スポーツ選手、俳優、学者、実業家、芸能人など各界で活躍する人物情報に加え、外の言語(多言語)で紹介されている内容や、その人物にゆかりのある地の観光資源データを集めました。
住谷 幸伸(すみたに ゆきのぶ、1954年〈昭和29年〉8月… 住谷 幸伸(すみたに ゆきのぶ、1954年〈昭和29年〉8月7日 - )は日本の実業家、社会起業家、元政治家。平成レッグス株式会社代表取締役社長、日本スポーツ少年団常任委員。元高松市議会議員(4期、元議長)。元カマタマーレ讃岐代表取締役社長。 香川県高松市出身。高松商業高校ではサッカー部に所属し、高校総体に3年連続出場。3年生時は主将。1976年に弦打サッカースポーツ少年団を創設し、後身の指導に当たる一方、高松商高OBサッカークラブ(高商OBクラブ)の選手として第1回四国サッカーリーグ出場(その後、第2回、第5回に出場)。1980年、スポーツ少年団指導者協議会指導者研修で訪欧し先進的なスポーツクラブについて学ぶ。
多田野 宏一(ただの こういち、1954年7月3日 - )は… 多田野 宏一(ただの こういち、1954年7月3日 - )は、日本の実業家。タダノ代表取締役社長を経て、同社代表取締役会長、あおぞら銀行取締役。元日本建設機械工業会副会長。藍綬褒章受章。 香川県高松市生まれ。香川県立高松商業高等学校を経て、1977年一橋大学経済学部卒業。大学では体育会陸上ホッケー部に所属。大学卒業後、丸紅株式会社に入社し、ナイジェリアやマレーシアに駐在。 1988年株式会社タダノ入社。ドイツでのM&Aを手がけたのち、社長室長を務めた。1996年ドイツ・FAUN GmbH社社長に就任。2003年から株式会社タダノ代表取締役社長を務め、売上の海外比率を3分の2にまで引き上げるなど、海外展開を進めた。
真鍋 康彦(まなべ やすひこ、1938年1月30日 - )は… 真鍋 康彦(まなべ やすひこ、1938年1月30日 - )は、日本の実業家。香川県を本拠とすることでんグループ代表で、同グループ傘下のほとんどの会社(高松琴平電気鉄道、ことでんバス、ことでんサービス、屋島ドライブウェイ、高松グランドカントリー他)の社長を務めていた、現在は会長。香川日産自動車相談役。アイル・パートナーズ(旧サンクスアンドアソシエイツ東四国)相談役。 元香川経済同友会代表幹事。元香川県経営者協会会長。 香川県高松市に生まれ。1962年香川大学経済学部を卒業し日興証券入社。父親の後を受けて香川日産自動車の社長、会長を歴任。その後、サンクスアンドアソシエイツ東四国の経営を経て2002年、前年に民事再生法適用を申請した高松琴平電気鉄道から社長就任を要請され、「地域社会への使命感」から受諾した。
笠井 和彦(かさい かずひこ、1937年1月16日 - 20… 笠井 和彦(かさい かずひこ、1937年1月16日 - 2013年10月21日)は、日本の実業家。富士銀行(現みずほ銀行)取締役副頭取や、安田信託銀行(現みずほ信託銀行)取締役会長、福岡ソフトバンクホークス代表取締役社長兼オーナー代行を歴任した。 香川県木田郡三谷村(現高松市)出身。香川県立高松商業高等学校を経て、1959年香川大学経済学部卒業。近世欧州経済史の家名田克男ゼミ第1期出身。ゼミ生は1人だけだった。大学卒業後、富士銀行(現みずほ銀行)入行。 1964年本店の外国部外国資金課に配属。1969年スイス銀行(チューリッヒ)での半年間研修、1973年から1977年までのニューヨーク支店勤務を含め、為替ディーラーとして活躍。
