スポーツ選手、俳優、学者、実業家、芸能人など各界で活躍する人物情報に加え、外の言語(多言語)で紹介されている内容や、その人物にゆかりのある地の観光資源データを集めました。
山田 真以(やまだ まい、1988年7月19日 - )は、日… 山田 真以(やまだ まい、1988年7月19日 - )は、日本のフリーアナウンサー、ナレーター・イベントMC・ラジオパーソナリティ・リポーターとして活動する女性。 株式会社Mighty Lead代表取締役社長。 ウェブメディアの運用や営業、IT企業の広報の経験があり、新規事業の立ち上げ、セルフ写真館のプロデュースなど、ビジネスにも精力的に取り組んでいる。 岡山県津山市出身。岡山県立津山高等学校を卒業後、立命館大学生命科学部生命医科学科に進学。神戸大学大学院医学研究科バイオメディカルサイエンス修士課程修了。 2013年、ミス・アース日本代表選考会に出場し、第3位のミス・ウォーター・ジャパンを受賞。
児玉 裕輔(こだま ゆうすけ、1987年4月22日 - )は… 児玉 裕輔(こだま ゆうすけ、1987年4月22日 - )は、日本の男性プロレスラー、行政書士。徳島県鳴門市生まれ、岡山県津山市出身。 小学校一年次に津山市へ転居。津山市立北陵中学校在学中、同じ剣道部の友人から新日本プロレスのビデオを借りたことでプロレスに熱中。当時は2代目ブラック・タイガー(エディ・ゲレロ)に憧れていた。岡山県立津山高等学校を経て、子供好きなことから栃木県宇都宮市の保育系専門学校に入学、保育士資格と幼稚園教諭免許を取得。 専門学校卒業後の2009年、プロレスラーを目指しハッスルの練習生となるが、ハッスルの活動休止に伴いSMASHに移籍。 2010年4月23日、新宿FACEでのSMASH.2にて大原はじめ戦でデビュー。
光井 聡(みつい さとし、1985年10月11日 - )は、… 光井 聡(みつい さとし、1985年10月11日 - )は、日本の政治家。岡山県津山市長(1期)。 津山市立東小学校、津山市立北陵中学校、岡山県立津山高等学校、島根大学医学部医学科卒業。 2010年4月、岡山大学病院 勤務。 2013年1月、国立病院機構福山医療センター 勤務。 2016年4月、岡山大学大学院医歯薬学総合研究科 疫学・衛生学分野MPH 入学、2018年3月 修了、修士(公衆衛生学)。 2017年7月、厚生労働省 入省(中国四国厚生局 医事課長)。 2020年4月、岡山県に出向(新型コロナウイルス対策本部対策室)。 2022年4月、岡山県庁 入庁。美作保健所所長。 2023年、真庭保健所 併任。
頃安 祐良(ころやす ゆうすけ、1984年12月24日 - … 頃安 祐良(ころやす ゆうすけ、1984年12月24日 - )は、日本の映画監督。岡山県津山市出身。岡山県立津山高等学校卒業。日本大学大学院芸術学研究科映像芸術専攻博士前期課程修了。 大学時代から多くの自主映画を製作。卒業制作として発表した「穢れ多き、人に非ず」が第11回京都国際学生映画祭で準グランプリを受賞。代表作「シュナイダー」は東京学生映画祭グランプリをはじめ、第31回ぴあフィルムフェスティバルなどの様々な映画祭に入選した。「あの娘、早くババアになればいいのに」は第7回田辺・弁慶映画祭で弁慶グランプリと市民賞をW受賞。 また、映画を製作する一方で、アイドルネッサンスやトクマルシューゴ、埋火のミュージックビデオを製作。
桜乃 彩音(さくらの あやね、1983年7月11日 - )は… 桜乃 彩音(さくらの あやね、1983年7月11日 - )は、日本の女優。元宝塚歌劇団花組トップ娘役。 岡山県津山市、岡山県立津山高等学校出身。公称身長163cm。愛称は「あやね」。所属事務所は柊企画。 2000年、宝塚音楽学校入学。第88期生。同期には朝夏まなと、大湖せしる、紅ゆずる、妃咲せあら、花影アリス、春風弥里、鳳翔大などがいる。 2002年、宝塚歌劇団入団。入団時の成績は12番。星組公演「プラハの春」で初舞台。その後、花組に配属。 2003年、阪急電鉄の初詣ポスターのモデルを務め、バウホール公演「二都物語」のヒロイン・ルーシー役に抜擢。 2005年、「マラケシュ・紅の墓標」新人公演で初ヒロインを務める。
桜川 真由美(さくらがわ まゆみ、本名:稲岡真由美、1980… 桜川 真由美(さくらがわ まゆみ、本名:稲岡真由美、1980年9月19日 - )は、アーティスト、モデル、女優。オフィス・レディ・エム所属。 岡山県津山市出身。岡山県立津山高等学校卒業。京都女子大学卒業。TVCMむぎ焼酎かのか主演、2003年3月~2006年10月の期間放映される。2003年11月16日ミス京都に輝く。 身長171cm。体重50kg。血液型はA型。趣味はピアノ、映画鑑賞、絵画鑑賞。特技は歌唱、ピアノ。好きな色は緑。
