スポーツ選手、俳優、学者、実業家、芸能人など各界で活躍する人物情報に加え、外の言語(多言語)で紹介されている内容や、その人物にゆかりのある地の観光資源データを集めました。
荒牧 理沙(あらまき りさ、2001年9月18日 - )は、… 荒牧 理沙(あらまき りさ、2001年9月18日 - )は、日本のタレント、女優、グラビアアイドル。熊本県出身。株式会社SENSATION(旧アルファベットプロモーション)所属。 高校時代に「熊本で一番かわいい女子高生」に選ばれ、地元のテレビ番組に出演。その後、スカウトを受けて2020年に上京。 TikTokではフォロワー数が63万人を超える[要出典]。 週刊誌「週刊プレイボーイ」でグラビアデビュー。バラエティ番組『幸せ!ボンビーガール』(日本テレビ)内の恋愛ドキュメント企画にも出演。
重岡 銀次朗(しげおか ぎんじろう、1999年10月18日 … 重岡 銀次朗(しげおか ぎんじろう、1999年10月18日 - )は、日本の元プロボクサー。熊本県熊本市出身。ワタナベボクシングジム所属。元IBF世界ミニマム級王者。 兄は元WBC世界ミニマム級王者の重岡優大。 幼稚園のころから空手を始め、小学4年生からボクシングを始める。開新高校時代、高校5冠達成。 2018年7月、B級プロテストに合格。 2018年9月25日、プロデビュー戦をTKO勝利。なおこの勝利で東日本ボクシング協会から2018年9月度月間賞新鋭賞を受賞した。 2019年7月27日、後楽園ホールでWBOアジア太平洋ミニマム級4位のクライデ・アザルコンとWBOアジア太平洋同級王座決定戦を行い、1回1分12秒KO勝ちを収めプロ4戦目の日本男子タイ記録(日本・東洋太平洋含む地域王座。
赤﨑 暁(あかさき あきら、1998年1月21日 - )は、… 赤﨑 暁(あかさき あきら、1998年1月21日 - )は、日本の陸上競技選手。クラフティア所属。専門種目は長距離走。熊本県菊池郡大津町出身。 大津町立大津中学校時代はバレーボール部に所属していたが、地元のマラソン大会では陸上部の選手よりも速かったこともあり、開新高校入学後に本格的に陸上を始める。中学校の1年先輩に古賀紗理那(女子バレー日本代表)がいる。熊本出身の岡田正裕に誘われる形で拓殖大学に入学すると、陸上競技部で急速に力をつけ、箱根駅伝には1年時から4年連続出場(第93回:10区12位、第94回:3区10位、第95回:1区18位、第96回:3区9位)。主将となった大学4年時の上尾シティハーフマラソンでは1時間01分46秒のタイムで、同僚のジョセフ・ラジニ・レメティキに次ぐ大学男子の部2位(日本人学生トップ)に入った。
重岡 優大(しげおか ゆうだい、1997年4月16日 - )… 重岡 優大(しげおか ゆうだい、1997年4月16日 - )は、日本の元プロボクサー。熊本県熊本市出身。ワタナベボクシングジム所属。元WBC世界ミニマム級王者。 入場曲はCOMPLEXの『BE MY BABY』。弟は元IBF世界ミニマム級王者の重岡銀次朗。 中学1年生からボクシングを始める。 開新高校時代、高校4冠達成。2018年、全日本ボクシング選手権大会で初優勝。 2020年東京オリンピックを目指していたが、実施階級にライトフライ級がなかったのでプロ入りのため拓殖大学を中退。2019年8月、B級プロテストに合格。 2019年10月30日のプロデビュー戦は2回TKO勝ち。同年12月10日に後楽園ホールでOPBF東洋太平洋ミニマム級王者およびWBC世界同級7位のリト・ダンテと48.0kg契約6回戦を行い、6回3-0(60-54、59-55×2)判定勝ちを収めた。
中西 晶(なかにし あきら、1992年3月12日 - )は、… 中西 晶(なかにし あきら、1992年3月12日 - )は、日本の俳優。熊本県出身。GMBプロダクション所属。さいたまネクスト・シアター2期生。 身長164cm。特技は三味線、空手道。
杉尾 拓郎(すぎお たくろう、1986年10月3日 - )は… 杉尾 拓郎(すぎお たくろう、1986年10月3日 - )は、熊本県熊本市出身のプロ野球選手(投手・内野手)、野球指導者。左投左打。 高校卒業後に九州共立大学に進学、野球部に所属したものの野手から投手に転向しようと思い、自主練習を積むために退部した。大学に在籍しながら自主練習を積み、卒業後には四国・九州アイランドリーグ(現・四国アイランドリーグplus)の香川オリーブガイナーズに入団した。 2009年から2010年前期まで香川オリーブガイナーズでプレーしていたが、2010年前期終了後の7月3日、戦力外通告を受け、退団。退団後、単身台湾に渡り、台湾球団の入団テストを受けたが「若すぎる」という理由で不採用となる。
英太郎(えいたろう、1976年3月20日 - )は、日本のも… 英太郎(えいたろう、1976年3月20日 - )は、日本のものまねタレント、ローカルタレント。 本名、和田 英太郎(わだ えいたろう)。熊本県を拠点に活動する。 熊本県熊本市出身。熊本に本拠を置く芸能事務所ジェッツカンパニーに2010年まで所属。芸能プロダクションビッグフェイスを設立。(代表取締役社長)血液型O型。 主に熊本のテレビやラジオ、イベントで活躍している。レパートリーは地元芸人の大御所であるばってん荒川をはじめ、有名歌手(美空ひばり、和田アキ子など)、大御所俳優(中尾彬、田中邦衛など)、さらにしし丸などのアニメキャラクターや、病院の待合室で待っている老婆といった市井の人々の真似など多岐に渡る。