加藤 常太郎(かとう つねたろう、1905年〈明治38年〉4… 加藤 常太郎(かとう つねたろう、1905年〈明治38年〉4月30日 - 1990年〈平成2年〉10月11日)は、日本の実業家、政治家。位階は正三位。加藤海運社長、宇部工業短期大学初代学長、参議院議員(1期)、衆議院議員(13期)、労働大臣(第34代)。 香川県高松市出身。先代・常太郎の長男として生まれ、襲名する。高松商業を経て、奉天外国語学堂支那語科を卒業。 父が急逝したため、24歳で家業を継ぎ、機帆船を主にした加藤海運社長となる。海運業に慣れてくると神戸に乗り出し、小型汽船70隻を統合し、日本近海汽船(現:川崎近海汽船)を設立。代表取締役になった。しかし、太平洋戦争が激しくなったことを受け、会社経営を友人に任せ帰郷した。
鈴木 祥枝 (すずき さかえ、1887年(明治20年)8月6… 鈴木 祥枝 (すずき さかえ、1887年(明治20年)8月6日- 1957年(昭和32年)2月11日)は、日本の実業家、商学博士。東京海上火災保険社長を務めた。 香川県出身。1903年(明治36年)香川県立商業学校(現香川県立高松商業高等学校)卒業。1907年(明治40年)神戸高等商業学校(現神戸大学)を第一期生として卒業。1907年(明治40年)、東京海上保険(1918年に東京海上火災保険に改称)に入社。ロンドン駐在時、鈴木商店ロンドン支店長高畑誠一、台湾銀行ロンドン支配人佐々木義彦などと親交を結ぶ。鈴木商店破綻後、日本商業(日商、現在の双日の前身企業の一つ)の創立に当たり高畑に大きな援助を与えた。
國東 照太(くにとう てるた、1887年(明治20年)1月1… 國東 照太(くにとう てるた、1887年(明治20年)1月1日 - 1972年(昭和47年)6月11日)は、日本の政治家、実業家。1938年に高松市会議員を経て、1946年から1967年までの官選1期公選5期の21年にわたり高松市長を務めた政治家であると同時に、グローバルに展開する零細企業集団「国東財閥グループ」の創始者たる実業家でもある。高松市名誉市民。 1887年(明治20年)1月1日、香川県香川郡中ノ村(後に栗林村大字中村、現・高松市中野町)に父長太郎、母ツネの長男として生まれる。両親は家の東側を流れる川で紙の手漉き製造を生業としていた。 栗林尋常小学校(現・高松市立栗林小学校)を卒業後、10歳で紫山高等小学校(高松市天神前、現・アイパル香川)へ進学。
國東照太(くにとう てるた、1887年1月1日 - 1972… 國東照太(くにとう てるた、1887年1月1日 - 1972年6月11日)は、日本の政治家、実業家。1938年に高松市市議会議員を経て、1946年から1967年までの官選1期公選5期の21年にわたり高松市長を務めた政治家であると同時に、高松市を中心とする企業集団「常磐グループ」の創始者たる実業家でもある。高松市名誉市民。
松本 昇(まつもと のぼる、1886年(明治19年)5月27… 松本 昇(まつもと のぼる、1886年(明治19年)5月27日 – 1954年(昭和29年)6月9日)は、明治末から昭和前期の実業家、政治家。参議院議員(1期)、資生堂社長。 香川県阿野郡、のちの端岡村(綾歌郡端岡村、国分寺町端岡、現高松市)で、松本彦三郎の二男として生まれた。生家は代々、香川郡、阿野郡、鵜足郡の三郡で地頭を務めた旧家。高松商業学校(現香川県立高松商業高等学校)を経て早稲田大学商科で学んだ。同大を中退して1905年(明治38年)アメリカに留学し、アスベリパーク・ハイスクールを経て、ニューヨーク市の百貨店シンプソン・クロフォード商会で昼に勤務し、夜はニューヨーク大学商科に通学して1909年(明治42年)に同大を卒業。