スポーツ選手、俳優、学者、実業家、芸能人など各界で活躍する人物情報に加え、外の言語(多言語)で紹介されている内容や、その人物にゆかりのある地の観光資源データを集めました。
渡邊 裕子(わたなべ ゆうこ、1987年11月3日 - )は… 渡邊 裕子(わたなべ ゆうこ、1987年11月3日 - )は、日本女子の元陸上競技選手。専門は長距離走(主にマラソン・ハーフマラソン)。現役時代はエディオン所属。151cm、39kg。 広島県賀茂郡黒瀬町(現・東広島市)出身。東広島市立黒瀬中学校、広島県立西条農業高等学校卒業。黒瀬中1年から陸上を始める。高校時代は無名に近い存在だったが2006年エディオン入社以降、着実に力を付け始めた。 マラソン初挑戦だった2012年3月11日の名古屋ウィメンズマラソン(ロンドンオリンピック選考レース)では13位ながらも2時間29分台のゴールタイムでフィニッシュ、表彰式では新人賞を獲得した。 翌2013年1月27日の大阪国際女子マラソンで2時間25分台をマーク、マラソン自己記録を3分以上更新し日本人2番手の2位でゴール。
礒部 公一(いそべ こういち、1974年3月12日 - )は… 礒部 公一(いそべ こういち、1974年3月12日 - )は、広島県東広島市出身の元プロ野球選手(外野手・捕手、右投左打)・コーチ、野球解説者、YouTuber。 NPBにおける現役選手時代は1997年 - 2004年にパシフィック・リーグの大阪近鉄バファローズ(1998年までの球団名は「近鉄バファローズ」)で、2005年 - 2009年に東北楽天ゴールデンイーグルスでそれぞれプレーした。2004年のプロ野球再編問題では、近鉄球団最後の選手会長として労使交渉に奔走。楽天に移籍した2005年には初代選手会長に就任。「ミスターイーグルス」と呼ばれた。 実家は鮮魚店。小学4年生の時にボーイズリーグに入って本格的に野球を始める。
小早川 幸二(こばやかわ こうじ、1970年12月1日 - … 小早川 幸二(こばやかわ こうじ、1970年12月1日 - )は、広島県呉市出身の元プロ野球選手(投手)。株式会社K-アシスト代表取締役社長。 西条農業高では、3年次に春の選抜に一塁手で出場、夏は県大会準々決勝で先発したが全国制覇することになる広島商業高に敗れた。 1988年オフにドラフト外で福岡ダイエーホークスに入団。 しかし、一軍出場がないまま1990年オフに広橋公寿との交換トレードで中日ドラゴンズに移籍。 移籍した中日でも一軍出場がないまま、1992年オフに松井隆昌との交換トレードで広島東洋カープに移籍。同姓の小早川毅彦がいたため、スコアボード等の表記は「小早川幸」となった。広島では、清川栄治の放出と石貫宏臣の故障により手薄となっていた左のリリーフとして活躍し、1996年には46試合に登板した。
清水 康次(しみず こうじ、1969年10月17日 - )は… 清水 康次(しみず こうじ、1969年10月17日 - )は広島県広島市佐伯区出身の陸上競技元選手・指導者。専門は長距離種目・マラソン。身長176cm、体重52kg(現役当時)。 広島県立西条農業高校、大東文化大学卒。現役時代はNTT西日本陸上競技部(NTT中国→NTT西日本→NTT西日本広島→NTT西日本と改称)現在は同陸上競技部監督。 マラソンで4回のサブテン(2時間10分切り)を達成。国内大会でのサブテン4回という記録は川内優輝に抜かれるまでは日本人最高記録だった。 大東大時代の同期には横田芳則・島嵜貴之、1学年上に実井謙二郎、1学年下に奈良修らがいる。1年次・2年次・4年次に全日本大学駅伝に出場(2年次は優勝)。
新宅 雅也(しんたく まさなり、一時期、永灯至(ひさとし)に… 新宅 雅也(しんたく まさなり、一時期、永灯至(ひさとし)に改名していたが、現在は雅也に復している)、1957年12月20日 - )は、広島県三原市出身の陸上競技、マラソン選手。広島県西条農業高校、日本体育大学卒業。1970年代後半から1980年代にかけて瀬古利彦、宗茂・宗猛兄弟、伊藤国光、中山竹通らとともに日本陸上界をリードした名選手である。 広島県三原市立幸崎中学校で、陸上部に入り陸上をはじめた。中学時代は目立った選手ではなかったが、負けず嫌いで、練習は熱心で、一人で遅くまで走っていることも多かった。高校進学では、駅伝で有名な世羅高校を希望したが、学区が違うため、広島県立西条農業に進学し、約2時間かけて通学していた。