橋本 博行(はしもと ひろゆき、1971年7月17日 - )… 橋本 博行(はしもと ひろゆき、1971年7月17日 - )は、日本の劇作家、演出家、脚本家。熊本県熊本市出身。
赤星 陽治(あかほし ようじ、1960年6月2日 - )は、… 赤星 陽治(あかほし ようじ、1960年6月2日 - )は、熊本県出身の、日本の柔道選手である。階級は78kg級。身長174cm。 熊本第一工業高校から日本大学へ進むと、1年の時に新人体重別78kg級の決勝で筑波大学の高野裕光に敗れて2位だった。2年の時も新人体重別の決勝で明治大学の藤本一博に敗れて2位にとどまった。3年の時には優勝大会で3位となった。4年の時には正力杯の決勝で東海大学の山田剛を破って優勝を飾った。優勝大会では昨年に続いて3位だったが、フィンランドのユヴァスキュラで開催された世界学生では個人戦と団体戦で2冠を達成した。初開催となった正力国際でも78kg級の初代チャンピオンになった。
コロッケ(1960年3月13日 - )は、日本のお笑いタレン… コロッケ(1960年3月13日 - )は、日本のお笑いタレント、ものまねタレント、歌手。本名、瀧川 広志(たきがわ ひろし)。
谷 宏明(たに ひろあき、1956年4月7日 - 2024年… 谷 宏明(たに ひろあき、1956年4月7日 - 2024年3月15日)は、熊本県熊本市出身の元プロ野球選手(投手)。 熊本第一工業高等学校では、エースとして1974年夏の甲子園予選中九州大会決勝に進むが、佐伯鶴城高に敗退、甲子園出場を逸する。同年のドラフトで近鉄バファローズから5位指名を受けた。背番号は53。 1976年10月13日に後楽園球場で行われたロッテオリオンズ戦で7回裏に中継ぎ(敗戦処理)としてプロ初登板し、1回0/3を3失点で降板。チームも3-10で敗れた。 1980年6月30日に日本生命球場で行われたロッテ戦で9回2失点の完投で、プロ初勝利を挙げた。 1982年には速球とスライダーを武器に自身初となる二桁勝利の11勝を挙げる。
迫丸 金次郎(さこまる きんじろう、1951年7月27日 -… 迫丸 金次郎(さこまる きんじろう、1951年7月27日 - )は、熊本県出身の元プロ野球選手(外野手)。右投右打。1978年より登録名を迫丸 公勝(さこまる こうしょう)としている。 熊本第一工業高等学校では1969年夏の甲子園県予選準決勝で熊本工に敗退、中九州大会には進めなかった。 卒業後は愛知学院大学へ進学し 同大学野球部所属。愛知大学リーグでは、1年春のリーグ戦で新人賞に選ばれた。同郷同期のエース小林秀一を擁し、1973年春季リーグで優勝を飾る。同年の全日本大学野球選手権大会でも3本塁打の活躍で初めて決勝に進出するが、中大の田村政雄に抑えられ敗退、準優勝にとどまる。同年の第2回日米大学野球選手権大会日本代表にも小林とともに選出された。
松枝 三男(まつえだ みつお、1948年11月6日 - )は… 松枝 三男(まつえだ みつお、1948年11月6日 - )は、熊本県出身の元プロ野球選手(投手)。 熊本第一工業高(現・開新高)では田尻茂敏の控えながら中九州大会でも登板したが敗れた、社会人野球のトヨタ自動車に3年間在籍し、1969年にドラフト外で大洋ホエールズへテスト入団。 ピッチングも速球でグイグイ押して行く荒っぽさでカーブやシンカーが武器。陸上選手のボブ・ヘイズを思わせる投法はダイナミックで柔軟な体と上背を利しての速球は威力十分と評されていた。 1972年に、一軍公式戦に出場がないまま引退。
田尻 茂敏(たじり しげとし、1948年5月30日 - )は… 田尻 茂敏(たじり しげとし、1948年5月30日 - )は、熊本県出身の元プロ野球選手。ポジションは投手。 熊本第一工業高校でエースとして活躍。1965年秋季九州大会県予選決勝に進むが、熊本二高に敗退。翌1966年夏の甲子園県予選を勝ち抜き、中九州大会に進む。準決勝では別府鶴見丘高の大場隆広に投げ勝つが、決勝で岩崎忠義のいた津久見高に敗れ甲子園出場を逸する。高校同期に松枝三男がいた。 1966年第1次ドラフト会議でサンケイアトムズから6位指名を受け入団。1968年には中継ぎとして3試合に登板。オーバースローからドロップ、今で言うカーブ、シュートを武器にしていた。 1970年オフに読売ジャイアンツへ移籍し、1975年限りで引退した。
宮﨑 康平(みやざき こうへい、1917年5月7日 - 19… 宮﨑 康平(みやざき こうへい、1917年5月7日 - 1980年3月16日)は、日本の古代史研究家、作家、元会社役員。『まぼろしの邪馬台国』によって邪馬台国論争に参入した。本名は懋、失明後に一章に改名。 正確な表記は「宮﨑」(「崎」の字は山偏に竒)であるが「宮﨑」と表記出来ない環境が一部存在するので「宮崎」で通すことが多い。以下本項でも「崎」の字を用いる。 本名は宮崎懋(みやざきつとむ)。のちに一章(墓誌名)、一彰と改名する。ペンネームは当初、日夏耿之介の名前から一字を取って「宮崎耿平」(みやざきこうへい)としていたが、人から正しく「こうへい」と呼んでもらえなかったことからその後「康平」に変更している。