スポーツ選手、俳優、学者、実業家、芸能人など各界で活躍する人物情報に加え、外の言語(多言語)で紹介されている内容や、その人物にゆかりのある地の観光資源データを集めました。
真島 理一郎(ましま りいちろう、1972年10月22日 -… 真島 理一郎(ましま りいちろう、1972年10月22日 - )は、佐賀県多久市出身の日本の映像作家・アニメーション監督・映画監督。IDIOTS代表。 現在は千葉県に在住。佐賀県立佐賀西高等学校、千葉大学工学部工業意匠学科(現デザイン工学科)卒業、同大学院修了。 ディベロッパーにて複合商業施設のプランニング、環境デザインに携わる。2001年に退社後、デジタルハリウッドにて3DCGを学ぶ。 2002年同校の卒業制作で架空の競技を描いたCG作品『スキージャンプ・ラージヒル・ペア』を制作。アヌシー国際アニメーション映画祭、シッチェス・カタロニア国際映画祭など、世界30ヶ国以上の映画祭、コンテスト等で上映、数多くの賞を受賞する。
尾上 克郎(おのうえ かつろう、1960年6月4日 - )は… 尾上 克郎(おのうえ かつろう、1960年6月4日 - )は、日本の特撮映画・テレビの特撮監督。鹿児島県出身。 鹿児島県いちき串木野市生まれ。学生時代に自主制作映画へ携わったのをきっかけに、テレビ番組の装飾・小道具を手掛ける大晃商会でアルバイトを入る。以後、映画、コンサートを中心に美術、装飾、特殊効果マンとして活躍。1982年の映画『爆裂都市 BURST CITY』で美術スタッフとして映画キャリアをスタートした。 1985年に特撮研究所所属となる。スーパー戦隊シリーズやメタルヒーローシリーズなどで操演技師を務めた後、1994年『ブルースワット』で特撮監督としてデビュー。東映特撮のデジタル化を推進した。
緒方 明(おがた あきら、1959年 - )は、日本の映画監… 緒方 明(おがた あきら、1959年 - )は、日本の映画監督、演出家である。佐賀県出身。日本映画大学教授。 1959年、佐賀県に生まれる。その後、長崎市で過ごす。福岡大学在学中に石井聰亙監督と出会い、石井作品の助監督を務めるようになる。1981年、監督作品の『東京白菜関K者』が第4回ぴあフィルムフェスティバルで入選を果たした。 その後は高橋伴明、大森一樹の助監督を経て、フリーのテレビディレクターとしてCM、ミュージック・ビデオ、ドラマ、ドキュメンタリーなどを多数演出。 2000年に『独立少年合唱団』で劇場映画デビューし、第50回ベルリン国際映画祭にてアルフレッド・バウアー賞を受賞した。『いつか読書する日』でモントリオール映画祭審査員特別賞受賞。
折田 至(おりた いたる、1934年1月3日 - 2006年… 折田 至(おりた いたる、1934年1月3日 - 2006年9月27日)は、映画監督、演出家、テレビプロデューサー、UFO研究家、発明家。アイデア開発研究所代表、発明協会会員。鹿児島県鹿児島市出身。千葉大学工学部工業化学科(写真映画専攻)卒業。 1958年に東映に入社し、助監督として配属された東映京都撮影所を経て、1965年より東映東京制作所に所属する。『丸出だめ夫』・『悪魔くん』・仮面ライダーシリーズなど、特撮テレビドラマの監督として活躍した後、1978年には東映テレビ事業部プロデューサーに昇進し、スーパー戦隊シリーズの『バトルフィーバーJ』からはプロデューサーとして東映キャラクター路線を支える。
神代 辰巳(くましろ たつみ、1927年4月24日 - 19… 神代 辰巳(くましろ たつみ、1927年4月24日 - 1995年2月24日)は日本の映画監督。佐賀県出身。
志波 西果(しば せいか、1900年12月17日 - 196… 志波 西果(しば せいか、1900年12月17日 - 1960年代半ば)は、日本の映画監督、脚本家である。本名-頼之(よりゆき)、。 1900年(明治33年)12月17日、佐賀県佐賀市城内町(現在の同市城内)に生まれる。旧制・佐賀県立佐賀中学校(現在の佐賀県立佐賀西高等学校)を卒業後、1922年(大正11年)、東京の国際活映に入社、同社の常設館に勤務する。同年、志波が書いたオリジナルストーリーが同社の巣鴨撮影所で採用され、細山喜代松監督によって映画化され、『雲光の岐に』として同年9月1日に公開された。 1923年(大正12年)5月、22歳のときに、オリジナル脚本『彼の山越えて』がマキノ映画製作所に採用され、衣笠貞之助監督によって映画化され、脚本家としてデビューするとともに、同社の等持院撮影所に助監督として入社する。