スポーツ選手、俳優、学者、実業家、芸能人など各界で活躍する人物情報に加え、外の言語(多言語)で紹介されている内容や、その人物にゆかりのある地の観光資源データを集めました。
杉 彩文海(すぎ さふみ、2001年8月10日 - )は、日… 杉 彩文海(すぎ さふみ、2001年8月10日 - )は、日本の陸上競技選手。福岡県吉井町出身。明治大学文学部史学地理学科卒業。三菱重工マラソン部所属。 うきは市立吉井中学校、佐賀県立鳥栖工業高等学校、明治大学出身。 1、2年時は三大駅伝の出場はなかった。 3年時の第99回箱根駅伝で7区を走り、三大駅伝デビューを飾る。創価大学の葛西潤と同タイムで区間賞を獲得し、順位を12位から10位に引き上げた。しかし、明治大学はその後再び順位を落とし、3年連続でシード権を逃した。 4年時の第100回箱根駅伝では3区を走ったが、22位から順位を上げることはできず。明治大学はその後順位を落とし、往路は最下位でのフィニッシュとなった。
古賀 淳紫(こが きよし、1996年4月30日- )は日本の… 古賀 淳紫(こが きよし、1996年4月30日- )は日本の陸上競技選手。専門は長距離走。佐賀県立鳥栖工業高等学校卒業。安川電機所属。 福岡県出身。趣味は野球観戦、音楽・映画鑑賞。佐賀県立鳥栖工業高等学校卒業後、大学を経ずに安川電機に入社する。実業団駅伝では、入社1年目からチームの主力選手として活躍。2019年元日のニューイヤー駅伝では、7区で区間賞を獲得している。また、都道府県対抗男子駅伝には、佐賀県代表のふるさと選手として出場を続けており、2020年大会では3区終盤を先頭で独走し、チームの8年ぶり入賞に貢献した。個人種目では、2020年の全日本実業団ハーフマラソンにて、1時間00分49秒という日本歴代7位(当時)の好タイムで日本人トップの2位でゴールし、第24回世界ハーフマラソン選手権大会日本代表に内定した。
坂本 佳太(さかもと けいた、1995年8月16日 - )は… 坂本 佳太(さかもと けいた、1995年8月16日 - )は、佐賀県佐賀市出身の陸上競技選手。専門は長距離種目。上武大学ビジネス情報学部卒業。実業団では小森コーポレーション、ひらまつ病院を経て現在は愛知製鋼陸上競技部に所属。 佐賀市立大和中学校、佐賀県立鳥栖工業高等学校を経て上武大学に進む。鳥栖工業高では全国高校駅伝や都道府県対抗駅伝に佐賀県代表として出場、上武大駅伝部では入学時の監督であった花田勝彦及び3年次より監督に就任した近藤重勝の指導を受け、1年次から全日本大学駅伝や箱根駅伝のメンバーに起用される。1年次の第91回箱根駅伝では3区を走り区間16位、2年次の第92回箱根駅伝では10区を走り区間20位、3年次・4年次はともに1区を走り3年次は区間10位、4年次は区間8位の成績を残す。
小西 祐也(こにし ゆうや、1990年8月22日 - )は福… 小西 祐也(こにし ゆうや、1990年8月22日 - )は福岡県小郡市出身の陸上競技選手。専門は中距離走・長距離走。鳥栖工業高等学校卒業後、トヨタ自動車九州を経て黒崎播磨所属。2011年アジア陸上競技選手権大会における1500メートル競走日本代表。 2009年、トヨタ自動車九州に入社。当時のトヨタ自動車九州は北京オリンピック男子マラソンで金メダリストとなったサムエル・ワンジルの退部等もあり弱体化しており、小西の入社直前の2009年元日のニューイヤー駅伝は九州予選の段階から出場を辞退していた。そのような状況下で小西は初年度から駅伝メンバーとして活躍。トヨタ自動車九州は小西の入社年度の2010年ニューイヤー駅伝でニューイヤー駅伝の舞台に返り咲くと、その後2011年から2014年までの4年連続で総合8位内入賞を果たす。
飛松誠(とびまつ まこと、1980年8月18日 - )は、佐… 飛松誠(とびまつ まこと、1980年8月18日 - )は、佐賀県鳥栖市出身の男子陸上競技選手(長距離種目)。身長165cm、体重58kg。 背中を丸め、肩をいからせたように走るフォームが特徴の陸上競技(長距離)選手。その力強く独特な走りから、ベストタイムや実績にも勝る人気を得ている。 故郷の鳥栖市神辺町は相撲が盛んな地域でもあり、小学生時代にわんぱく相撲全国大会への出場経験がある。また鳥栖市立田代中学校時代も、陸上部所属でありながら全国中学相撲選手権大会団体戦の出場経験を持つ。 鳥栖工業高等学校に進学後、国体3000m障害で2位に入賞するなど頭角を現す。 帝京大学に進学後、箱根駅伝にも4年間出場し、1年時の第76回箱根駅伝では5区山上りで区間6位(1時間13分37秒)とまずまずの走りを見せてチームも往路3位、総合4位となった。
佐々木 精一郎(ささき せいいちろう、1945年9月2日 -… 佐々木 精一郎(ささき せいいちろう、1945年9月2日 - )は、日本の男子陸上競技(長距離走・マラソン)選手。 1960年代後半から1970年代前半の戦後日本の男子マラソン第1次黄金時代に活躍したランナーで、1968年メキシコシティーオリンピックに男子マラソン日本代表として出場した。佐賀県鳥栖市出身。 佐々木とマラソンの出会いは佐賀県の鳥栖市立田代中学校時代。「1年か2年の時(本人談)」に校内マラソン大会で10位に入り、市内の中学駅伝大会の代表選手になったことがきっかけだった。当時同校には陸上部がなく、バレー部顧問の教諭の指導を受けた。 高校は佐賀県立鳥栖工業高等学校に進学。陸上部に入り、全国高等学校総合体育大会陸上競技大会(インターハイ)、国体で上位入賞する他、2年・3年時に全国高等学校駅伝競走大会に出場。