取県町村議会議長会議長。 1991年4月、鳥取県議会議員で初当選。
米原 昶(よねはら いたる、1909年(明治42年)2月7日… 米原 昶(よねはら いたる、1909年(明治42年)2月7日 - 1982年(昭和57年)5月31日)は、日本の政治家。衆議院議員(日本共産党公認、3期)。日本共産党幹部会委員。 鳥取県八頭郡智頭町生まれ。智頭は江戸時代は因幡街道の宿場町・智頭宿として栄え、実家は代々「もめんや」の屋号で呉服類や小間物の商いをしていた。旧制の鳥取中学(現在の鳥取西高)を経て旧制一高に入学するも、学生運動に携わったことで放校処分が下る。一高在学中より27年テーゼや社会科学研究会などを通じて日本共産党への関心を深め、弘世 哲夫の変名で地下活動をおこない、1945年、第二次世界大戦の敗戦と民主化により合法化された同党へ入党。
石破 二朗(いしば じろう、1908年〈明治41年〉7月29… 石破 二朗(いしば じろう、1908年〈明治41年〉7月29日 - 1981年〈昭和56年〉9月16日)は、日本の内務・建設官僚、政治家。位階は正三位。勲章は勲一等瑞宝章。 参議院議員(2期)、鳥取県知事(第39代)。鈴木善幸内閣において、自治大臣(第28代)兼国家公安委員会委員長(第38代)を務めた。 第102-103代内閣総理大臣、第28代自由民主党総裁である石破茂の父。 太宰治、永井荷風の著作物を好む。 田中角栄元首相は友人である。安田貞栄境港市長(第3代)が石破に「あなたは元気である限り、本県県政を担当願うことが県民のためになると思う。それほどあなたを高くかっておるが東京では(自民党の)田中派に属しておることが釈然としませんね」と言った時「君は田中という人を知らんからだ。
古井 喜実(ふるい よしみ、別表記 : 古井 喜實、1903… 古井 喜実(ふるい よしみ、別表記 : 古井 喜實、1903年 <明治36年> 1月4日 - 1995年 <平成7年> 2月3日)は、日本の内務官僚、政治家。日中友好議員連盟会長を務めた。位階は正三位。 鳥取県八頭郡国中村(現・八頭町)に、古井實壽の二男として生まれる。生家は祖父久次郎の代からすでに田五町歩、山林三町歩をもつ小地主だった。父實壽は古井が生まれたころ、郡役所の書記だったが後に国中村の村長を務めた。 旧制鳥取中学校(現・鳥取県立鳥取西高等学校)、第三高等学校を経て、1922年東京帝国大学法学部英法科に入学する。なお中学時代の同期生に政治学者の矢部貞治がいる。1925年内務省に入省する。
木島 節夫(きしま せつお、1901年〈明治34年〉 - 1… 木島 節夫(きしま せつお、1901年〈明治34年〉 - 1978年〈昭和53年〉10月19日)は、日本の政治家。鳥取県八頭郡若桜町長。若桜町議会議長。若桜町森林組合組合長理事。位階は正六位。勲五等双光旭日章。 鳥取県八頭郡若桜村(現・若桜町)出身。鳥取県立鳥取第一中学校を卒業する。前若桜町長太田義太郎辞職の後を承けて候補者に推され、無投票当選する。 1958年3月14日から1962年3月8日までと同年3月12日から1966年2月25日まで若桜町議会議長をつとめる。1966年3月23日から1970年3月22日まで若桜町長をつとめる。1978年死去。死没日付をもって正六位に叙された。 住所は鳥取県八頭郡若桜町大字若桜。
中尾 脩(なかお おさむ、1889年〈明治22年〉10月14… 中尾 脩(なかお おさむ、1889年〈明治22年〉10月14日 - 没年不明)は、日本の実業家、政治家、地主、鳥取県多額納税者。族籍は鳥取県平民。 鳥取県八東郡若桜村(のち八頭郡若桜村、現・若桜町)出身。中尾徳雄の二男。長兄の夭折により、鳥取中学校を中途退学する。山林業、農業、貸付業を営む。 1916年(大正5年)、若桜町会議員となる。協立銀行若桜支店長、若桜運送社長、八頭木材取締役、八頭銀行取締役をつとめる。 若桜の山林素封家である。名聞利欲に恬淡であり、県会その他実業団体等に乗り出す機会は幾度もあったが、常に固辞してうけず、時流に超然たる態度をとり、自から長者の風格を持していた。 貴族院多額納税者議員選挙の互選資格を有する。
稲田 直道(稻田 直道、いなだ なおみち、1889年(明治2… 稲田 直道(稻田 直道、いなだ なおみち、1889年(明治22年)7月7日 - 1979年(昭和54年)4月29日)は、大正から昭和期の実業家、政治家。衆議院議員(4期)。 鳥取県邑美郡古市村(岩美郡美保村古市を経て現鳥取市古市)で、稲田益造、ちせ夫妻の長男として生まれる。1908年(明治41年)鳥取県第一中学校(現鳥取県立鳥取西高等学校)を卒業。在学中、日露戦争後の満韓の視察を行った。1908年、第六高等学校に入学したが中退し、1909年(明治42年)早稲田大学に転じた。在学中、雄弁会幹事を務め、南極探検事業、理想選挙、憲政擁護運動の遊説を全国各地で行った。1915年(大正4年)同大政治経済科を卒業。
