スポーツ選手、俳優、学者、実業家、芸能人など各界で活躍する人物情報に加え、外の言語(多言語)で紹介されている内容や、その人物にゆかりのある地の観光資源データを集めました。
杉尾 拓郎(すぎお たくろう、1986年10月3日 - )は… 杉尾 拓郎(すぎお たくろう、1986年10月3日 - )は、熊本県熊本市出身のプロ野球選手(投手・内野手)、野球指導者。左投左打。 高校卒業後に九州共立大学に進学、野球部に所属したものの野手から投手に転向しようと思い、自主練習を積むために退部した。大学に在籍しながら自主練習を積み、卒業後には四国・九州アイランドリーグ(現・四国アイランドリーグplus)の香川オリーブガイナーズに入団した。 2009年から2010年前期まで香川オリーブガイナーズでプレーしていたが、2010年前期終了後の7月3日、戦力外通告を受け、退団。退団後、単身台湾に渡り、台湾球団の入団テストを受けたが「若すぎる」という理由で不採用となる。
谷 宏明(たに ひろあき、1956年4月7日 - 2024年… 谷 宏明(たに ひろあき、1956年4月7日 - 2024年3月15日)は、熊本県熊本市出身の元プロ野球選手(投手)。 熊本第一工業高等学校では、エースとして1974年夏の甲子園予選中九州大会決勝に進むが、佐伯鶴城高に敗退、甲子園出場を逸する。同年のドラフトで近鉄バファローズから5位指名を受けた。背番号は53。 1976年10月13日に後楽園球場で行われたロッテオリオンズ戦で7回裏に中継ぎ(敗戦処理)としてプロ初登板し、1回0/3を3失点で降板。チームも3-10で敗れた。 1980年6月30日に日本生命球場で行われたロッテ戦で9回2失点の完投で、プロ初勝利を挙げた。 1982年には速球とスライダーを武器に自身初となる二桁勝利の11勝を挙げる。
迫丸 金次郎(さこまる きんじろう、1951年7月27日 -… 迫丸 金次郎(さこまる きんじろう、1951年7月27日 - )は、熊本県出身の元プロ野球選手(外野手)。右投右打。1978年より登録名を迫丸 公勝(さこまる こうしょう)としている。 熊本第一工業高等学校では1969年夏の甲子園県予選準決勝で熊本工に敗退、中九州大会には進めなかった。 卒業後は愛知学院大学へ進学し 同大学野球部所属。愛知大学リーグでは、1年春のリーグ戦で新人賞に選ばれた。同郷同期のエース小林秀一を擁し、1973年春季リーグで優勝を飾る。同年の全日本大学野球選手権大会でも3本塁打の活躍で初めて決勝に進出するが、中大の田村政雄に抑えられ敗退、準優勝にとどまる。同年の第2回日米大学野球選手権大会日本代表にも小林とともに選出された。
松枝 三男(まつえだ みつお、1948年11月6日 - )は… 松枝 三男(まつえだ みつお、1948年11月6日 - )は、熊本県出身の元プロ野球選手(投手)。 熊本第一工業高(現・開新高)では田尻茂敏の控えながら中九州大会でも登板したが敗れた、社会人野球のトヨタ自動車に3年間在籍し、1969年にドラフト外で大洋ホエールズへテスト入団。 ピッチングも速球でグイグイ押して行く荒っぽさでカーブやシンカーが武器。陸上選手のボブ・ヘイズを思わせる投法はダイナミックで柔軟な体と上背を利しての速球は威力十分と評されていた。 1972年に、一軍公式戦に出場がないまま引退。
田尻 茂敏(たじり しげとし、1948年5月30日 - )は… 田尻 茂敏(たじり しげとし、1948年5月30日 - )は、熊本県出身の元プロ野球選手。ポジションは投手。 熊本第一工業高校でエースとして活躍。1965年秋季九州大会県予選決勝に進むが、熊本二高に敗退。翌1966年夏の甲子園県予選を勝ち抜き、中九州大会に進む。準決勝では別府鶴見丘高の大場隆広に投げ勝つが、決勝で岩崎忠義のいた津久見高に敗れ甲子園出場を逸する。高校同期に松枝三男がいた。 1966年第1次ドラフト会議でサンケイアトムズから6位指名を受け入団。1968年には中継ぎとして3試合に登板。オーバースローからドロップ、今で言うカーブ、シュートを武器にしていた。 1970年オフに読売ジャイアンツへ移籍し、1975年限りで引退した。