スポーツ選手、俳優、学者、実業家、芸能人など各界で活躍する人物情報に加え、外の言語(多言語)で紹介されている内容や、その人物にゆかりのある地の観光資源データを集めました。
日下 康幸(くさか やすゆき、1973年 - )は、日本の実… 日下 康幸(くさか やすゆき、1973年 - )は、日本の実業家。アストロラボ株式会社(東京都港区)の代表取締役CEOである。 岡山県津山市出身。岡山県立津山高校卒業と同時に渡米。デンバー大学ビジネススクール学士課程修了。同校コンピューターインフォメーション修士課程修了。 卒業後、アーサー・アンダーセン(現PwC Japan)へ入社。数多くのデジタル化のためのBPR(ビジネス・プロセス・リエンジニアリング)・業務システム構築プロジェクトを経験した後、2006年に消費者向けWebメディア事業を展開する会社を設立。口コミコニュニティを、立ち上げ3年で月間400万人以上の利用者を有するサービスへと成長させ2012年売却。
小林 充佳(こばやし みつよし、1957年〈昭和32年〉11… 小林 充佳(こばやし みつよし、1957年〈昭和32年〉11月3日 - )は、日本の実業家。岡山県津山市出身。西日本電信電話(NTT西日本)相談役・前代表取締役社長 社長執行役員、関西経済連合会副会長。 岡山県立津山高等学校、慶應義塾大学大学院を卒業後、1982年に日本電信電話公社に入社(國領二郎とは同期)。1985年に日本電信電話(NTT)として民営化された後は、1993年から1995年まで岡山支店副支店長を務めていた。 その後、NTT西日本に移籍し、岡山支店長やサービスマネジメント部長、取締役を経た後、2012年にNTTの取締役技術企画部門長兼新ビジネス推進室長に就任し、2014年には、新ビジネス推進室長を退任し常務取締役技術企画部門長に昇格した。
早嶋 喜一(はやしま きいち、1900年(明治33年)12月… 早嶋 喜一(はやしま きいち、1900年(明治33年)12月28日 - 1966年(昭和41年)2月4日)は、日本の実業家。産業経済新聞社長で旭屋書店の創業者。産経学園理事長。 岡山県津山市の出身。津山中学から早稲田大学に進学するも中退。職を転々とした後、1924年(大正13年)に前田久吉の経営する南大阪新聞社に入社する。前田が『南大阪新聞』・『日本工業新聞』を根城に事業を拡張すると早嶋もそれらの事業に関与し、戦時中の新聞統制に伴う合併を経て、2紙は『大阪新聞』と『産業経済新聞』となるが、早嶋は大阪新聞では専務、産業経済新聞では社長にまで登り詰める。 戦後の1947年(昭和22年)、早嶋は公職追放に伴い大阪新聞・産業経済新聞の役職を退くが、前年に大阪市北区で創業していた雑貨・化粧品販売店「旭屋商店」を書籍専業の「旭屋書店」とし、書店経営に専念する。
竹内 俊一(たけうち しゅんいち、1896年1月17日 - … 竹内 俊一(たけうち しゅんいち、1896年1月17日 - 1976年10月26日)は日本の実業家。三菱石油(現ENEOSホールディングス)社長・会長や、石油連盟会長を務めた。 大阪府出身。津山中学校(現岡山県立津山高等学校)を経て、1917年東京高等商業学校(現一橋大学)卒業後、三菱合資会社入社。三菱商事を経て、1941年から三菱石油。 1946年三菱石油社長、1936年同会長。社長就任後、各ポストの職名を変え、責任を明確化。方針決定は、合議制で行われるように組織改編を行った。 石油連盟会長や、日経連常任理事、東京ロータリークラブ会長等も歴任。 趣味はゴルフと歌舞伎鑑賞。
岡本 忠(おかもと すなお、1894年9月1日 - 1955… 岡本 忠(おかもと すなお、1894年9月1日 - 1955年9月2日)は、日本の実業家。学生時代よりテニス選手として活躍し、デビスカップやオリンピックに日本代表として出場した。 岡山県赤磐郡瀬戸町大字瀬戸(現在の岡山市東区)生まれ。津山中学校(現・岡山県立津山中学校・高等学校)を経て、東京高等商業学校(現在の一橋大学)に入学。学生時代からテニス選手として活躍した。 1917年(大正6年)、東京高等商業学校を卒業し、三井物産に入社した。 1921年(大正10年)、清水善造・鳥羽貞三と共に、皇居内コートでの初の「御前試合」に参加。 1924年パリオリンピックでは、日本代表選手4人のうちの1人で、男子シングルス (singles) と男子ダブルス (doubles) で出場。
美土路 昌一(みどろ ますいち、1886年(明治19年)7月… 美土路 昌一(みどろ ますいち、1886年(明治19年)7月16日 - 1973年(昭和48年)5月11日)は、日本のジャーナリスト、実業家。全日本空輸初代社長、朝日新聞社社長を歴任した。号は春泥。 岡山県苫田郡一宮村(現・津山市)に所在する中山神社の社家の長男として生まれる。 津山中学校(現岡山県立津山高等学校)を卒業し、早稲田大学英文科に進むが、家計が苦しくなったため、早稲田を中退。つてをたどって、1908年1月東京朝日新聞社に入社。社会部員となる。1910年、飛行機の日本初飛行を取材したことで、空への関心が芽生える。 1914年8月に日本が第一次世界大戦に参戦すると、従軍記者として青島攻囲軍に参加。