スポーツ選手、俳優、学者、実業家、芸能人など各界で活躍する人物情報に加え、外の言語(多言語)で紹介されている内容や、その人物にゆかりのある地の観光資源データを集めました。
青山 聖佳(あおやま せいか、1996年5月1日 - )は、… 青山 聖佳(あおやま せいか、1996年5月1日 - )は、日本の女子陸上競技選手。専門は短距離走。 主に200mと400mが専門。 松江市立第一中学校から島根県立松江商業高等学校に進学し、高校生になってから200mで頭角を現した。高校1年生ながら高校総体で5位に入り、国体では優勝した。翌年からは400mでも記録を伸ばし、高校総体で4位、国体で3位に入った。 2014年、中国高校選手権で100m、200m、400mの3冠を達成した。日本選手権に初出場し、200mでは9位、400mでは2位だったものの、アジア大会の代表に選出された。高校総体では200mと400mの2冠を達成している。アジア大会では400mの予選で自己新、日本歴代4位となる52秒99を記録し決勝に進出した。
三代 直樹(みしろ なおき、1977年3月16日 - )は… 三代 直樹(みしろ なおき、1977年3月16日 - )は、日本の陸上競技選手。陸上競技指導者。専門は長距離種目。島根県松江市出身。島根県立松江商業高等学校、順天堂大学卒業。富士通陸上競技部所属。世界陸上選手権エドモントン大会日本代表。身長166cm、体重53kg。 順天堂大学時代は長距離トラック種目を中心に優れた結果を残し、日本インカレではダニエル・ジェンガや小林雅幸、山本佑樹(日本大学)らと頂点を競い、4年時(1998年)には5000m・10000mともに優勝を飾った。駅伝では、箱根駅伝に1年(1996年)から出場し、2年時1997年以降順天堂大学のエースとして、当時の駒澤大学のエース藤田敦史、東海大学の諏訪利成らと名勝負を演じた[独自研究?]。
吉岡 敏朗(よしおか としろう、1956年10月25日 - … 吉岡 敏朗(よしおか としろう、1956年10月25日 - )は、日本の映画監督。 島根県松江市出身。 日本大学芸術学部映画学科で映画の監督法を学び卒業後、テレビ、ドキュメンタリー、PRビデオなど、様々なジャンルの映画・映像を制作し、作成本数は300を超える。福岡正信との出会いを契機に自然農法の援農も行うなど映画作法の原点には自然の哲理が息づく。受賞歴は、カルロヴィバリ映画祭(CILECT) 優秀賞、日本産業映画コンクール 奨励賞、リッチモンド国際映画祭 佳作、カナダ国際映画祭 優秀賞 など多数。 1956年10月25日 - 島根県松江市で生まれる。松江の宍道湖岸で育つ。湖岸に打ち寄せる瑪瑙(メノウ)を集めたり、湖に沈む夕陽を見つめる自然豊かな日常から色彩感覚を自ずと養う。
小室 光男(こむろ みつお、1947年4月19日 - )は、… 小室 光男(こむろ みつお、1947年4月19日 - )は、島根県出身の元プロ野球選手。右投右打で、ポジションは内野手、外野手。 島根県松江商業では遊撃手で主将。1965年春季中国大会では決勝に進出。関西高の森安敏明らに抑えられ準優勝にとどまるが、好選手として注目された。100m走11秒台の足をもち、高校時代の通算打率は3割。 同年の第1回プロ野球ドラフト会議で西鉄ライオンズに13位指名され入団した。2年間は一軍出場がなかったが、1968年8月21日に日生球場で行われた近鉄バファローズ戦に代打で初出場。初打席で加藤英夫の初球を打ち、塩瀬盛道以来当時2人目となる初球でプロ初打席初本塁打を記録した。
大沢 貞義(おおさわ さだよし、1926年 - )は、島根県… 大沢 貞義(おおさわ さだよし、1926年 - )は、島根県出身の元アマチュア野球選手(投手、内野手、外野手)。 松江商業学校から1948年に立教大学に進学。投手、主力打者として活躍する。東京六大学野球リーグでは優勝には届かなかったが、1950年秋季リーグでは早大に次ぐ2位。1951年春季リーグでは13試合に登板し早慶両校との3者プレーオフに持ち込むが、敗退し3位に終わった。同季は42打数17安打、打率.405で首位打者となる。リーグ通算57試合登板、24勝19敗、156奪三振、防御率2.75。 卒業後は熊谷組に入社、エース兼右翼手として起用される。1952年の都市対抗で準決勝に進むが全鐘紡に敗退。