日下 康幸(くさか やすゆき、1973年 - )は、日本の実… 日下 康幸(くさか やすゆき、1973年 - )は、日本の実業家。アストロラボ株式会社(東京都港区)の代表取締役CEOである。 岡山県津山市出身。岡山県立津山高校卒業と同時に渡米。デンバー大学ビジネススクール学士課程修了。同校コンピューターインフォメーション修士課程修了。 卒業後、アーサー・アンダーセン(現PwC Japan)へ入社。数多くのデジタル化のためのBPR(ビジネス・プロセス・リエンジニアリング)・業務システム構築プロジェクトを経験した後、2006年に消費者向けWebメディア事業を展開する会社を設立。口コミコニュニティを、立ち上げ3年で月間400万人以上の利用者を有するサービスへと成長させ2012年売却。
岡本 啓(おかもと あきら、1968年5月15日 - )は、… 岡本 啓(おかもと あきら、1968年5月15日 - )は、日本のローカルタレント。主に福岡県で活動する。 岡山県津山市出身。血液型はO型。愛称は「おっかー」、「岡本先生」。なお、岡本先生は、実際は岡本啓が扮しているが、別人の設定。 津山市立東中学校、岡山県立津山高等学校卒業(38期卒業生)。中学時代は卓球少年。高校1年の時にいきなり男子クラスとなり、本人曰く「暗い青春時代」を過ごす。 北九州大学(現・北九州市立大学)卒業後、プロミュージシャンを目指し上京。アルバイトをしながら生活していたものの、30歳で音楽への道を断念し、大学生時代に過ごした福岡へ戻った。 1999年、サラリーマンとして就職する予定だったが九州朝日放送の「ドォーモ新人リポーターオーディション」に合格し、30歳にして遅咲きのデビューとなった。
胡桃 ちの(くるみ ちの、1966年2月4日 - )は、日本… 胡桃 ちの(くるみ ちの、1966年2月4日 - )は、日本の漫画家。岡山県津山市出身。血液型はA型。主に4コマ漫画を執筆。掲載誌や作品の執筆内容によって複数のペンネームを使い分けている。 1985年大学在学中に4コマ漫画家デビュー。 岡山県立津山高等学校時代の1年先輩にB'zの稲葉浩志がいる。大学に進学して以降約20年間大阪府に居住していたが、2005年からは神戸市東灘区在住。 2004年から2007年にかけて芳文社の『まんがタイムラブリー』にて「つなみティーブレイク」で表紙を担当していた。また2009年末ごろより同社のまんがタイムスペシャルでも表紙を数回担当している。 2008年11月、『産経新聞』大阪版夕刊にて対談形式で掲載されている「新・関西笑談」のコーナーに2週間全12回分掲載。
瀬島 栄史(せじま まさふみ、1966年(昭和41年)2月4… 瀬島 栄史(せじま まさふみ、1966年(昭和41年)2月4日 - )は、日本の政治家。岡山県鏡野町長(1期。) 岡山県苫田郡鏡野町土居出身。岡山県立津山高等学校、法政大学法学部卒業。 1989年(平成元年)4月より、旧鏡野町役場に入庁をした後、2013年(平成25年)4月よりまちづくり課課長補佐に就任した。その後は、総務課課長補佐や、総務課統括参事を経験し、2020年(令和2年)4月には総合政策室室長に就任した。 2025年(令和7年)1月15日にて、鏡野町役場を退職し、同月16日に任期満了及び引退に伴う、鏡野町長選に5期を務めた山崎親男町長の後継として立候補する意向を示した。 2025年(令和7年)3月30日執行。
照尾 暢浩(てるお のぶひろ、1965年10月22日 - )… 照尾 暢浩(てるお のぶひろ、1965年10月22日 - )は、岡山県津山市出身の空手家・武道家・護身術の指導者。国際護身道場SDトルネード代表。 幼少のころより柔道に親しみ、高専柔道の流れを汲む津山高校で寝技を得意とした。愛媛大学進学後は、空手部に所属し、その後、芦原会館総本部道場(愛媛県松山市)にて、指導員をつとめ、芦原英幸とともに全国各地での審査、指導を行う。芦原空手(サバキ)を得意としている。また、芦原英幸から改良トンファーAバトン(現・伸縮式SDバトン)の直接指導を受ける。 現在、さまざまな武道、武術、格闘技、護身術から護身の要素を追求し、合理的かつ効率のよい「護身術」を「SDトルネード(本部、山口県宇部市)」として創始し、同団体の代表として全国の小学校や教育施設、海外でも護身術を指導している。
工藤 雪枝(くどう ゆきえ、1965年3月14日 - )は、… 工藤 雪枝(くどう ゆきえ、1965年3月14日 - )は、日本のジャーナリスト、評論家。国家論、安全保障論に関する執筆を行っている。 北海道美幌町に生まれ、その後陸上自衛官である父親の転勤に伴って全国各地に移り住む。高校在学中にAFS財団プログラム留学生として米国に1年間留学した。 岡山県立津山高等学校へ進学し、同期には稲葉浩志がいた。津山高校を経て、1988年(昭和63年)に東京大学法学部を卒業、その後ロンドン・スクール・オブ・エコノミクス(LSE)で経済学修士号を取得した。経済学の分野でも特にブラック・マートンらのデリバティブ価格理論を研究。本人曰くもともとは東大志望ではなく、高校時代成績優秀だったため志望を変更させられたという。
