スポーツ選手、俳優、学者、実業家、芸能人など各界で活躍する人物情報に加え、外の言語(多言語)で紹介されている内容や、その人物にゆかりのある地の観光資源データを集めました。
藤本 伸(ふじもと しん、1938年3月31日 - )は、山… 藤本 伸(ふじもと しん、1938年3月31日 - )は、山口県出身の元プロ野球選手。ポジションは内野手。 山口高校では内野手、控え投手として活躍。1954年秋季中国大会県予選決勝に進むが防府高に敗退。1955年春季中国大会県予選は準決勝で豊浦高を相手にリリーフで登板するが、9回サヨナラ負けを喫する。夏も県予選で敗れ甲子園には出場できなかった。高校同期に投手の舛井真喜人(南海)がいた。 1956年に読売ジャイアンツへ入団。1年目から控え内野手として一軍に定着。1961年には、移籍した土屋正孝の後継二塁手を塩原明、増田浩らと争う。翌1962年も遊撃手、二塁手として起用され64試合に先発出場するが、1963年には出場機会が減り、同年限りで引退。
末森 法典(すえもり ほうてん、1936年6月18日 - )… 末森 法典(すえもり ほうてん、1936年6月18日 - )は、山口県出身の元プロ野球選手。 山口高校から1955年に南海ホークスへ入団。1958年に退団。
小林 吉雄(こばやし よしお、1919年 - 1997年3月… 小林 吉雄(こばやし よしお、1919年 - 1997年3月29日)は、山口県出身のプロ野球選手。晩年は佐々木姓を名乗った。 当初は親の意向や教員への憧れから、山口師範学校に通っていた。しかし同校には野球部がなく、また1933年の選抜に御園生崇男を擁する山口中学が出場したことに刺激を受け、山口師範学校附属高等小学校の卒業後、山口中学校に編入した。 1939年に大阪タイガースへ入団。同年にホームスチールを決めているが、プロ通算で得点は1のため、得点に占めるホームスチール率10割という珍記録を残している。 1941年に応召のため退団した。 戦後は宇部興産に入社。その際の縁で佐々木家の養子となり、同家が経営する佐々木モーターズの社長に就任した。
御園生 崇男(みそのお たかお、1916年1月16日 - 1… 御園生 崇男(みそのお たかお、1916年1月16日 - 1965年7月10日)は、山口県防府市出身のプロ野球選手(投手)・コーチ・監督、解説者・評論家。 日本プロ野球史上2人目のシーズン無敗を達成した。 1916年1月16日に山口県防府市で生まれる。山口県立山口中学校在学時は1933年の第10回選抜中等学校野球大会に出場経験を持つ。進学先の関西大学体育会野球部では新人戦で完封勝利を記録するなど話題の投手となり1936年2月1日に設立されたばかりの大阪タイガースから誘われると僅か1年で大学を中退し、入団した。 入団当初から主戦投手として活躍し、同年5月27日の対阪急軍戦で初勝利を挙げると、1937年秋季には15試合に登板して11勝無敗、勝率1.000の大活躍でタイガースの初優勝に貢献した。