スポーツ選手、俳優、学者、実業家、芸能人など各界で活躍する人物情報に加え、外の言語(多言語)で紹介されている内容や、その人物にゆかりのある地の観光資源データを集めました。
簑田 浩二(みのだ こうじ、1952年3月11日 - )は、… 簑田 浩二(みのだ こうじ、1952年3月11日 - )は、広島県廿日市市出身の元プロ野球選手(外野手)・コーチ。現在はプロゴルファー(ティーチングプロ)として活動している。 攻・走・守すべてに長けたオールラウンダーとして知られ、1983年にはトリプルスリーを達成している。 大竹高校では1969年夏の甲子園県予選準々決勝に進むが呉港高校に敗退、甲子園には届かなかった。高校卒業後の進路として、大東文化大学からも勧誘の話が来ていたが、「給料がもらえて、尚且つ野球も出来る」として社会人野球に進む方を選び、卒業後の1970年に三菱重工三原へ入社し、都市対抗野球大会には補強選手としての出場を含め4度出場した。
所 賢一(ところ けんいち、1949年3月15日 - )は、… 所 賢一(ところ けんいち、1949年3月15日 - )は、日本の元競泳選手。競泳指導者。広島県大竹市出身。 1949年に広島県に生まれる。広島県立大竹高等学校に進学。第20回国民体育大会に出場。広島県高等学校選手権に出場し、400m、1500m自由形優勝。中国高等学校選手権に出場し、400mリレー4位。第21回国民体育大会に出場。 中央大学に進学。日本選手権水泳競技大会に出場し400m自由形5位。中央大学水泳部主将になる。日本学生選手権水泳競技大会に出場し、400m自由形2位、1500m自由形3位。 和歌山県立伊都高等学校教師になる。第26回国民体育大会に出場し400m自由形教員部優勝(大会新記録)。
広田 佐枝子(ひろた さえこ、1946年または1947年 -… 広田 佐枝子(ひろた さえこ、1946年または1947年 - )は、日本の元卓球選手。現役時代は日本代表として世界卓球選手権で金メダル2個を含む複数のメダルを獲得し、日本卓球界の黄金期を代表する選手として活躍した。段級位は9段。 中学1年から卓球を始め、広島県立大竹高等学校を経て専修大学に入学。 1967年度、ストックホルム (スウェーデン) で行われた世界選手権ではシングルスで16強。森沢幸子と出場した女子ダブルス準決勝ではスベトラーナ・グリンベル(英語版) / ソージャ・ルドノワ(英語版)組 (ソビエト連邦) に3-2で勝利。決勝では山中教子 / 深津尚子組 (日本) を3-0で下し金メダル。
広瀬 叔功(ひろせ よしのり、1936年〈昭和11年〉8月2… 広瀬 叔功(ひろせ よしのり、1936年〈昭和11年〉8月27日 - 2025年〈令和7年〉11月2日)は、日本のプロ野球選手(外野手、内野手)・監督、野球解説者。 南海ホークスがパ・リーグの盟主として君臨した1950年代後半-1960年代に「鷹の爪」とも呼ばれたリードオフマン。愛称は「チョロ」。 通算盗塁数・通算盗塁成功率では歴代2位、シーズン626打数は歴代1位の記録を保持している。パ・リーグ初の外野手部門のダイヤモンドグラブ賞(現在のゴールデングラブ賞)を受賞している。 1961年から1965年にかけて5年連続で盗塁王になったほか、1964年には同時に首位打者のタイトルも獲得している。 広島県佐伯郡大野村(現・廿日市市)で、大工の父・千代治と母・マツ子の間に、7人兄弟の6番目に生まれた。
轟 謙二(とどろき けんじ、1932年11月21日 - )は… 轟 謙二(とどろき けんじ、1932年11月21日 - )は、日本の俳優。本名は佐戸正男、現芸名は轟謙司。 広島県大竹市出身。広島県立大竹高校から広島大学に進むが中退。 1952年、市川右太衛門に弟子入りし、轟謙二の芸名をもらう。同年、東映京都に入り、1954年の『旗本退屈男 謎の百萬両』でデビュー。その後、多数の時代劇に端役で出演。 1957年には東映東京に移り、『月光仮面 魔人(サタン)の爪』(1958年)を皮切りに、現代劇映画に多数出演した。テレビドラマは、1959年の『七色仮面』第二部(毎日放送)に初出演。1961年11月にスタートした『特別機動捜査隊』(NET)では桃井刑事役で11年間レギュラーを務め、これをきっかけにテレビドラマに専念するようになった。