稲葉 浩志(いなば こうし、1964年〈昭和39年〉9月23… 稲葉 浩志(いなば こうし、1964年〈昭和39年〉9月23日 - )は、日本のシンガーソングライター、作詞家。ロックユニットB'zのボーカリスト。 所属事務所はVERMILLION。所属レーベルはVERMILLION RECORDS。B'zのほぼすべての楽曲の作詞を担当。ソロでは作詞に加え、作曲やアレンジ、プロデュースなども担当している。 岡山県津山市出身。実家は「イナバ化粧品店」を営んでいるほか、実兄は地元の老舗和菓子店「旬菓匠くらや」を経営している。従兄には旅行作家の稲葉なおとがおり、2019年発刊の小説『ホシノカケラ』では一部の設定がB'zと稲葉をモチーフにしている。 出身地の津山市から『第1回津山市市民栄誉賞』を授与されており、地元の観光協会は、稲葉のゆかりの地を地図にした「稲葉浩志君の想い出ロードマップ」を無料配布している。
神橋 一彦(かんばし かずひこ、1964年7月3日 - )は… 神橋 一彦(かんばし かずひこ、1964年7月3日 - )は、日本の法学者。専門は行政法。学位は、博士(法学)(1994年)(学位論文「公権論に於ける基本権の位置づけ-行政行為に於ける憲法と法律の交錯-」)。立教大学法学部教授。指導教官は藤田宙靖(東北大学名誉教授・元最高裁判事)。岡山県津山市出身 略歴は以下のとおり。
谷口 圭三(たにぐち けいぞう、1963年(昭和38年)9月… 谷口 圭三(たにぐち けいぞう、1963年(昭和38年)9月25日 - )は、日本の政治家。第28代・29代岡山県津山市長(2期)。 岡山県津山市下高倉西に生まれる。津山市立津山東中学校、岡山県立津山高等学校、中央大学商学部卒業。1988年(昭和63年)から加藤武徳参議院議員、加藤紀文参議院議員らの秘書を務めた。 1995年(平成7年)、津山市議会議員選挙に初当選。市議を3期務めた。2007年(平成19年)、岡山県議会議員選挙に初当選。2010年(平成22年)、岡山大学大学院社会文化科学研究科博士前期課程修了。2011年(平成23年)、県議に再選。県議時代は自由民主党に所属した。 2014年(平成26年)2月9日に行われた津山市長選挙に出馬するも、現職の宮地昭範に敗れた(宮地:26,818票、谷口:20,607票)。
高橋 淳美(たかはし あつみ、1963年5月25日 - )は… 高橋 淳美(たかはし あつみ、1963年5月25日 - )は、岡山県出身の競艇選手。 岡山県立津山高等学校を経て大阪成蹊短期大学で英文学を専攻し詩人のジョン・キーツやサマセット・モームを学び、OLを2年する。結果をすぐに出せる仕事がしたかった時にアマチュアボートをしている友達からボートレーサーの募集を知らされ出願したところ、合格。合格の報告を聞いた父は危険な職業につくことに猛反対した。同期で入った女性は20人いたが、1年間の研修はハードであり卒業したのは5人だった。1987年5月14日に地元住之江競艇場にてデビュー。そして2014年、唐津競艇場にて行われた第15回競艇名人戦において、名人戦参加3年目にして初優出、2着に入っている。
市川 哲史(いちかわ てつし、1961年3月16日 - )は… 市川 哲史(いちかわ てつし、1961年3月16日 - )は、日本の音楽評論家、編集者、ラジオパーソナリティ、大学非常勤講師。岡山県津山市出身。O型。 大学浪人中の1980年から13年間、『ロッキング・オン』の雑誌を中心に洋邦問わず音楽評論活動を続ける。 当時、硬派な雑誌であった『ROCKIN'ON JAPAN』にX・BUCK-TICKといった後にヴィジュアル系と呼ばれるようなバンドを積極的に取り上げる。アーティストとの呑みの場をレポートをしたコラム「市川哲史の酒呑み日記」も連載した。 1993年に独立して10月に『音楽と人』を創刊するが、社長と編集長を同時に務めていた1998年に自律神経失調症とうつ病を発症して失踪し自殺未遂を起こす。
森本 美由紀(もりもと みゆき、1959年 - 2013年1… 森本 美由紀(もりもと みゆき、1959年 - 2013年10月10日)は、日本のイラストレーター。 岡山県津山市出身。家族は父母と2歳下の弟。父は大手メーカーのサラリーマン。幼い頃から絵を描くことが好きだった。 岡山県立津山高等学校卒業。内心では美大進学を希望していたが一般大学を受験するも失敗。両親の理解を得て上京し、美大受験のため予備校に通うも入学には至らなかった。 1979年5月にセツ・モードセミナーに入学し、ファッションイラストレーターとして活動していた長沢節に師事。在学中の20歳でイラストレーターとしてデビュー。以後、フリーランスのイラストレーターとして活動。ファッションスタイル画や、漫画、各種の記事やジュニア小説に挿絵も描いた。
