スポーツ選手、俳優、学者、実業家、芸能人など各界で活躍する人物情報に加え、外の言語(多言語)で紹介されている内容や、その人物にゆかりのある地の観光資源データを集めました。
石村 嘉成(いしむら よしなり、1994年 - )は、愛媛県… 石村 嘉成(いしむら よしなり、1994年 - )は、愛媛県新居浜市出身(在住)の画家・版画家である。愛媛県立新居浜商業高等学校を卒業した。 1歳を迎えるまで通常の発語があったが、1歳2か月のころから言葉が消えていき、2歳半で自閉症と診断された。11歳になった2005年に、元看護師の母が約半年間の闘病の末に40歳で死去した。父が経営する会社を切り盛りしながら、中学校から高校まで普通学級に通った。高校の3年間は無遅刻無欠席だった。 高校3年の時に、授業の一環として版画とアクリル画を始める。完成した作品「友達のワンダーランド」を文化祭で飾ると先生やクラスメイトが驚き、愛媛県のデザイン学校主催の作品展に入選して、愛媛県美術館に展示された。
近藤 楓(こんどう かえで、1991年10月6日 - )は、… 近藤 楓(こんどう かえで、1991年10月6日 - )は、日本の女子バスケットボール選手である。デンソーアイリス所属。ポジションはガードフォワード。背番号20。173cm、62kg。 愛媛県四国中央市土居町出身。土居中学校から新居浜商業高校を経て、大阪人間科学大学に進学し、インカレ準優勝。 2014年、トヨタ自動車アンテロープスに入団し、2015年に日本代表候補に選出される。 2016年、新潟県のアオーレ長岡で13年ぶりに開催されたWJBLオールスターゲームで WESTチームとしてファン投票により選出され出場。同年、リオデジャネイロオリンピックに出場 2019年オフ、デンソーアイリスに移籍。 2022年3月に負傷し、シーズン後現役引退。
神野 信也(じんの しんや、1973年4月19日 - )は、… 神野 信也(じんの しんや、1973年4月19日 - )は、愛媛県出身の元プロ野球選手(投手)。 現在は、埼玉西武ライオンズの打撃投手。 新居浜商業高時代は、四国屈指の好投手として注目されていた。エースで4番を務め、3年春は県大会準優勝。社会人野球のNTT四国入りも噂されたが、1991年のプロ野球ドラフト会議で西武ライオンズから5位指名を受け入団。 左の軟投派ピッチャーとして期待されていたが、二軍でも成績は振るわずショートリリーフでの起用が多かった。 一軍登板のないまま1996年限りで現役を引退し、打撃投手に転身した。
窪田 夕子(くぼた ゆうこ、女性:1970年12月8日 - … 窪田 夕子(くぼた ゆうこ、女性:1970年12月8日 - )は、愛媛県川之江市(現・四国中央市)出身のバスケットボール選手である。ポジションはガード。170cm。 新居浜商業高校卒業後、シャンソン化粧品に入社。オールジャパン・日本リーグ4度優勝に貢献する。全日本にも選出され、1993年東アジア競技大会に出場した。 1995年、シャンソン化粧品を退社し、教員を目指すべく大阪体育大学に入学。在学中に1995年福岡ユニバーシアードで銅メダル獲得。 卒業後は母校である新居浜商業高校に赴任。バスケットボール部顧問・監督を務める一方、クラブチームでプレーを続け、国体にも出場した。
続木 敏之(つづき としゆき、1958年7月4日 - )は、… 続木 敏之(つづき としゆき、1958年7月4日 - )は、愛媛県新居浜市出身の元プロ野球選手(捕手、右投右打)・監督・コーチ。 新居浜市立新居浜商業高校では2年の時、捕手、四番打者として1975年の第57回全国高等学校野球選手権大会に出場。3年生のエース村上博昭とバッテリーを組み決勝に進出するが、小川淳司を擁する習志野高に9回裏4-5xでサヨナラ負け、準優勝にとどまる。直後の全日本高校選抜チームによる米国西海岸・ハワイ遠征にも選出された。同年秋の三重国体では、決勝で習志野高にまたも9回裏逆転サヨナラ負けを喫し準優勝。村上以外のチームメートに片岡大蔵がいた。1976年夏の甲子園愛媛県予選では決勝で今治西高に敗退。
