スポーツ選手、俳優、学者、実業家、芸能人など各界で活躍する人物情報に加え、外の言語(多言語)で紹介されている内容や、その人物にゆかりのある地の観光資源データを集めました。
青野 勝広(あおの かつひろ、1944年2月7日 - )は、… 青野 勝広(あおの かつひろ、1944年2月7日 - )は、日本の経済学者、松山大学経済学部教授、元松山大学学長。経済学博士。専門は土地問題。 愛媛県松山市出身。松山商業高校および松山大学卒業後、1971年神戸大学大学院博士課程修了。 1980年より松山大学経済学部教授、1983年~1987年に松山大学経済経営研究所長、1992年~1993年は松山大学副学長、2001年~2003年には松山大学理事長・学長をそれぞれ務めた。学長当時、将来を展望して新学部構想として「総合政策学部」の開設を構想したが、既存の学部と重複する、あるいは改革が急であるとの反発を受けたために実現しなかった。2018年からは倉敷芸術科学大学危機管理学部の非常勤講師を務める。
藻利 重隆(もうり しげたか、1911年11月30日 - 2… 藻利 重隆(もうり しげたか、1911年11月30日 - 2000年2月18日)は、日本の経営学者。専門は労務管理。一橋大学名誉教授、山梨学院大学名誉教授である。博士(商学)(1960年、一橋大学にて取得)。紫綬褒章及び勲二等瑞宝章受章。元日本経営学会理事長。 1911年、愛媛県松山市で生まれた。1924年3月、愛媛師範学校附属小学校(現・愛媛大学教育学部附属小学校)を卒業し、愛媛県立松山商業学校(現・愛媛県立松山商業高等学校)に進学。1929年3月に卒業し、同年4月に無試験で山口高等商業学校(現・山口大学経済学部)に入学した。在学中の1930年4月から1932年3月まで、山口高等商業学校特待生であった。
越智 二良(おち じろう、1891年1月26日 - 1991… 越智 二良(おち じろう、1891年1月26日 - 1991年4月18日)は愛媛県松山市出身の随筆家、評論家、郷土史家である。俳号は水草。柳号は緋威子、やなぎ丸。 小学校では藤野古白の弟である藤野滋と同級生であった。投書雑誌『文章世界』に「越智水草」「落二郎」という筆名で投稿していた(「サフラン酒」は『文章世界』の優秀作を厳選した田山花袋編『二十二篇』東雲堂1910年にも収録された)。1909年5月に創刊された雑誌『四国文学』では2巻5号まで編集者を務めた。愛媛県立松山商業学校(現・愛媛県立松山商業高等学校)を卒業後、海南新聞社(現在の愛媛新聞社)に入社。1913年5月に同紙一面に文芸欄が新設された際、担当者に就く。