スポーツ選手、俳優、学者、実業家、芸能人など各界で活躍する人物情報に加え、外の言語(多言語)で紹介されている内容や、その人物にゆかりのある地の観光資源データを集めました。
石井 孝法(いしい たかのり、1980年4月3日 - )は、… 石井 孝法(いしい たかのり、1980年4月3日 - )は、福岡県出身の日本の柔道家。身長179cm。全日本柔道連盟のグランドデザインに位置付けられている長期育成指針を作成した。 2024年まで了徳寺大学教養部教授であった。また、2005年から全日本柔道連盟の科学研究部に所属し、2013年から2021年まで日本オリンピック委員会の専任情報科学スタッフ、2024年パリ五輪まで日本柔道ナショナルチーム(強化委員会)のメンターなどを歴任した。 学校法人沖学園隆徳館中学校(卒業は中原中学)から福岡大大濠高校を経て福岡大学に進学すると、3年の時には講道館杯の100kg級3回戦で国士舘大学3年の鈴木桂治に敗れるも、敗者復活戦を勝ち上がって3位になった。
宗 真一郎(そう しんいちろう、1972年6月18日 -)は… 宗 真一郎(そう しんいちろう、1972年6月18日 -)は福岡県出身の日本の柔道家。現役時代は95kg級及び100kg級の選手。身長190cm。 志摩中学から福岡大大濠高校に進むが、この当時は大きな実績を上げていない。福岡大学へ進むと力を付け始めて、2年の時にはジュニア体重別95kg級で優勝を飾った。3年の時には正力杯に出場すると、東海大学3年で187cmの大原尚喜との国内のこの階級では珍しい190cm前後の選手同士による決勝となったが、谷落で敗れて2位に終わった。アジア選手権では優勝を飾った。優勝大会では5位となった。4年の時には正力杯と優勝大会でそれぞれ5位だった。1995年には九州電力の所属となった。
房前 善行(ふさまえ よしゆき、1967年6月13日 -)は… 房前 善行(ふさまえ よしゆき、1967年6月13日 -)は福岡県出身の日本の柔道家。身長173cm。現役時代は86kg級の選手。 花畑中学3年の時に全国中学校柔道大会団体戦の準決勝で古賀稔彦率いる弦巻中学に敗れて3位だった。福岡大学附属大濠高校2年の時に金鷲旗で3位になった。全国高校選手権では決勝で古賀稔彦率いる世田谷学園高校に敗れて2位だった。3年の時には金鷲旗で3位だった。福岡大学1年の時に新人体重別86kg級で2位になった。2年の時には3位だった。3年の時には体重別で3位となった。1990年に九州電力の所属になると、講道館杯では決勝でマルナカの岡田弘隆に敗れるも2位になった。嘉納杯では決勝でフランスのジャン=ルイ・ジェモンに開始早々の裏投で敗れた。
德安秀政(とくやす ひでまさ 1966年4月15日 - ) … 德安秀政(とくやす ひでまさ 1966年4月15日 - ) は、福岡県福岡市出身の、日本の柔道家。階級は71kg級。組み手は、右組。得意技は、大外刈り 払腰。 小学2年生の時に、谷亮子や中村三兄弟を輩出した東福岡柔道教室で柔道を始める。 柔道を始めたきっかけは、家の周りの習い事が限られており剣道、柔道、習字といった選択肢しかなく母の勧めもあり柔道を習い始める。 中学3年生まで東福岡柔道教室で柔道を習い、高校は県内屈指の強豪校である福岡大学附属大濠高校に進学する。高校時代は、寮生活を行いながら柔道の稽古に励み九州大会優勝や金鷲旗3位などの実績を残す。 大学進学の際も、いくつかの選択肢があったが将来的に体育の教員になりたいという気持ちがあったため日本体育大学に進学する。
本松 好正(もとまつ よしまさ、1956年3月6日 - 20… 本松 好正(もとまつ よしまさ、1956年3月6日 - 2022年4月18日)は、福岡県飯塚市出身の日本の柔道家。 福岡大大濠高校から日大へ進学すると、4年の時には優勝大会で3位になった。卒業後、警視庁に入庁すると、団体戦の全国警察柔道大会で4度の優勝を飾った。 1988年に埼玉県の埼玉栄高校の柔道部監督に就任した。女子は1991年のインターハイ団体戦で決勝まで進むも、夙川学院高校に敗れて2位に終わった。その後も女子は全国大会で上位の常連になるも、なかなか優勝まで辿り着けなかったが、2005年にエースの白石のどか率いるチームが金鷲旗とインターハイでようやく全国大会優勝を飾った。2007年には高校選手権でも優勝した。
重松 義成(しげまつ よしなり、1951年2月8日 - )は… 重松 義成(しげまつ よしなり、1951年2月8日 - )は福岡県福岡市出身の日本の柔道家。階級は中量級(80kg級)及び86kg級。得意技は大外刈。 柔道は中学の時に父親と叔父の影響で始めた。父親が師範を務めていた福岡大学附属大濠高校に進学すると、3年の時には金鷲旗で優勝を飾った。インターハイ団体戦では3位だった。。明治大学に進むと、1970年に初開催となった全日本ジュニア中量級に出場するが、決勝で天理大学の藤猪省太に敗れた選抜体重別では3位となった。1971年の全日本学生柔道優勝大会では岩田久和、上村春樹らとともにチームの優勝に貢献した。選抜体重別では決勝で警視庁の関根忍に敗れた。続く世界選手権では、決勝で藤猪に優勢負けして2位にとどまった。