スポーツ選手、俳優、学者、実業家、芸能人など各界で活躍する人物情報に加え、外の言語(多言語)で紹介されている内容や、その人物にゆかりのある地の観光資源データを集めました。
森下 貴裕(もりした たかひろ、1995年6月4日 - )は… 森下 貴裕(もりした たかひろ、1995年6月4日 - )は、日本の元プロ野球選手(外野手)。出身地は高知県長岡郡本山町。 本山町土佐町中学校組合立嶺北中学校から土佐高等学校へ進学し、3年となった2013年の第85回記念選抜高等学校野球大会に21世紀枠で出場し、2回戦で浦和学院高等学校に敗れた。 高校卒業後は慶應義塾大学環境情報学部へ入学に伴い神奈川県横浜市へ移住し慶應義塾体育会野球部へ入部し野球部員として活動していた。4年となった2017年秋にプロ志望届を提出したが、NPB球団からのドラフト指名はなかった。 卒業後の進路はベースボール・チャレンジ・リーグ志望としたものの進路未定で大学卒業することになった。
浜田 一志(はまだ かずし、1964年9月11日 - )は、… 浜田 一志(はまだ かずし、1964年9月11日 - )は、高知県高知市出身の元アマチュア野球選手(外野手)、野球指導者。学習塾「Ai西武学院」塾長。 小学4年生の頃から野球を始める。土佐高校での夏の大会後、その時点では偏差値38ながら独自の勉強法で東京大学理科二類に現役合格。硬式野球部に所属し、東京六大学野球リーグでは1985年の春季にシーズン本塁打、1試合最多本塁打記録をマークし、翌年には主将を務めた。 その後は、東京大学大学院工学系研究科に進学し、大学院修了後は新日本製鉄で勤務した。1994年より文武両道を目指す学習塾「Ai西武学院」を経営する。 2008年に東大野球部のスカウティング事務局を立ち上げ、2013年から2019年までには母校の東京大学の監督を務め、宮台康平らを育てた。
森岡 浩(もりおか ひろし、1961年4月10日 - )は、… 森岡 浩(もりおか ひろし、1961年4月10日 - )は、日本の姓氏・野球史研究家。日本文藝家協会所属。 高知県高知市生まれ。土佐中学校・高等学校を経て、早稲田大学政治経済学部卒業。中学生の頃、近隣に同じ名前を持つ住人が集まる地域があり、電話帳で調べたことが名字に興味を持つきっかけとなる。大学在学中から日本人の名字に関して独学で研究を始める。また、高校野球に重心を置いた野球史の研究も行う。 名字関連の書籍や名字辞典には記載されているものの、実在しない名字の総称として幽霊名字を提唱している。
萩野 友康(はぎの ともやす、1950年7月15日 - )は… 萩野 友康(はぎの ともやす、1950年7月15日 - )は、高知県出身の元社会人野球の野球選手(投手)、野球指導者。 土佐高では、1967年の2年生時に夏の甲子園に出場。準々決勝に進出するが中京高の川口勉に抑えられ敗退。秋は県大会準決勝で伊野商の井本隆に投げ勝つが決勝で高知商に敗れて準優勝。四国大会は初戦で徳島商の松村憲章と投げ合うも敗れた。翌1968年夏は、高知県大会決勝に進出するが、高知高に0-1で延長10回サヨナラ負け、甲子園出場を逸する。 高校卒業後の1969年、慶應義塾大学に進学し野球部に入部。東京六大学野球リーグでは1971年秋季リーグから3季連続優勝。同期の長谷部優との二本柱で活躍する。
上岡 誠二(かみおか せいじ、1948年 - )は、高知県出… 上岡 誠二(かみおか せいじ、1948年 - )は、高知県出身の元アマチュア野球選手(投手)。 土佐高では、1965年に1年下の広田義典と投の二本柱を組み、秋季四国大会に進む。決勝で高知高を降し、翌1966年春の選抜への出場を決めた。大会では先発を任され、準々決勝で平安高の門野利治と投げ合い1-0で完封勝ち。準決勝でも育英高を降し決勝に進出。中京商の加藤英夫との投手戦となるが3回の1失点を挽回できず、0-1で敗退し準優勝にとどまる。同年夏は南四国大会決勝に進むが、鳴門高の森進(三井造船)、板東順司の継投に抑えられ惜敗、甲子園出場を逸する。 慶應義塾大学に進学。東京六大学野球リーグでは1967年春季リーグに優勝を経験するが、その後は優勝に届かなかった。
大橋 勲(おおはし いさお、1941年3月25日 - )は、… 大橋 勲(おおはし いさお、1941年3月25日 - )は、高知県高知市出身(兵庫県生まれ)の元プロ野球選手(捕手)。 幼少の頃に出生地の兵庫から、一家と共に高知へ移り、父・隆は高知で不動産業を成功させた。大橋は何不自由ない裕福な家庭で育ち、プロ入り後は帰郷すると、玄関に家政婦が3人も三つ指をついて出迎えてくれるという噂があった。土佐中から内部進学した土佐高では2年次の1957年に秋季四国大会県予選で決勝に進むが、高知商の山崎武昭・森光正吉の継投に抑えられて惜敗。この頃は遊撃手としてプロスカウトの目にとまる逸材であったが、当時の高知商は俊足揃いであったため、この足を封じるために肩の良い大橋が捕手に転向したというエピソードがある。
西山 弘二(にしやま こうじ、1937年6月27日 - 20… 西山 弘二(にしやま こうじ、1937年6月27日 - 2025年9月11日 )は、広島カープに所属した高知県出身の元プロ野球選手(捕手)(右投右打)。 1963年のみ登録名を「西山 幸次」に変更した(読みは本名と同じ)。 土佐高等学校から中央大学を経て、1960年に大型捕手と期待され広島カープに入団。期待されたが、思うような成績を残せず4年で退団した。
永野 元玄(ながの もとはる、1936年2月26日 - )は… 永野 元玄(ながの もとはる、1936年2月26日 - )は、日本の高校野球審判員、元社会人野球選手。高知県出身。 高知市立城西中学校から土佐高等学校に進学。野球部では捕手。1952年、2年生の時に第24回選抜高等学校野球大会に出場したが初戦敗退。3年次は主将として、春夏連続甲子園出場。第25回選抜高等学校野球大会は2回戦で敗退したが、夏の第35回全国高等学校野球選手権大会では決勝まで進出。空谷泰を擁する愛媛県立松山商業高等学校との決勝戦では、9回表に勝利目前ファウルチップを落球、直後に空谷に同点打を放たれ、延長13回に決勝点を許し準優勝に終わった。 慶應義塾大学では藤田元司とバッテリーを組んだ。
籠尾 良雄(かごお よしお、1934年3月10日 ‐ 200… 籠尾 良雄(かごお よしお、1934年3月10日 ‐ 2002年11月23日)は、日本の高校野球指導者。高知県出身。 高知県宇佐町(現在の土佐市)生まれ。土佐中学校・高等学校に進学。高校では野球部に入らず、溝淵峯夫監督からコーチ術を学び、休日に帰郷して宇佐中学校で教えていた。早稲田大学教育学部でも野球部に入らず森茂雄監督にコーチ術を学び、宇佐中学校野球部監督として指導していた。当時の教え子に片田謙二、横山小次郎、有藤通世、浜村孝、山下司、井本隆がいる。卒業後は帰郷して中学校教師となり、1963年に高知市立高知商業高等学校教諭に転じたが、野球部の部長しか空きがないため1学期で退職、母校の土佐高校教諭に転じた。