スポーツ選手、俳優、学者、実業家、芸能人など各界で活躍する人物情報に加え、外の言語(多言語)で紹介されている内容や、その人物にゆかりのある地の観光資源データを集めました。
野田 浩輔(のだ こうすけ、1977年12月4日 - )は、… 野田 浩輔(のだ こうすけ、1977年12月4日 - )は、熊本県八代市出身の元プロ野球選手(捕手、内野手、右投右打)。現在は埼玉西武ライオンズの二軍野手コーチを務めている。 八代東高では2年春、3年春に県大会準優勝。3年夏は県大会ベスト4。新日本製鐵君津時代に渡辺俊介とバッテリーを組み、シドニー五輪に出場して話題となった。シドニー五輪ではプロ枠で出場した当時中日に在籍していた鈴木郁洋に正捕手を奪われたが、同じ五輪代表に選ばれた阿部慎之助(中央大学)とともにチームを引っ張る存在として欠かせなかった。また、同年の都市対抗野球ではベスト4となり社会人野球ベストナイン捕手となった。 ドラフトでは下位指名での争奪戦が予測されたが、入団前から野田と西武ライオンズとの相思相愛ということで他球団に指名されず、2000年のドラフトで西武ライオンズから6位指名を受け、入団。
福嶋 正信(ふくしま まさのぶ、1955年11月24日 - … 福嶋 正信(ふくしま まさのぶ、1955年11月24日 - )は、熊本県出身の日本の高校野球指導者。通称″おやじ″ 八代東高校、日本体育大学を経て、1979年に都立足立工業高校に着任。 その後は、都立葛飾野高校、都立江戸川高校を経て、2005年からは都立小山台高校野球部監督に就任。2014年春には現在福岡ソフトバンクホークスに所属する伊藤優輔を擁し、21世紀枠で都立高校初めての選抜大会出場を果たした。その後も2018年、2019年夏には東東京大会で準優勝の成績を修めるなど都立の進学校でありながらも、都内有数の強豪校に成長させている。
釘谷 肇(くぎたに はじめ、1954年4月30日 - )は、… 釘谷 肇(くぎたに はじめ、1954年4月30日 - )は、熊本県八代市出身の元プロ野球選手(外野手)。右投右打。 八代東高から1973年ドラフト2位でヤクルト入団。二軍暮らしが長かったが長打力には定評があり、キャンプでは「和製大砲」、「アリゾナの星」と期待された。1975年、1976年と2年連続でジュニアオールスターにも出場。1981年には一軍に定着、5月末から外野手として7試合連続で先発に起用され、24打数9安打と活躍するが直後に故障欠場。1983年も5月から27試合に先発出場、打率.304、5本塁打の成績を残すが、またも8月に故障し先発から外れる。その後もレギュラーには定着できなかった。1985年限りで現役引退。
柏原 純一(かしわばら じゅんいち、1952年6月15日 -… 柏原 純一(かしわばら じゅんいち、1952年6月15日 - )は、熊本県八代市出身の元プロ野球選手(内野手)・コーチ、解説者・評論家・YouTuber。 実家はイグサ農家で、母親は代用教員をしていたという家庭だった。4人きょうだいの第3子(姉、兄、妹がいる)。高校から本格的に野球を始め、八代東高校では3年次の1970年、春の選抜にエースとして出場。1回戦で日大三高の渡部良克(日大)と投げ合うも0-2で完封負けを喫した。同年の夏の甲子園県予選では、準々決勝で熊本一工に延長15回の末、敗退した。 同年のドラフトで南海ホークスから8位指名を受け、外野手として入団。当時は中央球界ではまだ無名の存在で、地元のファンがたまたま訪れていた南海のスカウトに紹介したことがそのままプロ入りに繋がったという。
池田 純一(いけだ じゅんいち、1946年5月15日 - 2… 池田 純一(いけだ じゅんいち、1946年5月15日 - 2005年5月17日)は、熊本県荒尾市出身のプロ野球選手(外野手)。1971年から1976年までは、池田 祥浩(いけだ よしひろ)という登録名を用いていた。 中学3年次の1961年までは右打者であったが、右肩を脱臼したことをきっかけに左打者へ転向した。 卒業後は1962年に八代東高校へ進学し、投手兼右翼手の4番打者として活躍。2年次の1963年の秋季九州大会では、同級生の沢村周二とのダブルエースで準々決勝にまで進んだが、打線が中津東の秋元肇に抑えられた末に敗退。3年次の1964年には夏の甲子園中九州大会決勝で佐伯鶴城の山中正竹に投げ勝ち、本大会では開幕試合で掛川西と対戦。