木村 忠雄(きむら ただお、1921年 - 没年不詳)は、島… 木村 忠雄(きむら ただお、1921年 - 没年不詳)は、島根県出身のプロ野球選手。 松江商業から1942年に南海軍へ入団。1943年退団。
芦田 伸介(あしだ しんすけ、1917年〈大正6年〉3月14… 芦田 伸介(あしだ しんすけ、1917年〈大正6年〉3月14日 - 1999年〈平成11年〉1月9日)は、日本の俳優。本名:蘆田 義道(あしだ よしみち)。 満洲で演劇活動に加わり、敗戦の引き揚げ後に劇団民藝に入団。1950年代からは日活のアクション映画に常連出演し、舞台を中心に映画・テレビドラマと幅広く活躍した。渋い演技に定評があり、ドラマ『七人の刑事』『氷点』の演技で人気を得た。著書に自伝『ほろにがき日々』など。妻は元タカラジェンヌの香久美ひかる(本名:石川明子)。娘婿は俳優の松山英太郎、孫は女優の由夏と俳優の芦田昌太郎。 1917年(大正6年)3月14日(水曜日)、島根県松江市に生まれる。
横山 重之(よこやま しげゆき、大正3年(1914年) - … 横山 重之(よこやま しげゆき、大正3年(1914年) - 昭和52年(1977年))は、日本の実業家。能義醤油株式会社(現・ヤマノ株式会社)元取締役会長。横山家第10代当主。
山城 章(やましろ あきら、1908年5月3日 - 1993… 山城 章(やましろ あきら、1908年5月3日 - 1993年2月3日)は、日本の経営学者。一橋大学・創価大学名誉教授。 鳥取県日野郡阿毘縁村(現・日南町)に生まれる。1927年島根県立商業学校(現・島根県立松江商業高等学校)卒、1930年高松高等商業学校(現・香川大学経済学部)卒、1933年東京商科大学(現・一橋大学)卒。増地庸治郎の指導を受けた。1961年「現代企業の経営学的研究」で一橋大学より商学博士の学位を取得。横浜市立横浜商業専門学校(現・横浜市立大学)教授、東京商科大学教授、1949年一橋大学助教授、1952年教授。1972年定年退官、名誉教授、東洋大学経済学部教授、1978年創価大学経営学部教授、のち名誉教授。
周藤 吉之(すとう よしゆき、1907年2月25日 - 19… 周藤 吉之(すとう よしゆき、1907年2月25日 - 1990年1月21日)は、日本の中国史学者、東京大学名誉教授。 島根県簸川郡直江村大字下直江(現・出雲市斐川町直江)に生まれる。旧制島根県立商業学校(現・島根県立松江商業高等学校)、旧制松江高等学校文科乙類を経て、東京帝国大学文学部東洋史学科卒。宋代史の専門家で東京大学東洋文化研究所教授を務め、1956年「中国土地制度史研究」で日本学士院賞受賞、1957年文学部東洋史学科教授、1967年定年退官。
小泉 清三郎(明治38年(1905年)8月11日 - 没年不… 小泉 清三郎(明治38年(1905年)8月11日 - 没年不明)は、日本の実業家。小泉商店代表社員。 大正12年(1923年)島根県立商業学校卒。鳥取県履物統制組合理事長、同履物工業統制組合理事、同屑ゴム利用製品統制組合理事長、米子商工会議所議員、米子市万能町町内会長等を歴任。万能神社総代、瑞仙寺檀徒総代を兼任す。 趣味は読書。宗教は禅宗。住所は米子市万能町。 昭和9年(1934年)3月1日、万能町・小泉清三郎方より出火損害五千圓。 大正11年(1922年10月)『西伯之資力』によると、地価二百円以上納入者として、小泉清三郎(履物製造、九百九十六円八十八銭)、河原仁十(魚類問屋業、四百七十八円五十四銭)の二人がみえ、所得税納入者は十七人、国税営業税納入者として次の十七人の名が記されている
山本 栄一郎(やまもと えいいちろう、1902年(明治35年… 山本 栄一郎(やまもと えいいちろう、1902年(明治35年)3月8日 - 1979年(昭和54年)12月15日)は、日本のプロ野球選手。日本初のプロ野球球団である日本運動協会で主将を務め、後に東京巨人軍(現・読売ジャイアンツ)にも入団した。右投げ右打ちで、守備位置は投手を中心に捕手以外のほぼ全て。投法はサイドスローであった。 大の餅好きであったことから、チームメイトからは「バブさん」(バブは島根の方言で餅のこと)のあだ名で呼ばれた。 島根県松江市出身。島根商業(現・島根県立松江商業高等学校)卒業後、神戸で働いていたが、1920年(大正9年)、早稲田大学野球部OBである加藤吉兵衛(後に山陽クラウンズの総監督)の紹介で日本運動協会の入団テストを受け合格。