スポーツ選手、俳優、学者、実業家、芸能人など各界で活躍する人物情報に加え、外の言語(多言語)で紹介されている内容や、その人物にゆかりのある地の観光資源データを集めました。
廣津留 すみれ(ひろつる すみれ、1993年7月29日 - … 廣津留 すみれ(ひろつる すみれ、1993年7月29日 - )は、日本のヴァイオリニスト、起業家、著作家。「Smilee Entertainment」社CEO。成蹊大学客員准教授、国際教養大学特任准教授。 大分県大分市出身。大分県立大分上野丘高等学校を経て、ハーバード大学学士課程卒業、ジュリアード音楽院修士課程修了。 1993年に大分県に生まれ大分市で育つ。2歳から英語塾を主宰する母親の影響で英語学習を開始。その結果、4歳で英検3級合格を果たす。また、平行してバイオリンの習得も開始。4歳で譜面を間違いなく読むことができるようになる。 小学校から高校まで地元の公立校に通うなか、学校の勉強は平日のうちに済ませて、休日はそれ以外の活動にいそしむ生活習慣を維持した。
本山 勝寛(もとやま かつひろ、1981年3月13日 - … 本山 勝寛(もとやま かつひろ、1981年3月13日 - )は、日本の経営者、著作家、ブロガー。株式会社4kiz代表取締役CEOを務める。 5人きょうだいの4番目として大分県に生まれる。兄が2人、姉と妹がそれぞれ1人いる。少年時代は、母親とは12歳で死別したが、生前に母親が毎晩本を読み聞かせをしてくれたことが印象に残っていると述懐している。学習漫画 日本の歴史シリーズなどの学習漫画をセリフを暗記するほど読んでいた。14歳から新聞配達やウェイターなどをする極貧アルバイト生活を送り、15歳の時に父親がホンジュラスに移住、長兄と姉も国外にいたため、家では次兄と妹と自分の3人だけで生活していた。高校は大分県立大分上野丘高等学校に進学。
小石 房子(こいし ふさこ、1937年 - )は、日本の小説… 小石 房子(こいし ふさこ、1937年 - )は、日本の小説家、女性史研究家、日本ペンクラブ会員。 大分県大分市生まれ。大分県立大分上野丘高等学校を経て、青山学院女子短期大学国文科を卒業。 当初は那須辰造に師事し、トナカイ村の同人として児童文学を書き、1975年の国際婦人年を契機に作家の南原幹雄にすすめられて女性史を中心とした歴史物を手がけるようになる。 日本は男尊女卑の男社会だったので、正史に書かれなかった女帝や歪曲された女性の真相を歴史小説とし、また正史は為政者の歴史だったので、裏面史として流人史を書く。 執筆のかたわら、カルチャー教室の歴史の講師をつとめ、平成元年(1989年)に始まった横浜の教室は令和まで30年以上つづき、八丈島から始まった「歴史の旅」も31回を数える。
赤瀬川 隼(あかせがわ しゅん、本名:赤瀬川 隼彦〈あかせが… 赤瀬川 隼(あかせがわ しゅん、本名:赤瀬川 隼彦〈あかせがわ はやひこ〉、1931年11月5日 - 2015年1月26日)は、日本の小説家。 三重県四日市市生まれ。10歳から18歳までの青少年期を大分市で過ごす。大分第一高等学校(現大分県立大分上野丘高等学校)卒業。旧制中学の同級生に、磯崎新がいた。 住友銀行への16年の勤務を経て、ラボ教育センターの運営会社のテックに勤務し、のちに言語交流研究所(テックから、榊原陽らが独立して作ったヒッポファミリークラブの関連組織)に勤務し主に広報の仕事に従事した。その後は全集物のセールスマンなどに従事。 1983年に『球は転々宇宙間』で第4回吉川英治文学新人賞を受賞し本格的に作家デビュー。
林 房雄(はやし ふさお、1903年(明治36年)5月30日… 林 房雄(はやし ふさお、1903年(明治36年)5月30日 - 1975年(昭和50年)10月9日)は、日本の小説家、文芸評論家。大分県大分市出身。本名は後藤 寿夫(ごとう ひさお)。戦後の一時期の筆名は白井 明。戦後は中間小説の分野で活動し、『息子の青春』、『妻の青春』などを出版し舞台上演され流行作家となった。 父が酒に溺れたため、家業の雑貨商が破産。このため母が紡績工場の女工として家計を支えた。1916年(大正5年)、旧制大分中学校(現・県立大分上野丘高校)入学後は、銀行家の小野家の住み込み家庭教師として働きながら苦学し、1919年(大正8年)、第五高等学校に入学してからも小野家の援助を受ける。