スポーツ選手、俳優、学者、実業家、芸能人など各界で活躍する人物情報に加え、外の言語(多言語)で紹介されている内容や、その人物にゆかりのある地の観光資源データを集めました。
大石 いづみ(おおいし いづみ、1978年9月27日 -)は… 大石 いづみ(おおいし いづみ、1978年9月27日 -)は愛知県大府市出身の日本の柔道家。52kg級及び57kg級の選手。現役時代の身長は158cm。 バルセロナオリンピック78kg級金メダリストの吉田秀彦や63kg級でオリンピック2連覇の谷本歩実を輩出したことで知られる大石道場の指導者である大石康の次女。姉の大石愛子は広島アジア大会の66kg級で優勝している。兄の大石公平は大成高校女子柔道部の監督を務める。 大府北中学3年の時には全国中学校柔道大会の52kg級決勝で松葉中学3年の小坂知己を破って優勝した。1994年には福岡県の柳川高校へ進んだ。2年先輩には後のアテネオリンピック78kg級金メダリストの阿武教子がいた。
五味川 みどり(ごみかわ みどり、1978年8月5日 -)は… 五味川 みどり(ごみかわ みどり、1978年8月5日 -)は、日本の柔道家。福岡県出身。現役時代の階級は52kg級。身長は155cm。得意技は体落。 甘木中学1年の時に初開催となった全国中学校柔道大会の56kg級で決勝まで進むが、明光中学3年の柳田恭子に敗れて2位だった。2年の時には52kg級に出場して3位となった。1994年には柳川高校へ進んだ。2年先輩には後のアテネオリンピック78kg級金メダリストの阿武教子がいた。1年の時には高校選手権52kg級の3回戦で敗れた。2年の時には金鷲旗で同級生の大石いづみや南千草などとともに活躍してチームの大会6連覇に貢献した。高校選手権では2回戦で敗れた。 1997年には純真女子短大へ進学した。
猿渡 琢海(さるわたり たくみ、1976年10月16日 - … 猿渡 琢海(さるわたり たくみ、1976年10月16日 - )は、福岡県出身の日本の柔道家。現役時代は100kg超級の選手。身長188cm。体重120kg。 小学校1年の時に柔道を始めた。柳川高校ではアテネオリンピック78kg級金メダリストの阿武教子と同級生だった。2年の時にはインターハイ県予選でライバルの大牟田高校2年の高森啓吾を破って本戦に出場するも、予選リーグで敗れた。3年の時には全日本ジュニアに出場して2位となった。1995年には阿武と同じく明治大学に進んだ。2年の時には全日本学生柔道優勝大会で2位となった。正力杯では決勝で日本大学2年の上口孝太に敗れた。講道館杯でも決勝で警視庁の真喜志慶治に敗れた。
阿武 教子(あんの のりこ、1976年5月23日 - )は、… 阿武 教子(あんの のりこ、1976年5月23日 - )は、山口県阿武郡福栄村(のちの萩市)出身の女子柔道家。女子72kg超級、78kg級で活躍。2004年アテネオリンピック柔道女子78kg級金メダリスト。 現役引退後に結婚し、園田教子に。 小学生のころから3歳年上の姉である美和ともども、柔道界では有名な選手であった。明治大学文学部卒業。学位は学士(文学)(明治大学)。その後、警視庁に入庁。警官としての階級は警部補であり、オリンピック金メダリストとなった後に昇進した。栄典は紫綬褒章受章。その他の賞歴は世界柔道選手権優勝記録多数、アテネオリンピック柔道女子78kg級金メダル、警察功労章受章など。1996年までは当時の最重量級である72kg超級の選手だったが、その後階級の区切りが変更となったことに伴い、1997年は72kg級、1998年以降は78kg級の選手となった。