田中 信義(たなか のぶよし、明治22年(1889年)3月8… 田中 信義(たなか のぶよし、明治22年(1889年)3月8日 - 昭和35年(1960年)4月11日)は、日本の政治家、実業家。参議院議員(1期)。旧姓下田。信儀と表記される場合がある。 衆議院議員下田勘次、鳥取大学長下田光造の弟。 鳥取県八頭郡佐貫村和奈見(現・鳥取市河原町和奈見)に生まれた。下田弥平の三男。 旧制鳥取第一中学校(現・鳥取県立鳥取西高等学校)を経て1907年、東京帝国大学農科大学に入学。卒業後帰郷し、八頭郡国英村三谷の田中嘉十郎の養子となる。農業を営む。 早くから郡会議員、郡農会長、県会議員を歴任し、1941年には県会議長に就任するなど地方政界において民政系に属して活躍した。
由谷 義治(ゆたに よしはる、明治21年(1888年)3月1… 由谷 義治(ゆたに よしはる、明治21年(1888年)3月1日 - 昭和33年(1958年)10月8日)は、日本の政治家、実業家。鳥取県多額納税者。鳥取市会議員、鳥取県会議員、衆議院議員。鳥取電機製造社長。 鳥取市川端四丁目、鹿野街道の呉服商で地主の由谷喜八郎の長男に生まれる。油谷家は県内屈指の資産家。 旧制鳥取県第一中学校(現・鳥取県立鳥取西高等学校卒業。在校中に同級生の橋浦時雄らと社会主義グループを結成。早稲田大学中退。父・喜八郎が創業した運送業に従事。1912年家督を相続する。二十代はもっぱら運送屋の若主人として、厚司と前垂れ姿でよく働いた。 1919年(大正8年)5月に市会議員、9月に県会議員となり、1924年に第15回衆議院議員総選挙で衆議院議員に当選して以来、太平洋戦争終結まで政治家として活躍した。
木島 可恵(きしま よしえ、1883年〈明治16年〉12月2… 木島 可恵(きしま よしえ、1883年〈明治16年〉12月2日 - 1973年〈昭和48年〉1月22日)は、日本の会社役員、地主、鳥取県多額納税者、銀行家、政治家。木島合名会社代表社員。鳥取県会議員。鳥取大丸相談役。 鳥取県八頭郡若桜村大字若桜(現・若桜町)出身。木島七次郎の二男。1901年に鳥取中学校を卒業し、第一高等学校に入学したが、父親の死のため中途退学する。 農業、山林業を営む。家業に従事するとともに若桜町会議員となる。さらに森林開発が県産業発達上急務であることに着眼し、常に意をここに注ぎ、地方森林会、県山林会等に関与する。 1910年11月、若桜銀行頭取に就任する。1921年、八頭木材取締役になる。
谷口 源十郎(たにぐち げんじゅうろう、1883年〈明治16… 谷口 源十郎(たにぐち げんじゅうろう、1883年〈明治16年〉5月7日 - 1979年〈昭和54年〉11月21日)は、日本の実業家、政治家、鳥取県多額納税者。衆議院議員(当選2回)。鳥取銀行取締・相談役。 鳥取県岩美郡大路村(のち岩美郡米里村東大路、現・鳥取市東大路)の豪農の家に生まれた。谷口竫晃の長男。1902年、鳥取県立鳥取中学校(現・鳥取県立鳥取西高等学校)卒業。農業を営む。 鳥取税務署管内所得調査委員、広島税務署監督局管内所得審査委員、鳥取県議、米里村議、岩美郡農会長、鳥取県農会議員となる。因伯産業社長、大正鳥取銀行取締役、鳥取新報社監査役、鳥取県米穀会副会長、鳥取銀行頭取、鳥取大丸取締役となる。
石谷 源十郎(いしたに げんじゅうろう、1876年〈明治9年… 石谷 源十郎(いしたに げんじゅうろう、1876年〈明治9年〉11月30日 - 1951年〈昭和26年〉)は、日本の実業家、政治家、鳥取県多額納税者、地主。鳥取県会議員。鳥取県八頭郡智頭町会議員。八頭銀行頭取。因幡木材会社社長。因伯時報社取締役。 鳥取県八頭郡智頭町大字智頭出身。石谷源蔵の長男。1896年、鳥取中学校を卒業する。1905年、家督を相続する。父祖の家業である農業、林業の経営に従事する。 1911年、鳥取県会議員に当選し1期間をつとめ政友会鳥取県支部の幹部として活躍し、1919年、政友会鳥取県支部幹事長に挙げられる。 政友会に属し、地方名望家としてその名を知られる。政友会系統の政治家として智頭町を二分してアンチ米原民政派の勢力の中心だった。
奥田 義人(おくだ よしと / よしんど / ぎじん、186… 奥田 義人(おくだ よしと / よしんど / ぎじん、1860年7月31日〈万延元年6月14日〉- 1917年〈大正6年〉8月21日)は、明治時代から大正時代にかけての日本の官僚・政治家・法学者。学位は、法学博士。従二位勲一等。男爵。号は秋軒。 衆議院議員(当選2回)、貴族院議員(勅選)、第1次山本内閣で文部大臣兼司法大臣を歴任したほか、晩年には請われて東京市長も務めている。また中央大学の創設者の一人で、第2代学長。 因幡国邑美郡栗谷町(現在の鳥取市栗谷町)に生まれる。幼名は留三郎。父の奥田鉄蔵は禄高300石の鳥取藩士で、作事組頭、武術師範を務めた。 7歳のとき藩の儒者坂田順蔵の門弟となり、藩校・尚徳館に入学。