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小室 光男(こむろ みつお、1947年4月19日 - )は、… 小室 光男(こむろ みつお、1947年4月19日 - )は、島根県出身の元プロ野球選手。右投右打で、ポジションは内野手、外野手。 島根県松江商業では遊撃手で主将。1965年春季中国大会では決勝に進出。関西高の森安敏明らに抑えられ準優勝にとどまるが、好選手として注目された。100m走11秒台の足をもち、高校時代の通算打率は3割。 同年の第1回プロ野球ドラフト会議で西鉄ライオンズに13位指名され入団した。2年間は一軍出場がなかったが、1968年8月21日に日生球場で行われた近鉄バファローズ戦に代打で初出場。初打席で加藤英夫の初球を打ち、塩瀬盛道以来当時2人目となる初球でプロ初打席初本塁打を記録した。
大沢 貞義(おおさわ さだよし、1926年 - )は、島根県… 大沢 貞義(おおさわ さだよし、1926年 - )は、島根県出身の元アマチュア野球選手(投手、内野手、外野手)。 松江商業学校から1948年に立教大学に進学。投手、主力打者として活躍する。東京六大学野球リーグでは優勝には届かなかったが、1950年秋季リーグでは早大に次ぐ2位。1951年春季リーグでは13試合に登板し早慶両校との3者プレーオフに持ち込むが、敗退し3位に終わった。同季は42打数17安打、打率.405で首位打者となる。リーグ通算57試合登板、24勝19敗、156奪三振、防御率2.75。 卒業後は熊谷組に入社、エース兼右翼手として起用される。1952年の都市対抗で準決勝に進むが全鐘紡に敗退。
木村 忠雄(きむら ただお、1921年 - 没年不詳)は、島… 木村 忠雄(きむら ただお、1921年 - 没年不詳)は、島根県出身のプロ野球選手。 松江商業から1942年に南海軍へ入団。1943年退団。
山本 栄一郎(やまもと えいいちろう、1902年(明治35年… 山本 栄一郎(やまもと えいいちろう、1902年(明治35年)3月8日 - 1979年(昭和54年)12月15日)は、日本のプロ野球選手。日本初のプロ野球球団である日本運動協会で主将を務め、後に東京巨人軍(現・読売ジャイアンツ)にも入団した。右投げ右打ちで、守備位置は投手を中心に捕手以外のほぼ全て。投法はサイドスローであった。 大の餅好きであったことから、チームメイトからは「バブさん」(バブは島根の方言で餅のこと)のあだ名で呼ばれた。 島根県松江市出身。島根商業(現・島根県立松江商業高等学校)卒業後、神戸で働いていたが、1920年(大正9年)、早稲田大学野球部OBである加藤吉兵衛(後に山陽クラウンズの総監督)の紹介で日本運動協会の入団テストを受け合格。