小林 充佳(こばやし みつよし、1957年〈昭和32年〉11… 小林 充佳(こばやし みつよし、1957年〈昭和32年〉11月3日 - )は、日本の実業家。岡山県津山市出身。西日本電信電話(NTT西日本)相談役・前代表取締役社長 社長執行役員、関西経済連合会副会長。 岡山県立津山高等学校、慶應義塾大学大学院を卒業後、1982年に日本電信電話公社に入社(國領二郎とは同期)。1985年に日本電信電話(NTT)として民営化された後は、1993年から1995年まで岡山支店副支店長を務めていた。 その後、NTT西日本に移籍し、岡山支店長やサービスマネジメント部長、取締役を経た後、2012年にNTTの取締役技術企画部門長兼新ビジネス推進室長に就任し、2014年には、新ビジネス推進室長を退任し常務取締役技術企画部門長に昇格した。
川上 憲人(かわかみ のりと、1957年3月2日 - )は、… 川上 憲人(かわかみ のりと、1957年3月2日 - )は、日本の精神科医。東京大学名誉教授。東京大学副医学部長、日本産業衛生学会理事長、日本産業ストレス学会理事長などを歴任。紫綬褒章受章。 岡山県津山市出身。1975年岡山県立津山高等学校卒業。1981年岐阜大学医学部医学科卒業、医師免許取得。1985年東京大学大学院医学系研究科社会医学専攻単位取得退学、東京大学医学部公衆衛生学講座助手、医学博士。1990年テキサス大学公衆衛生大学院客員研究員。1991年東京大学医学部客員研究員。 1992年東京大学医学部公衆衛生学講座助手。同年岐阜大学医学部公衆衛生学講座助教授。2000年岡山大学医学部衛生学講座教授。
山本 博文(やまもと ひろふみ、1957年2月13日 - 2… 山本 博文(やまもと ひろふみ、1957年2月13日 - 2020年3月29日)は、日本の歴史学者。日本近世史専攻。東京大学大学院情報学環教授・東京大学史料編纂所教授。 1957年、岡山県津山市生まれ。東京大学文学部国史学専修課程で学び、1980年に卒業。東京大学大学院人文科学研究科に進み、1982年に修士課程修了した。 1982年、東京大学史料編纂所助手に採用された。1992年、学位論文『幕藩制の成立と近世の国制』を東京大学に提出して博士論文号を取得。1994年に東京大学史料編纂所助教授、2001年に同所教授に昇格。2010年からは東京大学大学院情報学環教授を兼任した。 2020年3月29日、腎盂癌のため死去。
薬師寺 克行(やくしじ かつゆき、1955年 - )は、日本… 薬師寺 克行(やくしじ かつゆき、1955年 - )は、日本のジャーナリスト、政治学者、東洋大学名誉教授。 岡山県生まれ。岡山県立津山高等学校を経て、1979年東京大学文学部卒。朝日新聞社に入り政治部記者となり、首相官邸や外務省を担当。政治部長・論説委員、『論座』編集長などを歴任。2011年東洋大学社会学部教授。2025年名誉教授。
光嶋 勲(こうしま いさお、1952年1月13日 - ) は… 光嶋 勲(こうしま いさお、1952年1月13日 - ) は、日本の医師。形成外科医、東京大学名誉教授、元東京大学医学部附属病院副院長。 岡山県久米郡美咲町生まれ。1970年岡山県立津山高等学校卒業。1976年鳥取大学医学部医学科卒業、東京女子医科大学一般外科医療練士。1977年東京大学医学部形成外科研修医。1983年筑波大学臨床医学系形成外科講師。1990年川崎医科大学形成外科助教授。組織移植術を開発し、1996年からハーバード大学に留学。2000年岡山大学医学部附属病院形成外科教授。2004年東京大学医学部形成外科学教授。2010年東京大学医学部附属病院副院長。2017年東京大学名誉教授、広島大学病院国際リンパ浮腫治療センター特任教授。
小林 元治(こばやし もとじ、1952年1月 - )は、日本… 小林 元治(こばやし もとじ、1952年1月 - )は、日本の弁護士。東京弁護士会会長を経て、日本弁護士連合会会長。 岡山県苫田郡加茂町(現津山市加茂町)生まれ。小学校は分校で、家から山道を往復10km歩いて通った。中学校も往復14kmを自転車で通学した。岡山県立津山高等学校を経て、1975年中央大学法学部法律学科卒業。1981年弁護士登録。 当時社会問題化していたサラ金被害と取り組み、救済の壁になっていた貸金業規制法を限定的に解釈すべきだという理論を主張した解説書「貸金業規制法」を著した。お金のない人が司法サービスを受けられるよう援助する「法律扶助」制度の拡充にも取り組み、法務省扶助制度研究会幹事として、民事法律扶助法の制定に関与した。
