スポーツ選手、俳優、学者、実業家、芸能人など各界で活躍する人物情報に加え、外の言語(多言語)で紹介されている内容や、その人物にゆかりのある地の観光資源データを集めました。
大倉 孝一(おおくら こういち、1962年9月17日 - )… 大倉 孝一(おおくら こういち、1962年9月17日 - )は、岡山県倉敷市出身の元社会人野球選手(捕手)、アマチュア野球コーチ、倉敷ピーチジャックス監督、女子野球日本代表監督、実業家。 岡山県立玉島商業高等学校では3年夏の県大会準優勝、駒澤大学に進学し硬式野球部では同期に河野博文、横田真之がいて4年秋の明治神宮大会で優勝したが控えであった。 大学卒業後は、社会人野球の日本鋼管福山(後にNKK)で捕手を務める。 現役引退後は、1996年からNKKで兼任コーチとなり、専任の後2000年から駒大コーチ、2014年から環太平洋大学女子硬式野球部の監督を歴任した。2001年に女子野球日本代表のコーチとなり、2006年に代表監督に就任し2010年に退任したが、2014年に監督に復帰した。
早瀬 猛(はやせ たけし、1926年 -2023年)は、岡山… 早瀬 猛(はやせ たけし、1926年 -2023年)は、岡山県出身の元プロ野球選手、競艇選手。 玉島商業、予科練特攻隊員を経て、岡本鉄道局を経て、1947年、22歳の時に阪急ブレーブスに入団した。 しかし、一軍出場はなく、同年に国民野球連盟の結城ブレーブスに移籍。 結城ブレーブス解散後は、社会人野球の植良組でプレーしていた(オール水戸に選抜され全国優勝した。)。 その後、競艇選手に転向し、1953年に選手登録された(第757号)。選手登録後に早瀬 薫平(はやせ くんぺい)に改名した。1963年(昭和38年)時点では桐生に所属し、第9回関東地区選手権大会で2位となっている。 2022年に元プロ野球選手である野田昇吾がボートレーサーとなり、早瀬以来69年ぶりのプロ野球選手から競艇選手(ボートレーサー)への転向となった。
三宅 宅三(みやけ たくぞう、 1921年2月22日 - 2… 三宅 宅三(みやけ たくぞう、 1921年2月22日 - 2006年4月16日)は、岡山県倉敷市出身のプロ野球選手(一塁手、外野手)。 玉島中(現・玉島商)では砲丸投で全国優勝。明治大学を経て、倉敷工の監督となる。1949年にチームを甲子園大会出場に導いた。 1950年、毎日オリオンズ(現・千葉ロッテマリーンズ)の創立と同時にテスト入団。開幕から一塁手、六番打者に抜擢される。同年の松竹ロビンスとの日本シリーズでは、一塁手、代打として2試合に出場。1951年は外野手も兼ね、5月から四番打者に起用されるなど打線の主軸として活躍、初の規定打席(16位、打率.281)に達する。1952年には自己最高の打率.294(12位)、18本塁打を記録。