スポーツ選手、俳優、学者、実業家、芸能人など各界で活躍する人物情報に加え、外の言語(多言語)で紹介されている内容や、その人物にゆかりのある地の観光資源データを集めました。
平井 一正(ひらい かずまさ、1949年11月21日 - )… 平井 一正(ひらい かずまさ、1949年11月21日 - )は、日本のスポーツ科学研究者、名古屋産業大学教授。1970年代には重量挙げ選手として活躍し、1976年モントリオールオリンピックでは男子フェザー級銅メダリストとなった。モスクワオリンピック代表にも選出されていたが、日本のボイコットにより不参加となった。 岡山県出身。岡山市の関西高等学校の2年生のときに重量挙げを始め、中京大学に進んだ。1972年、中京大学体育学部体育学科を卒業したが、重量挙げ選手を続けることを断念し、岡山県に戻って日本料理店で板前として働いた。しかし、三重県で重量挙げの指導者をしていた平岡一能に指導され、三重県へ移って高校の教員となり、競技に復帰した。
太田 健一(おおた けんいち、1936年2月15日 - 20… 太田 健一(おおた けんいち、1936年2月15日 - 2016年1月23日)は、日本の歴史学者、山陽学園大学名誉教授。 岡山県邑久郡邑久町(現・瀬戸内市)生まれ。1954年に私立関西高等学校卒業、1958年に岡山大学教育学部卒業。大学時代は谷口澄夫に師事する。関西高等学校教諭、児島第一高等学校教諭、岡山市立工業高等学校教諭、岡山県立岡山東商業高等学校教諭を経て、1989年広島県立広島女子大学助教授、1994年山陽学園大学教授、2006年山陽学園大学特任教授を経て2009年退職。山陽学園大学名誉教授。 公益財団法人竜王会館理事、学校法人山陽学園監事、日本塩業研究会代表・会長、閑谷学校研究委員会委員長、方谷研究会代表などを務めた。
浅沼 和典(あさぬま かずのり、1928年10月17日 - … 浅沼 和典(あさぬま かずのり、1928年10月17日 - 2010年6月13日)は、日本の政治学者。 岡山県出身。旧制関西中学校を経て、早稲田大学大学院政治学研究科修士課程修了。拓殖大学教授、明治大学政治経済学部教授。94年退職。
大本 修(おおもと・おさむ、 1925年4月1日 - 200… 大本 修(おおもと・おさむ、 1925年4月1日 - 2008年10月15日)は、日本の電気工学者。工学博士。 1925年4月1日、岡山県上房郡有漢町(現在の高梁市)出身。1944年に関西中学校を卒業後、旧制第六高等学校を経て芝浦工業専門学校に入学。主に電気工学を専攻とする。 戦後の学制改革により芝浦工業大学となった後に卒業。その後はアメリカ合衆国へ渡り、マサチューセッツ工科大学客員研究員、アメリカ航空宇宙局(NASA)客員研究員などを務める。NASA時代にはアポロ計画に参画、人工衛星取付用太陽電池の開発に携わっている。 1973年に芝浦工業大学工学部教授に就任。1991年から1997年までの6年間、芝浦工業大学学長を務めた。
秦 佐八郎(はた さはちろう、1873年(明治6年)3月23… 秦 佐八郎(はた さはちろう、1873年(明治6年)3月23日 - 1938年(昭和13年)11月22日)は、日本の医師、細菌学者。医学博士(東京帝国大学医科大学)。 数百年に渡り、不治の病の筆頭として人類を苦しめて来た梅毒の、史上初の治療薬となったサルバルサン(砒素化合物製剤606号)を、ドイツのパウル・エールリヒ(エールリヒは、秦との共同研究以前の業績で1908年ノーベル生理学・医学賞を受賞していた)と共に開発し、多くの患者を救ったことで知られる。 秦は、1911年にノーベル化学賞と1912年・1913年にノーベル生理学・医学賞の候補に挙がっていたものの、受賞を逸した。島根県美濃郡都茂村(現:益田市)出身。