太田 昇(おおた のぼる、1951年(昭和26年)8月25日… 太田 昇(おおた のぼる、1951年(昭和26年)8月25日 - )は、日本の政治家。岡山県真庭市長(4期)。元京都府副知事。 岡山県真庭郡久世町(現:真庭市)出身。1970年(昭和45年)3月、岡山県立津山高等学校卒業。1975年(昭和50年)3月、京都大学法学部卒業。同年4月、京都府庁に入庁。財政課長、知事室長、総務部長を経て、2010年(平成22年)5月、山内修一とともに京都府副知事に就任。 2013年(平成25年)2月、副知事を辞職。同年4月に行われた真庭市長選挙に出馬し無投票で初当選。4月24日、市長に就任。 2017年(平成29年)1月11日、東京での出張中に総務省から宿泊先への移動の途中、地下鉄の駅で階段を踏み外して左腕を骨折する3カ月の重傷を負い入院し手術を受けた(職務代理者は置かない)。
半田 善三(はんだ ぜんぞう、1950年(昭和25年)7月2… 半田 善三(はんだ ぜんぞう、1950年(昭和25年)7月27日 - )は、日本の政治家。岡山県津山市出身。元衆議院議員(1期)。財団法人亜細亜友之会理事長。
安東 美孝(あんどう よしたか、1949年〈昭和24年〉3月… 安東 美孝(あんどう よしたか、1949年〈昭和24年〉3月1日 - )は、日本の政治家。元岡山県美作市長(1期)。 岡山県出身。岡山県立津山高等学校卒。美作町役場に入り、2005年に美作町を含めた5町1村による合併により美作市が発足し、美作市役所勤務となった。2007年に美作市副市長に就任。2009年の市長選挙で健康上の理由で再選出馬を断念した宮本俊朗から後継指名を受け、「にぎわいのある観光田園都市創造」を訴えて選挙戦を戦い、元東粟倉村長の春名明ら2人を破って当選した。美作市長を1期務め、2013年に退任した。
見上 崇洋(みかみ たかひろ、1948年8月6日 - )は、… 見上 崇洋(みかみ たかひろ、1948年8月6日 - )は、日本の法学者(行政法学・都市法・土地法)。立命館大学政策科学部教授、学校法人立命館副総長、前同法人副理事長、前政策科学部長。元民主主義科学者協会法律部会理事。岡山県出身。
岩本 敏(いわもと さとし、1947年7月8日 - )は、日… 岩本 敏(いわもと さとし、1947年7月8日 - )は、日本の編集者。小学館で漫画雑誌の担当や、雑誌『サライ』の編集長などを務めた。岡山県津山市出身。退職後は三重県亀山市在住。らくだ亭(小学館主催の落語会)初代席亭。フリーランス・エディター、エッセイスト。 岡山県津山市に生まれる。1963年、岡山県立津山高等学校入学。高校1年の夏、小学館発行の雑誌『ボーイズライフ』の創刊記念読者特派員として、ロンドン、パリ、ローマを巡る旅を経験。南山大学外国語学部イスパニヤ語学科卒業後、1971年に小学館に入社。 『ビッグコミック』、『FMレコパル』、『少年サンデー』編集部を経て、『BE-PAL』創刊に携わり、同誌デスク、副編集長、編集長を歴任。
林 省吾(はやし しょうご、1947年3月30日 - )は日… 林 省吾(はやし しょうご、1947年3月30日 - )は日本の自治官僚。 岡山県美作市生まれ。岡山県立津山高等学校を経て、東京大学法学部卒業。1969年自治省入省。静岡県総務部長、大阪府総務部長、総務省自治財政局長、消防庁長官等を経て、総務事務次官を務めた。
松野 弘氏(まつの ひろし、1947年-)は、日本の社会学者… 松野 弘氏(まつの ひろし、1947年-)は、日本の社会学者・経営学者・環境学者、博士(人間科学)。東北大学特任教授、前オ-フス客員教授(デンマーク)、早稲田大学大学院情報生産システム研究科・情報生産システム研究センタ-招聘研究員。千葉大学大学院教授/千葉大学CSR研究センター長、千葉大学客員教授、早稲田大学大学院客員教授、千葉大学客員教授、東京農業大学客員教授、日本学術会議連携会員等を歴任。 「地域社会の形成と変革:地域社会論への現代的視点とまちづくりの役割」、博士(人間科学、早稲田大学)、2004年1月。
山崎 弘士(やまざき ひろし、1945年〈昭和20年〉12月… 山崎 弘士(やまざき ひろし、1945年〈昭和20年〉12月4日 - )は、フリーのラジオパーソナリティ、司会者、大学教授。元KBS京都アナウンサー。元京都放送常務取締役、顧問。岡山県津山市出身。津山市立北中学校、岡山県立津山高等学校、立命館大学法学部卒業。血液型O型。既婚、2女あり。 大学で放送のクラブに入り、野外コンサートや祇園のクラブなどで司会を始める。小島正雄に弟子入りを志願するが断られ、アナウンサーの道を勧められる。 1968年4月近畿放送入社(同期に久保房郎がいる)。軽妙な語り口(だみ声)と親しみやすいキャラクター、そして特徴のある髪型で人気を集めている。 アンタッチャブルに出てくるカポネの弟分のニティーの声を低音で真似ていたことから、学生時代から「ニティー」と呼ばれるようになった。
