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佐竹 暁子(さたけ あきこ、1974年 - )は、日本の数理… 佐竹 暁子(さたけ あきこ、1974年 - )は、日本の数理生物学者。山口県出身。九州大学理学研究院生物科学部門数理生物学教室(地球環境ゲノム生態学ユニット)教授。 日本数理生物学会、日本生態学会、個体群生態学会、日本植物生理学会、Society for Research on Biological Rhythms (SRBR)、所属。 1974年、山口県に生まれる。 1993年、山口県立山口高等学校を卒業した。 2002年、九州大学理学研究院数理生物学研究室において博士課程を修了した。 修了後はペンシルバニア州立大学Bjornstad Lab(2003年)、京都大学生態学研究センター(2004年)、プリンストン大学Levin Lab & PEI(2005年)といった研究機関に所属した。
島田 幸典(しまだ ゆきのり、1972年5月27日 - )は… 島田 幸典(しまだ ゆきのり、1972年5月27日 - )は、日本の政治学者、歌人。京都大学大学院法学研究科教授。専門は比較政治学、比較国制史。 1972年、山口県で生まれた。1991年、山口県立山口高等学校を卒業。京都大学法学部に進学し、1995年に卒業。その後は同大学法学研究科に進んだ。1998年に博士後期課程を退学。 同1998年、京都大学大学院法学研究科の助手に採用された。2000年に同助教授、2007年に准教授昇格。2003年9月より2年間シェフィールド大学政治学部政治経済学研究所(イギリス)およびウィーン大学法学部法制・国制史研究所(オーストリア)で在学研究。 歌人としては、山口県立山口高等学校在学中の1990年より短歌結社「牙」にて石田比呂志に師事。
熊本 史雄(くまもと ふみお、1970年- )は、日本の歴史… 熊本 史雄(くまもと ふみお、1970年- )は、日本の歴史学者、駒澤大学教授。専門は日本近代史、政治外交史。樫山純三賞、司馬遼太郎賞、大佛次郎論壇賞。 山口県山口市生まれ。山口県立山口高等学校卒、1993年筑波大学第二学群日本語・日本文化学類卒業。1995年同大学院博士課程中退。2012年「大戦間期の外務省と対中文化外交」で博士(文学)。1995年外務省外交史料館外務事務官、2004年駒澤大学文学部専任講師、2008年准教授、2014年教授。2025年『外務官僚たちの大東亜共栄圏』で第20回 樫山純三賞、第29回 司馬遼太郎賞、第25回 大佛次郎論壇賞を受賞。 3人兄弟の長男で兄弟全員が大学教授を務める研究職家系で、長弟の方雄は一橋大学経営管理研究科、末弟の尚雄は獨協大学経済学部に所属し、弟2人は共に国際金融を専攻する経済学者である。
山本 伸裕(やまもと のぶひろ、1969年- )は、日本の倫… 山本 伸裕(やまもと のぶひろ、1969年- )は、日本の倫理学・仏教学者。真宗大谷派親鸞仏教センター研究員、東京大学東洋文化研究所特任研究員、東京医療保健大学大学院医療保健学研究科准教授。 1969年、群馬県で生まれた。山口県立山口高校を卒業し、東京大学文学部倫理学科に進学。東洋大学大学院文学研究科仏教学専攻に進み、博士後期課程を単位取得退学。 2011年、学位論文『精神主義」は誰の思想か:清沢満之と浩々洞の人々』を大谷大学に提出して文学博士号を取得した。東京医療保健大学大学院准教授。 倫理学者の竹内整一・東京大学名誉教授の指導を受ける。 専門は日本倫理思想史、倫理学、インド大乗仏教、死生学(生命倫理学)
亀本 洋(かめもと ひろし、1957年12月15日 - )は… 亀本 洋(かめもと ひろし、1957年12月15日 - )は、日本の法学者。専門は法哲学。京都大学大学院法学研究科教授などを経て、明治大学法学部教授。 元:日本法哲学会理事長(2013年~2017年)。法哲学の教科書として公刊した『法哲学』(成文堂、2011年)は、全体を通じて古典注釈と判例原文読解の方法を駆使しつつ、経済学への理解をもとに経済フォーラム論を展開(第6章・第7章)しており、白鷗大学教授の阿部信行によって「重厚かつユニークな法哲学(教科)書」と評される。その後、ジョン・ロールズの格差原理に関する研究の成果を『格差原理』(成文堂、2012年)として公刊し、さらにロールズを批判するデザート論者の見解や、現代正義論の一勢力としてのデザート論者の諸見解についての研究の成果を『ロールズとデザート』(成文堂、2015年)として公刊した。