妹尾 ひでみ(せお ひでみ、1975年8月8日 - )は鹿児… 妹尾 ひでみ(せお ひでみ、1975年8月8日 - )は鹿児島県阿久根市出身の日本の柔道家。72kg超級の選手。現役時代は身長185cm。体重120kg。足のサイズは30cm。兄は伊勢ノ海部屋の元力士であった。 阿久根小学校5年の時に兄の影響で三笠少年柔道団で柔道を始めた。阿久根中学時代は九州大会で3位になるが、その当時の体重は実に173kgもあったという。私立柳川高校に入学すると体重は120~130kgで落ち着くことになったが、2年までは巨体をもてあまして練習も捗らず、また部内の層が厚いこともあって控えだった。3年になってようやくレギュラー選手になり、金鷲旗とインターハイ団体戦では同級生の全国高校選手権72kg級チャンピオンの佐藤和恵や、1年後輩で超高校級の全日本選手権チャンピオンの阿武教子らとともに活躍して優勝に貢献した。
佐野 奈津子(さの なつこ、1975年1月24日 - )は長… 佐野 奈津子(さの なつこ、1975年1月24日 - )は長崎県出身の日本の柔道家。現役時代は66kg級と70kg級の選手。身長171cm。なお、48kg級で活躍していた長井淳子とはいとこにあたる。 三井楽中学から柳川高校へ進むと、1年の時には早くも先輩の松永真里子や国吉真子らとともに、金鷲旗での優勝に貢献した。新設されたインターハイ女子団体戦決勝の夙川学院高校戦では1年生ながら代表戦に出場して、同じく1年生の吉田早希と対戦するが判定で敗れて2位に終わった。全国高校選手権の66kg級では優勝を飾った。2年の時には金鷲旗で2連覇を果たした。インターハイの団体戦では予選リーグで夙川学院高校と同じブロックに入ってしまったこともあって、得失点差で決勝トーナメントに進めなかった。
園田 隆二(そのだ りゅうじ、1973年9月16日 - )は… 園田 隆二(そのだ りゅうじ、1973年9月16日 - )は、福岡県大牟田市出身の柔道家。明治大学経営学部卒業。柔道全日本女子代表監督、警視庁警察官(役職は警視庁警務部教養課柔道指導室助教、階級は巡査部長)を務めた。2023年現在はパーク24柔道部の女子監督。 福岡県大牟田市三里町に生まれる。大牟田市立中友小学校1年生の時、道場に通う友人の縁で尚武館道場にて柔道を始めた。1986年の春に大牟田市立船津中学に進学するが、この中学に柔道部はなかったため、引き続き尚武館で稽古に励む。日本中学校体育連盟の大会に出るため船津中に形だけの柔道部を作ってもらい、1人で個人戦に出場。中学3年の時に全国大会の軽量級で優勝した。
国吉 真子(くによし まこ、1973年9月4日 -)は日本の… 国吉 真子(くによし まこ、1973年9月4日 -)は日本の柔道家。沖縄県出身。72kg超級の選手。現役時代は身長174cm、体重90kg。 柳川高校へ進むと、2年の時には新設された女子団体戦の金鷲旗で3年の松永真里子や1年の佐野奈津子とともに活躍して優勝を勝ち取った。同じく新設されたインターハイ女子団体戦では決勝で夙川学院高校と対戦すると、代表戦で佐野が吉田早希に判定で敗れて2位にとどまった。高校選手権の72kg超級では優勝を飾った。3年の時には金鷲旗で2連覇を果たした。インターハイの団体戦では予選リーグで夙川学院高校と同じブロックに入ってしまったこともあって、得失点差で決勝トーナメントに進めなかった。
中嶋 靖宏(なかしま やすひろ、1973年4月16日 - )… 中嶋 靖宏(なかしま やすひろ、1973年4月16日 - )は、福岡県出身の日本の柔道家。78kg級の選手。身長172cm。 甘木中学から柳川高校へ進むと、後に60kg級の世界チャンピオンとなる園田隆二の同期となった。2年の時には新人体重別78kg級で3位に入った。1992年に福岡大学へ進学すると、1年の時にジュニア体重別で3位、2年の時には2位となった。3年の時には講道館杯で決勝まで進むが、名張高校教員の堀越英範に敗れて2位だった。グッドウィルゲームズでは2位、体重別と正力杯では3位となった。国別団体世界一を決める第一回のワールドカップ国別団体戦のメンバーにも選ばれるが、2回戦でロシアに敗れるも、その後敗者復活戦を勝ち上がって3位になった。