日笠 勝之(ひかさ かつゆき、1945年7月4日 - )は、… 日笠 勝之(ひかさ かつゆき、1945年7月4日 - )は、日本の政治家。株式会社桜梅桃里取締役相談役。 郵政大臣(第58代)、参議院法務委員長、参議院議員(1期)、衆議院議員(4期)等を歴任した。 岡山県津山市生まれ。岡山県立津山高等学校卒業。慶應義塾大学商学部卒業。大学卒業後は聖教新聞社や公明党・創価学会の職員を務める。 1983年、第37回衆議院議員総選挙に旧岡山県第1区から公明党公認で出馬し、初当選を果たした。以後4期連続当選。1994年、公明党も参加した非自民連立政権の羽田内閣で郵政大臣に任命され初入閣を果たしたが、羽田内閣は日本社会党の連立離脱によりわずか64日で退陣に追い込まれた。
頃安 健司(ころやす けんじ、1942年(昭和17年)4月1… 頃安 健司(ころやす けんじ、1942年(昭和17年)4月16日 - )は、日本の検察官。弁護士(TMI総合法律事務所顧問)。元大阪高等検察庁検事長。 1967年(昭和42年)検事任官。法務大臣官房長、最高検総務部長、同刑事部長、法務総合研究所長等を経て、2001年(平成13年)に札幌高検検事長。2002年(平成14年)名古屋高検検事長、2003年(平成15年)大阪高検検事長を歴任し、2004年(平成16年)に退官。2014年、瑞宝重光章受章。 退官後は弁護士登録し、各種企業役員を務める。
河原 主尚(かわはら きみなが、1937年9月1日 - )は… 河原 主尚(かわはら きみなが、1937年9月1日 - )は、岡山県久米郡久米町坪井出身のプロ野球選手(内野手→外野手)。 岡山県立津山高等学校から、1957年に大阪タイガースにテスト入団。当初は打力を買われて、内野手の入団だったが、やがて強肩に注目が集まり、外野手にコンバートされてウエスタン・リーグに出場するようになった。一軍では打席に経つ事はなかったが、4試合代走で出場した事がある。翌1958年に引退。
押阪 忍(おしざか しのぶ、1935年〈昭和10年〉2月28… 押阪 忍(おしざか しのぶ、1935年〈昭和10年〉2月28日 - 2024年〈令和6年〉6月29日)は、日本のフリーアナウンサー、司会者、タレント、芸能プロモーター。元日本教育テレビ(NETテレビ、現在のテレビ朝日)アナウンサー。 岡山県津山市出身。「押阪」姓は飛鳥時代の皇族・押坂彦人大兄皇子がルーツという。岡山県立津山高等学校、立教大学経済学部を卒業した。5人兄弟の末っ子で、上の4人をすべて結核で失い、母親も早くに亡くした。そのため、同大学時代は実父の知人であった出羽海親方(元横綱・常ノ花)の伝手で出羽海部屋の書生を務めており、アナウンサーの中では非常に珍しい苦学生だった。 1958年4月、開局を翌年に控えた『日本教育テレビ』(NETテレビ、現在のテレビ朝日)にアナウンサーとして入社した。
宮家 準(みやけ ひとし、1933年9月22日 - )は、日… 宮家 準(みやけ ひとし、1933年9月22日 - )は、日本の宗教学者。文学博士。専門は修験道研究。旧姓藤井。慶應義塾大学名誉教授、國學院大學大学院文学研究科講師、日本宗教学会常務理事、日本山岳修験学会名誉会長、神道宗教学会監事、日本道教学会理事。2012年宗教法人修験道管長、法首およびその総本山五流尊瀧院第37代住職。 父母は共に岡山県出身。後鳥羽上皇皇子頼仁親王以来男系血脈の宮家家を継ぐため、父の弟の養子となった。実兄の藤井隆は立正大学教授。義兄の宮家道玄は五流尊瀧院先代住職、宗教法人修験道前管長、前法首。
粟井 弘二(あわい こうじ、1930年(昭和5年)3月11日… 粟井 弘二(あわい こうじ、1930年(昭和5年)3月11日 - 2019年(平成31年)1月4日)は、日本の内科医師、開業医。 岡山県津山市田町72番地に出生した[要出典]。粟井家は、美作菅氏の一つであった。 旧制岡山津山中学校(現・岡山県立津山高等学校)、旧制成城高等学校を経て、旧制岡山医科大学を1954年(昭和29年)に卒業した。卒業後、内科医を志して、岡山大学第二内科に入局し、血液学の研究に従事した。[要出典]学位論文は、特発性栓球減少性紫斑病(現在は特発性血小板減少性紫斑病,指定難病63)の研究で、その過程で、巨核球から血小板が分離して生成されることを発見した。[要出典]1999年刊行の内科学の教科書には、血小板の生成メカニズムとして記載されている。