片岡 大蔵(かたおか だいぞう、1957年11月23日 - … 片岡 大蔵(かたおか だいぞう、1957年11月23日 - )は、愛媛県出身の元プロ野球選手(投手)。右投右打。 幼少期から兄2人の影響を受け野球を始める、新居浜市立惣開小学校ではソフトボール、新居浜西中では軟式野球部に加入していた。 1973年に新居浜商業高に入学。1974年に春のセンバツへ出場。 1975年に投手兼一塁手として夏の甲子園に出場。愛媛県大会予選では、3回戦の内子高戦で9回2死までノーヒットノーランに抑えたが最後の打者にライト前のポテンヒットを打たれ快挙を逃す。北四国大会決勝では、当時愛媛県で無敵を誇った西条高戦に3回途中からリリーフ、延長10回まで無失点に抑えた(なお、この試合を当時、愛媛・卯之町で夏のキャンプをしていた国士舘大学野球部の畑俊二監督が偶然テレビ観戦していてスカウトされたと言われている)。
山田 悦子(やまだ えつこ、旧姓:沢崎、1951年(昭和26… 山田 悦子(やまだ えつこ、旧姓:沢崎、1951年(昭和26年) - )は、日本の社会運動家。徳島女子短期大学卒業。富山県出身。 1974年(昭和49年)の甲山事件の冤罪被害者として知られる。 富山県出身。愛媛県新居浜市育ち。新居浜市立泉川小学校、新居浜市立泉川中学校を経て新居浜市立商業高等学校(現:愛媛県立新居浜商業高等学校)を卒業。1972年(昭和47年)に徳島女子短期大学保育科(現:徳島文理大学短期大学部)を卒業し、同年に兵庫県西宮市の甲山福祉センター甲山学園に保母として就職する。 1974年(昭和49年)3月17日に甲山学園の園児である女児2人が殺害された甲山事件の犯人として同年4月7日に逮捕され、その後、証拠不十分で不起訴となり釈放。
原 秀樹(はら ひでき、1949年4月5日 - )は、愛媛県… 原 秀樹(はら ひでき、1949年4月5日 - )は、愛媛県出身の元プロ野球選手。ポジションは内野手。 新居浜商業高校では3年生の時に四番打者、一塁手として1967年の春の選抜に出場。札幌光星高、平安高を降し3回戦に進出するが、報徳学園に延長11回の熱戦の末に敗退。この試合では大会第6号本塁打も放っている。同年夏の甲子園県予選でも準決勝に進むが、松山商の玉井信博に完封を喫する。 1967年ドラフト会議で阪神タイガースから6位指名を受け入団。右の長距離打者としての将来性を買われたが、出場機会に恵まれず1971年に引退した。
十亀 賢二(そがめ けんじ、1946年11月26日 - )は… 十亀 賢二(そがめ けんじ、1946年11月26日 - )は愛媛県出身の元プロゴルファー。 新居浜商業高校卒業。 1972年の中四国オープンでは細石憲二の2位、1973年の同大会では金海繁・細石・岡部洋三・上野忠美を抑えて増田光彦の2位に入った。1974年の同大会では開催された松永カントリークラブのコースレコード64を樹立し、1966年の中四国選手権で内田繁が記録した67を8年ぶりに塗り替えた。 1973年のブリヂストントーナメントでは初日に68をマークし、前田新作・島田幸作・安田春雄と並んでの9位タイでスタートした。 1975年の中四国オープンでは冨田三十士・増田を抑えると同時に岡部と並んで上野の2位タイに入り、1978年の関西プロでは初日に陳健振(中華民国)・上田鉄弘・窪田茂・上野・藤井義将・柴田猛と並んでの4位タイでスタートした。