衛藤 由佳(えとう ゆか、1973年2月9日 - )は、福岡… 衛藤 由佳(えとう ゆか、1973年2月9日 - )は、福岡県甘木市出身の日本の柔道家。現役時代は48kg級の選手。身長155cm。姉の衛藤裕美子も48kg級で活躍していた。 3姉妹の次女として、柔道は小学校1年の時に始めた。甘木中学から1つ年上の姉の裕美子が在籍していた柳川高校へ進むと、2年の時に全国高校選手権48kg級で3位になった。3年の時には強化選手選考会の3回戦で城香中学3年の田村亮子に技ありで敗れると、その後の3位決定戦でも姉の裕美子に判定で敗れた。1991年に高校を卒業してミキハウス所属となるが、最初の2年間は結果を残せずにいた。しかし、1993年にフランスから帰国した村上清がミキハウスのコーチに就任したことから、村上の徹底的な指導を受けて打倒田村を目指すことになった。
衛藤 裕美子(えとう ゆみこ、1971年7月17日 -)は、… 衛藤 裕美子(えとう ゆみこ、1971年7月17日 -)は、福岡県甘木市出身の日本の女性柔道家。現役時代は48kg級の選手だった。身長151cm。妹の衛藤由佳も48kg級で活躍していた。 甘木中学校2年の時、早くも体重別48kg級で3位になった。柳川高校1年の時には強化選手選考会で2位となると、体重別でも3位に入った。2年の時には強化選手選考会で昨年に続いて2位となった。全国高校選手権では、決勝で成安女子高校1年の永井和恵に判定で敗れた。3年の時には体重別の九州予選準決勝で城香中学2年の田村亮子と対戦すると、ポイントでリードされていたものの終了間際に送襟絞で逆転勝ちするなどして優勝した。この当時の田村は、まだ駆け出しの中学生選手に過ぎなかったものの衛藤はシニアの公式戦で田村を破った最初の選手となった(その後は、田村に4連敗している。
河野 満男(かわの みつお、1953年3月9日 - 2017… 河野 満男(かわの みつお、1953年3月9日 - 2017年12月30日)は、福岡県八女郡出身の、日本の柔道家である。階級は重量級。身長186cm。 矢部中学から柳川商業高校に進むと、九州大会の重量級で優勝した。その後、クラレ岡山に入社すると、1972年の実業個人選手権20歳未満の部で2位になった。1973年には中量級の世界チャンピオンである藤猪省太などとともに活躍して西日本実業柔道団体大会で優勝を飾った。また、国体にも5度の出場を果たした。 1985年には柳川高校の柔道部監督に就任すると、男子では後に世界選手権の60kg級で優勝する園田隆二や猿渡琢海などを指導した。一方、女子ではアテネオリンピックの78kg級金メダリストになる阿武教子や佐野奈津子、妹尾ひでみなどの指導にあたった。
吉村 和郎(よしむら かずお、1951年7月6日 - )は日… 吉村 和郎(よしむら かずお、1951年7月6日 - )は日本の柔道家(八段)。熊本県出身。現役時代の階級は71キログラム級。 熊本県熊本市に4人兄妹の末弟として生まれ、兄の影響や父親の勧めで小学校1年次時より柔道を始める。典型的なスパルタ教育をする父(ただし、柔道には素人であった)の元、体を大きくするために練習前にうどんやラーメンを食べさせられ、練習後にも必ず牛乳を3本飲ませられたほか、兄たちが強かった関係で、小学校高学年になると少年部のみならず一般部の稽古にも参加していたため、柔道家としての礎が築かれていった。 兄が通っていた柳川商業高校(現・柳川高校)に進学し、1年次にインターハイの県予選で準優勝、これを勇んで父に報告すると「そんな調子なら柔道をやめろ」と激怒されたため、この父親を見返すために高校時代は土日を含め毎日のように猛練習を積んだ。