小枝 英勲(こえだ ひでのり、1929年〈昭和4年〉6月1日… 小枝 英勲(こえだ ひでのり、1929年〈昭和4年〉6月1日 - 2014年〈平成26年〉8月12日)は、日本の政治家。岡山県久米郡中央町長。岡山県議会議員・議長。(自由民主党)。 岡山県久米郡加美村(加美町→中央町を経て、現在の美咲町)原田に生まれる。旧制岡山県立津山中学校(現在の岡山県立津山中学校・高等学校)を経て、明治大学法学部を卒業する。卒業後は、アメリカのスタンフォード大学大学院に学び、修了する。帰国後は全国農業協同組合中央会に入り、経理課長、教育部次長などを務める。その後、帰郷し、1976年の衆議院議員総選挙に岡山1区から新自由クラブ公認で立候補したが、落選した。3年後の1979年の総選挙では無所属で立候補したが落選した。
亀井 三恵子(かめい みえこ、1929年 -2026年1月1… 亀井 三恵子(かめい みえこ、1929年 -2026年1月12日 )は、日本の漫画家。長谷川町子と共に「女性漫画家の草分け」と称される。本名、藤岡 三惠子(ふじおか みえこ)。 しんぶん赤旗において、8コマ漫画『台所剣法』を1970年から2015年まで連載した。『台所剣法』は料理・グルメ漫画の「祖」として挙げられることもある。 岡山県津山高等女学校(現・岡山県立津山中学校・高等学校)を卒業後、山陽新聞社から4コマ漫画の掲載依頼を受け、小学生新聞や中学生新聞へ漫画掲載を始める。主婦の友社の嘱託となり、漫画の連載やイラスト・ルポを担当する。 その後、フリーとなり集英社の「おもしろ漫画文庫」や小学館から単行本を刊行する。
稲葉 右二(いなば ゆうじ、1928年8月13日 - 201… 稲葉 右二(いなば ゆうじ、1928年8月13日 - 2017年1月8日)は、日本の獣医師。学位は医学博士(順天堂大学・1961年)。元日本大学教授。 畜産農家に恐れられていた牛の伝染病「牛流行熱」「イバラキ病」「アカバネ病」の原因がアルボウイルスであることを突き詰め、診断法やワクチンを開発した。家畜衛生試験場製剤研究部長、日本ウイルス学会理事、日本大学生物資源科学部教授、獣医師免許審議会委員などを歴任した。 1971年、「牛の流行熱の研究」により日本獣医学会賞を受賞。1977年、「牛流行熱及び牛伝染性鼻気管炎の予防液の開発」により農林水産省職員功績者。1994年、「各種牛のウイルス病の防除技術の開発及び実用化に関する研究」により日本農業研究所賞を受賞。
水野 義久(みずの よしひさ、1919年9月13日 - 20… 水野 義久(みずの よしひさ、1919年9月13日 - 2005年5月24日)は、岡山県出身の薬学者。北海道大学名誉教授。第二次世界大戦時は陸軍に入隊した。
内田 一臣(うちだ かずとみ、1915年(大正4年)6月8日… 内田 一臣(うちだ かずとみ、1915年(大正4年)6月8日 - 2001年(平成13年)7月5日)は、日本の海軍軍人及び海上自衛官。海軍兵学校卒業(第63期)。第8代海上幕僚長。 岡山県出身。旧制津山中学を経て海軍兵学校に入校。1936年(昭和11年)3月、海軍兵学校を卒業。海軍少尉候補生として遠洋航海に参加し、アメリカ合衆国各地を巡った。 1937年(昭和12年)8月、軽巡洋艦「川内」乗組みだった海軍少尉時代に第二次上海事変を迎える。同艦の乗員で急遽編成された臨時の陸戦隊小隊長として参加し、1ヶ月間に及ぶ戦闘に従事した。その際、中華民国陸軍の師団本部を殲滅し師団長を戦死させた。この功績により金鵄勲章を授与される。
太田 薫(おおた かおる、1912年〈明治45年〉1月1日 … 太田 薫(おおた かおる、1912年〈明治45年〉1月1日 - 1998年〈平成10年〉9月14日)は、昭和期の労働運動家。元日本労働組合総評議会(総評)議長、元宇部窒素(現・宇部興産→UBE)企画課長。春闘方式を定着させた人物。 岡山県林田村(現・津山市)生まれ。旧制津山中学、旧制第六高校を経て大阪帝国大学工学部応用化学科卒業。1935年に大日本特許肥料(現・三菱レイヨン)に入社するも入社4年目に重役と喧嘩をし、宇部窒素(現・宇部興産)に移る。宇部窒素入社後は窒素工場硫酸課長を経て、同工場企画課長と順調に昇進を果たすが、経営陣より八幡製鐵所の親和会をモデルに従業員組合を組成するよう命じられ、1946年に同社の初代労働組合長に推されると、それまでのポストを捨て、企業エリートから労働エリートへと転身を果たした。
棟田 博(むねた ひろし、1909年〈明治41年〉11月5日… 棟田 博(むねた ひろし、1909年〈明治41年〉11月5日 - 1988年〈昭和63年〉4月30日)は、日本の作家。自己の戦争体験を元に手記・随筆・小説を描いた「兵隊作家」のひとり。 1909年(明治41年)11月、岡山県英田郡倉敷村(現在の美作市林野)の伊藤家に生まれる。後に岡山県津山市の棟田家の養子となる。家は料亭を営み、常に芸妓の姿や三味線の音が絶えなかったという。旧制岡山県立津山中学校を経て、早稲田大学文学部国文科を中退する。地元に帰り、短歌同人に参加するなど、文学青年の道を歩む。 1928年(昭和3年)に徴兵検査甲種合格、1929年(昭和4年)1月、岡山歩兵第10連隊に現役兵として入営する。