清水 巖(しみず いわお、1945年8月30日 - )は、日… 清水 巖(しみず いわお、1945年8月30日 - )は、日本の法学者。専門は、商法・消費者法。九州大学名誉教授。消費者問題研究者。社会活動家。 山口県山口市に生まれる。山口県立山口高等学校を経て、1968年に大阪大学法学部を卒業。引き続き同大学院法学研究科に進み、修士課程を修了後、博士課程在学中に文部教官に採用されて退学する。 滋賀大学経済学部助教授を経て、1983年に教授に昇進(学部および大学院経済学研究科で商法を担当)。 1993年に九州大学法学部教授(大学制度改革により九州大学大学院法学研究院教授)に転任。その後、法科大学院制度の発足により、同大学法科大学院教授を兼任した。九州大学では法学部および大学院法学府博士課程で商法及び消費者法を、大学院法務学府(法科大学院)で消費者法を担当した。
水津 一朗(すいづ いちろう、1923年1月1日 - 199… 水津 一朗(すいづ いちろう、1923年1月1日 - 1996年4月8日)は、日本の地理学者。人文地理学を専攻。伝統的地理学と計量革命後の計量地理学の止揚を目指し、「位相地理学」を提唱した。学位は、文学博士(京都大学・論文博士・1971年)。京都大学名誉教授。奈良大学元学長。 1923年山口県山口市生まれ。山口県立山口中学校(山口県立山口高等学校の前身)、旧制山口高等学校(現・山口大学)文科甲類卒業、1942年10月に京都帝国大学文学部史学科に進学するも、学徒出陣により兵役に従う。後に復員、復学。1946年9月に同大学を卒業。その後は特別研究生として大学院に進学。 1952年大阪市立大学講師、同大学助教授を経て、1959年に京都大学文学部助教授に就任(1966年から1967年まで、在外研究でヨーロッパに赴き、ドイツ、スウェーデンに滞在)。
三田村 泰助(みたむら たいすけ、1909年(明治42年)1… 三田村 泰助(みたむら たいすけ、1909年(明治42年)10月9日 - 1989年(平成元年)9月23日)は、日本の歴史家(東洋史・中国史)。 1909年、福井県南条郡武生町(現越前市)生まれ。山口高校から京都帝国大学東洋史学科に進んだ。東洋史学科では、内藤湖南、羽田亨に師事した。卒業後は、1949年から80年まで立命館大学教授。定年退職後に名誉教授。1989年9月に死去。
河村 又介(かわむら またすけ、1894年1月1日 ‐ 19… 河村 又介(かわむら またすけ、1894年1月1日 ‐ 1979年1月4日)は、日本の法学者、裁判官。
渡辺 世祐(わたなべ よすけ、1874年3月13日 - 19… 渡辺 世祐(わたなべ よすけ、1874年3月13日 - 1957年4月28日)は、日本史学者。明治大学、國學院大學各教授。学位は、文学博士(1919年)。山口県平民。 1874年、山口県吉敷郡下宇野令村(現・山口市)生まれ。旧姓は蔵田。山口高校を経て1900年7月、東京帝国大学文科大学国史学科を卒業。熊谷中学校勤務の後、1903年に「関東ヲ中心トシタル足利時代史」の研究のため、東京帝国大学大学院に進学する。 1904年(明治37年)から東京帝国大学史料編纂掛(史料編纂所)に勤務。1905年(明治38年)からは東京帝国大学文科大学講師として室町時代・戦国時代の歴史を講義する。1910年(明治43年)からは國學院大學部でも教鞭を取る。
西 晋一郎(にし しんいちろう、1873年(明治6年)3月2… 西 晋一郎(にし しんいちろう、1873年(明治6年)3月29日 - 1943年(昭和18年)11月13日)は、日本の倫理哲学者。学位は、文学博士。京都帝国大学の西田幾多郎博士とともに“両西”と呼ばれ、倫理哲学界の重鎮であった。 1873年、鳥取県鳥取市で西昇蔵の長男として生まれた。山口高校を経て東京帝国大学に入り、1899年(明治32年)に同大学哲学科を卒業した。 1902年、広島高等師範学校が設立されると同校教授に就任。同校が1929年に文理科大学に改組されたのちも引き続きその教授をつとめた[疑問ありーノート参照]。1937年に満州国の首都・新京に建国大学を設立することが満洲国国務院の会議で決定するが、設立にあたっては創立委員を務めた。
高岡 熊雄(たかおか くまお、1871年9月29日(明治4年… 高岡 熊雄(たかおか くまお、1871年9月29日(明治4年8月15日) - 1961年(昭和36年)12月29日)は、日本の農学者・農政学者・農業経済学者。。第3代北海道帝国大学総長。島根県生まれ。 1871年、津和野藩士・高岡道敬の次男として島根県鹿足郡津和野町で生まれた。津和野小学校を卒業後、兄がいた旧制山口中学校に進学し、ここで出会った国木田哲夫(独歩)とは終生の親交を結んだ。その後兄の転勤にともなって転校し、札幌農学校(現・北海道大学農学部)予科に進学。農学校では新渡戸稲造に師事。1895年6月、札幌農学校農学科を卒業した。卒業後は、新渡戸教授のすすめで同校の研究生となった。 1896年7月、母校の札幌農学校農芸伝習科講師に就いた。