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堤 辰佳(つつみ・たつよし、1965年8月22日 - )は、… 堤 辰佳(つつみ・たつよし、1965年8月22日 - )は、日本のジャーナリスト、新聞記者。 元読売ジャイアンツ球団ゼネラルマネージャー。 熊本県出身。かつてはアマチュア野球選手であり、熊本県立済々黌高等学校から一年浪人の後、慶應義塾大学文学部に進学。野球部に入部。同期入部に志村亮(投手、東京六大学野球通算31勝、現三井不動産社員)、1期上に鈴木哲(2浪で入学し、後に西武入団)、猿田和三(秋田高から2浪で入学し六大学タイトルを総なめ、現秋田県副知事)、1期下に大森剛(内野手、現:巨人軍育成部ディレクター)がいた。堤は大森と共にクリーンアップを打ち、主将を務めた。 1989年、大学卒業後読売新聞社に入社。
山村 明義(やまむら あきよし、1960年(昭和35年) -… 山村 明義(やまむら あきよし、1960年(昭和35年) - )は、日本の作家、ジャーナリスト。一般社団法人日本人らしさ・地域らしさ研究所理事長。 熊本県荒尾市生まれ。熊本県立済々黌高等学校、早稲田大学を卒業。金融業界誌などの出版社勤務を経て1990年(平成2年)に独立し、以降作家・ジャーナリストとして活動。 1990年代半ばから『文藝春秋』、『諸君!』などの執筆者として名を連ねる。その後、『SAPIO』などで、中国・北朝鮮問題を執筆。2009年からは神道をテーマにした記事も執筆している。 父系の祖先に大江匡房がいる。
井手 三郎(いで さぶろう、文久3年5月15日(1863年6… 井手 三郎(いで さぶろう、文久3年5月15日(1863年6月30日) - 昭和6年(1931年)11月16日)は、衆議院議員(中央倶楽部→立憲同志会→憲政会)、ジャーナリスト。 肥後国飽田郡中島村(現在の熊本県熊本市西区)出身。1887年(明治20年)、済々黌を卒業。中国語を学び、漢口や北京を巡った。日清戦争の際には大本営附となり、第一軍民政庁通訳官を務めた。戦後、海軍軍令部嘱託として北京・天津を視察した。 1897年(明治30年)、福州にて「漢字新報」を創刊。翌年、貴族院議長・公爵近衛篤麿が東亜同文会を創設すると、それに参加し、上海支部長に任命された。上海租界では漢字新聞「同文滬報」を発行、1904年(明治37年)7月には邦字新聞「上海日報」の経営を引き継いだ。
鳥居 素川(とりい そせん、1867年8月3日(慶応3年7月… 鳥居 素川(とりい そせん、1867年8月3日(慶応3年7月4日) – 1928年(昭和3年3月10日)は、明治・大正期の日本のジャーナリスト、新聞記者。本名は赫雄(てるお)。別号に素卿、玄兎。肥後国熊本の生れ。 旧熊本藩士の鳥居般蔵の三男として生まれる。母の由子は熊本市春竹町の医者・松岡家の出身。兄は西南戦争において池辺吉十郎が編成した熊本隊の小隊長として戦死している。佐々友房が創立した済々黌に入学、生徒長に安達謙蔵、一級上に狩野直喜、山田珠一らがおり、同級生には井手三郎、熊谷直亮がいた。 1884年(明治17年)に済々黌卒業後、独逸協会専門学校に入学するが中途退学して、1886年(明治19年)荒尾精に同行して支那に渡り、上海の日清貿易研究所へ入学する。