小福田 租(こふくだ みつぎ、1909年(明治42年)10月… 小福田 租(こふくだ みつぎ、1909年(明治42年)10月18日 - 1995年(平成7年)7月29日)は日本の海軍軍人、航空自衛官である。海軍兵学校(第59期)卒。最終階級は海軍で海軍中佐、自衛隊で空将。ペンネームは小福田 晧文(こふくだ てるふみ)。 1909年(明治42年)10月、岡山県津山に生まれる。1928年(昭和3年)3月、岡山県立津山中学校(現:岡山県立津山高校)卒業し、同年4月、江田島海軍兵学校第59期に入校。1931年(昭和6年)11月、海軍兵学校卒業。1933年(昭和8年)4月、第25期飛行学生を卒業。1934年(昭和9年)、大村海軍航空隊で戦闘機課程を受ける。周囲の勧めもあり、結婚を考えて海軍省に結婚願いを提出し、晩秋に「結婚認可書」を受けとるも、すぐに「戦地に転勤を命ず」という辞令がきたので、婚約を解消した。
藤田 辰三(ふじた たつぞう、1908年5月19日 - 没年… 藤田 辰三(ふじた たつぞう、1908年5月19日 - 没年不明)は、日本の陸上競技(ハードル)選手。東京文理科大学在学中の1932年、ロサンゼルスオリンピックに110メートルハードルで出場した。 旧制津山中学校(現在の岡山県立津山中学校・高等学校)出身。 1932年(昭和7年)、東京高等師範学校体育科を卒業。1932年5月14日の日本学生陸上競技対校選手権大会の110メートルハードルで15秒0の記録(日本記録、同時に日本学生記録)を出し、同年6月22日の五輪選手送別大会でもこれと並ぶ記録を出した。 1932年ロサンゼルスオリンピックで男子110メートルハードルに出場した。準決勝敗退。
可児 藤吉(かに とうきち、1908年1月1日 - 1944… 可児 藤吉(かに とうきち、1908年1月1日 - 1944年7月18日)は、日本の群集生態学者。「河川形態型」を提唱し、今西錦司と共に棲み分け理論の基礎を築いたが、陸軍に徴兵され、サイパンの戦いで戦死した。 1908年、岡山県勝田郡勝間田町(現:勝田郡勝央町)に生まれる。京都帝国大学農学部卒。河川の蛇行と、河床形態である瀬と淵に注目し、「河川形態型」を提唱した。また、昆虫が生息するそれぞれの環境を研究することで今西錦司とともに「棲み分け理論」の基礎を築いた。「河川形態型」が発表された同年、太平洋戦争において36歳という若さでサイパン島にて戦死した。藤吉の墓は勝央町勝間田の共同墓地にある。 河川における上流、中流、下流の形態を特徴的に示すことによって河川そのものの保護や維持、生息する生態系の保護に広く利用されている方法。
苅田アサノ(かんだ あさの、本名:堀江アサノ(ほりえアサノ)… 苅田アサノ(かんだ あさの、本名:堀江アサノ(ほりえアサノ)、1905年6月21日 - 1973年8月5日)は、日本の政治家、婦人運動家、著述家。元衆議院議員(日本共産党公認、1期)。夫は元日ソ協会副会長の堀江邑一。 岡山県津山町(現・津山市)生まれ。生家は代々地主の家系で、学生時代からロシア文学及び社会主義思想に傾倒し、日本女子大学国文科を卒業後の1931年、日本共産党に入る。入党以降財政面で支援を行うものの、1933年に治安維持法の疑いで検挙。転向の後1935年に出獄すると東洋経済新報社などを経て、1938年には郷里の岡山県に戻り西日本製紙に勤務する。 戦後は日本共産党に再入党し、1949年の衆院選に旧岡山1区から出馬し初当選を果たす。
早嶋 喜一(はやしま きいち、1900年(明治33年)12月… 早嶋 喜一(はやしま きいち、1900年(明治33年)12月28日 - 1966年(昭和41年)2月4日)は、日本の実業家。産業経済新聞社長で旭屋書店の創業者。産経学園理事長。 岡山県津山市の出身。津山中学から早稲田大学に進学するも中退。職を転々とした後、1924年(大正13年)に前田久吉の経営する南大阪新聞社に入社する。前田が『南大阪新聞』・『日本工業新聞』を根城に事業を拡張すると早嶋もそれらの事業に関与し、戦時中の新聞統制に伴う合併を経て、2紙は『大阪新聞』と『産業経済新聞』となるが、早嶋は大阪新聞では専務、産業経済新聞では社長にまで登り詰める。 戦後の1947年(昭和22年)、早嶋は公職追放に伴い大阪新聞・産業経済新聞の役職を退くが、前年に大阪市北区で創業していた雑貨・化粧品販売店「旭屋商店」を書籍専業の「旭屋書店」とし、書店経営に専念する。