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門田 純良(かどた すみよし、1951年4月5日 - )は、… 門田 純良(かどた すみよし、1951年4月5日 - )は、愛媛県今治市出身の元プロ野球選手(投手)。 今治南高から、社会人野球の愛媛相互銀行へと進み、谷山高明とともに主力投手として活躍。 1970年のプロ野球ドラフト会議で南海ホークスから3位指名される。しかし保留する。 1971年の都市対抗に谷山とともに丸善石油の補強選手として出場。2回戦では盛岡鉄道管理局を相手に先発するが、早々に打ち込まれ真価を発揮できなかった。準々決勝でも先発を任され、日本石油の奥江英幸と投げ合う。この試合は3回からエースの久玉清人に継投して勝利を飾った。決勝に進出し新日鐵広畑と対戦。7回から久玉をリリーフするが白滝政孝、佐々木恭介に適時打を浴び降板、敗退した。
正岡 真二(まさおか しんじ、1949年8月15日 - )は… 正岡 真二(まさおか しんじ、1949年8月15日 - )は、愛媛県今治市出身の元プロ野球選手(内野手)。1971年までは村上(むらかみ)姓であった。 2014年まで中日ドラゴンズのスカウトを務めていた。 今治南高校では遊撃手、一番打者として1967年夏の甲子園予選北四国大会決勝に進出。玉井信博投手を主戦とする松山商を降し甲子園に出場。準々決勝に進むが、野上俊夫投手を擁する市和歌山商に延長10回の熱戦の末3-4xで敗れた。 高校球界ナンバーワンの遊撃手と評価され、1967年のドラフト4位で中日ドラゴンズに入団。打撃に極端に難があり、二軍暮らしが長かった。 1973年に一軍に定着、華麗な守備で徐々に出場機会を増やすが、打撃面での弱さが克服できず、広瀬宰とのレギュラー遊撃手争いが続く。
金子 準一(かねこ じゅんいち、1947年11月5日 - )… 金子 準一(かねこ じゅんいち、1947年11月5日 - )は、愛媛県出身の元プロ野球選手(投手)。 元阪神タイガースの金子哲夫の実弟。 今治南高では、エースとして甲子園に2回出場。2年生時の1964年には夏の甲子園北四国大会決勝で高松高を降し、夏の選手権に出場。1回戦で熊谷商工に延長12回敗退。同年秋季四国大会でも準決勝に進み、高知商の江本孟紀と投げ合い敗退。3位決定戦でも徳島商に敗れるが、高知商に野球部内不祥事があり、翌1965年春の選抜への出場を辞退。繰り上がりで春の選抜に出場する。しかし1回戦で大谷高に惜敗。 1965年のプロ野球ドラフト会議で近鉄バファローズから9位指名を受けるも、近鉄が交渉権を放棄。
大原 敏夫(おおはら としお、1918年1月7日 - 193… 大原 敏夫(おおはら としお、1918年1月7日 - 1939年)は、愛媛県出身のプロ野球選手(捕手)。 愛媛県立越智中学校(現・愛媛県立今治南高等学校)在学時代は内野手だった。その後呉海軍工廠では捕手を務め、1937年に阪急軍に入団。 当時の阪急の捕手には倉本信護(ちなみに、彼とは呉海軍工廠でチームメイトだった)、島本義文がいて出場が難しいかと思われたが、デビュー戦となった1937年4月12日のイーグルス戦で、8番捕手として先発出場。2打数1安打1打点1盗塁と活躍し、2人の正捕手争いに割って入る事ができた。その後、倉本が名古屋軍へ移籍し、島本が持病の肩痛で出場機会が減少したことから、翌1938年に阪急の正捕手になった。
重松 通雄(しげまつ みちお、1916年9月16日 - 19… 重松 通雄(しげまつ みちお、1916年9月16日 - 1979年12月16日)は、愛媛県出身のプロ野球選手(投手)・コーチ・監督。 NPBにおけるアンダースロー第1号ともいわれる。 越智中学校から広島県呉市の呉海軍工廠電気部に所属し、11チームあった同社の硬式野球部の電気部エースとして「オール呉」が編成されるといつも選抜された。また、1936年に創設された現行プロ野球に名乗りを上げたが、加盟は認められなかった名古屋市の球団「セントラル・シティ」に偽名で登録し、数試合投げていた。しかし、試合後に酒を飲んで警察に拘留された件で呉工廠への復帰が閉ざされ、先に阪急入りしていた倉本信護から阪急入団テストの話を聞いてテストに合格し、1936年に創立したばかりの阪急軍に入団すると、三宅大輔監督からアンダースローへの変更を言い渡される。