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森 慎二(もり しんじ、1974年〈昭和49年〉9月12日 … 森 慎二(もり しんじ、1974年〈昭和49年〉9月12日 - 2017年〈平成29年〉6月28日)は、山口県岩国市出身のプロ野球選手(投手)・コーチ・監督。 山口県立岩国工業高等学校卒業後、新日鐵光に入るが新日鐵グループ野球部の再編にともない、新日鐵君津へ転籍した。1996年の第67回都市対抗野球大会では優秀選手賞を受賞した。同年のドラフト会議で西武ライオンズから2位指名を受け、入団した。同期入団には和田一浩がいた。 プロ1年目の1997年シーズンは、プロ初登板が先発だった。先発としては結果を残せなかったものの中継ぎで好投したことからリリーフへ転向した。後半には石井貴と入れ替わる形で抑えに抜擢され、最終的に38試合に登板し、6勝2敗9セーブを記録成績でチームの優勝に貢献した。
田村 勲(たむら いさお、1957年3月22日 - 2000… 田村 勲(たむら いさお、1957年3月22日 - 2000年12月25日)は、山口県出身の元プロ野球選手(投手)。右投右打。 岩国工業高では、1974年夏の甲子園県予選準々決勝に進むが、宇部工業高に延長12回敗退した。同年オフにドラフト外で読売ジャイアンツに入団する。 1年目の1975年は同期入団の定岡正二、西本聖とともにオープン戦に登板するが、一軍での登板には恵まれなかった。1976年に一軍初登板、翌1977年には定岡、西本に先駆けて初勝利を果たし、1978年には中継ぎとして16試合に登板する。 サイドスローからコーナーをつく揺さぶり投法で、得意球は外角のスライダー。カーブ、シュート、シンカーも投げたが、左打者にはボールのキレが半減し、巨人ではなかなか一軍に踏みとどまれない原因となった。
芦岡 俊明(よしおか としあき、1952年4月11日 - )… 芦岡 俊明(よしおか としあき、1952年4月11日 - )は、山口県岩国市出身の元プロ野球選手(内野手、外野手)。右投右打。 岩国工高在学時は強打の内野手として知られたが、甲子園には出場できなかった。1970年のドラフトで大洋から7位指名されるも拒否し、亜細亜大に進学。東都大学野球リーグでは1971年の春季リーグで優勝を経験するが、自身の活躍の場はなく、その後は優勝に届かなかった。リーグ通算50試合出場、135打数18安打、打率.133、1本塁打、7打点。大学同期に林龍郎がいる。 1974年のドラフトでロッテより3位指名を受け入団。入団当初は主に遊撃手として起用されたが、飯塚佳寛の壁を破れず、あまり出場機会はなかった。
松林 茂(まつばやし しげる、1947年8月23日 - )は… 松林 茂(まつばやし しげる、1947年8月23日 - )は、山口県出身の元プロ野球選手。ポジションは投手。投法はアンダースロー。 岩国工業高校では、1965年夏の甲子園県予選準々決勝で下関中央工に延長17回敗退。卒業後は大昭和製紙に入社。その後は大昭和製紙北海道に転籍する。大昭和製紙では野村稔、北海道では同じチームから転籍組の三田晃、成重春生など投手陣の層が厚く、都市対抗などの大舞台ではあまり活躍できなかった。しかし1972年の産業対抗では先発として起用され、準決勝に進む。日本石油の五月女豊と投手戦を展開するが、延長14回、町田公雄に決勝2点本塁打を喫し0-2で惜敗。この大会では優秀選手に選出された。
木頃 博巧(きごろ ひろよし、1937年1月12日 - )は… 木頃 博巧(きごろ ひろよし、1937年1月12日 - )は、山口県出身の元プロ野球選手。 岩国工業高校から1956年に阪急ブレーブスへ投手で入団。後に内野手へ転向。