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山内 功(やまうち おさむ、1954年10月16日 - )は… 山内 功(やまうち おさむ、1954年10月16日 - )は、日本の弁護士、政治家。衆議院議員(2期)を務めた。 鳥取県米子市出身。鳥取県立米子東高等学校、中央大学法学部卒。 卒業後、司法試験に合格、司法修習後、判事補、裁判官として東京や熊本など各地の裁判所に勤務する。 1996年の第41回衆議院議員総選挙に新進党公認で鳥取2区より出馬したが、自由民主党の相澤英之に敗れ、比例復活もできずに落選。その後、新進党解党に伴い、民主党に入党。2000年の第42回衆議院議員総選挙に民主党公認で再び鳥取2区から出馬し、小選挙区では相澤に敗れるも比例中国ブロックより復活し初当選した。以後2期連続当選。 党内では民主党鳥取県連代表代行や「あすの内閣」法務副大臣などを務めた。
三好 幹夫(みよし みきお、1950年10月23日 - )は… 三好 幹夫(みよし みきお、1950年10月23日 - )は、日本の裁判官・弁護士。最高裁判所調査官や、東京高等裁判所部総括判事、上智大学大学院教授、内閣人事局退職手当審査会会長、法務省司法試験考査委員等を歴任した。 鳥取県出身。鳥取県立米子東高等学校を経て、1973年名古屋大学法学部卒業。1976年名古屋大学大学院法学研究科修士課程修了、法学修士。司法修習を経て、1978年東京地方裁判所判事補任官。1981年から1982年まで判事補在外特別研究員としてロンドン大学キングス・カレッジ・ロンドンや王立裁判所に留学。 広島地方裁判所判事補を経て、1984年裁判官弾劾裁判所事務局課長兼参議院法制局参事。
青戸 辰午(あおと たつご、明治30年(1897年)6月30… 青戸 辰午(あおと たつご、明治30年(1897年)6月30日 - 昭和47年(1972年)5月)は、日本の弁護士、政治家。旧名は貞吉。 鳥取県日野郡日南町出身。甚太郎の長男。 米子中学、松江中学を経て、大正7年(1918年)早大中退。昭和3年(1928年)、朝鮮において弁護士開業。昭和6年(1931年)に鳥取県米子市に移住した後も引き続き開業した。 戦前に米子市会議員を1期務め、戦後は鳥取県地方労働委員会委員、人権擁護委員、米子市選挙管理委員会委員、鳥取県人事委員会委員などに選任され、その功績により昭和37年(1962年)に藍綬褒章を授与された。 昭和47年(1972年)5月、74歳で亡くなった。
雑賀 愛造(さいが よしぞう、明治27年(1894年)8月 … 雑賀 愛造(さいが よしぞう、明治27年(1894年)8月 - 昭和55年(1980年)5月)は日本の弁護士、公証人。旧姓稲田。 洋食のレストラン“十字屋”を経営し、市会議員をつとめた野坂康久(旧姓稲田)の実弟。日本商工会議所会頭、王子製紙社長などを歴任した足立正の足立家と雑賀家は姻戚関係にある。次女春子は元・丸神海産取締役社長石指集三の妻。 鳥取県米子市出身。酒造業稲田家に生まれ、雑賀家の婿養子になる。義父雑賀啓次郎は弁護士で県議をつとめた。 米子中学(現米子東高校)、岡山の第六高等学校を経て大正9年(1920年)東京帝国大学法科卒業、王子製紙に入社する。当時の社長は藤原銀次郎、工場長は足立正で、足立家と雑賀家は姻戚関係にあり義父のすすめによったものという。
久埜 茂(くの しげる、1884年(明治17年)10月 - … 久埜 茂(くの しげる、1884年(明治17年)10月 - 1970年(昭和45年))は、日本の逓信官僚、弁護士。元逓信省郵務局長。 鳥取県会見郡西福原村(現米子市西福原)出身。久埜龜吉の長男。 米子中学(現米子東高校)、岡山の第六高等学校を卒業。次いで上京し東京帝国大学法科大学法律学科(獨法)へ入り1911年(明治44年)卒業。文官高等試験に合格し逓信省に入る。以来、通信事務官補、逓信局事務官補、逓信局副事務官兼戦時船舶管理局事務官、管船局書記官、逓信書記官兼高等海員審判所審判官、台湾総督府交通局参事、逓信大臣官房秘書課長同監察課長、広島逓信局長、逓信省郵務局長兼逓信官吏練習所長などを歴任した。