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長友 貞藏(ながとも ていぞう、1930年(昭和5年)5月2… 長友 貞藏(ながとも ていぞう、1930年(昭和5年)5月28日 - 1994年(平成6年)5月3日)は、日本の政治家、官僚。宮崎市長。 宮崎県宮崎郡住吉村(現・宮崎市)出身。宮崎県立宮崎中学校、宮崎大学農学部農学科卒業。1953年農林省にキャリア技官として入省。農林経済局金融課課長補佐から1971年宮崎市に出向。経済部長、総務部長を経て、1976年から1978年まで助役を務めた。 1979年から宮崎県議会議員(自由民主党)を務めるも任期途中で辞職し、1982年宮崎市長選挙に出馬し当選。1994年3期目の途中で健康上の理由で引退し、長友の任期中一貫して助役であった坂本昭三が実質的な後継者として市長選に臨んだが、津村重光に敗れた。
川添 修平(かわぞえ しゅうへい、1897年(明治30年)8… 川添 修平(かわぞえ しゅうへい、1897年(明治30年)8月2日 - 没年不明)は、大正から昭和時代前期の朝鮮総督府官僚、台湾総督府官僚、陸軍司政官。嘉義市尹、基隆市尹。 宮崎県南那珂郡吾田村に生まれる。1917年(大正6年)宮崎県立宮崎中学校、1921年(大正10年)旧制第五高等学校を経て、1924年(大正13年)東京帝国大学法学部法律学科英法を卒業し、朝鮮総督府に奉職。翌年の1925年(大正14年)11月、一時退官し、東京日日新聞に入社。 同月、高等試験行政科に合格し、1929年(昭和4年)3月、台湾総督府に出仕。財務局税務課勤務、同年12月に警部を経て、1930年(昭和5年)1月に地方理事官に進み、澎湖庁庶務課長、同年12月に台南市助役、1931年(昭和6年)5月に台南州新営郡守、1932年(昭和7年)4月に台北市助役を経て、1933年(昭和8年)10月、嘉義市尹に就任した。
田中 長茂(たなか ながしげ、1891年6月11日 - 19… 田中 長茂(たなか ながしげ、1891年6月11日 - 1969年9月14日)は、日本の農林官僚、政治家。宮崎県知事を1期務めた。 宮崎県南那珂郡福島町(現・串間市)出身。宮崎県立宮崎中学校、第五高等学校、東京帝国大学法学部・農学部卒。1921年(大正10年)農商務省に入省。戦前は革新官僚として、産業組合の創立や農地改革(当時は実現せず)などに携わり、水産局長、山林局長を経て退官。 1951年(昭和26年)4月1日、第2回宮崎県知事選挙に出馬。吉見房見共に法廷得票数に達せず、決選投票。同年5月18日、宮崎県知事選決選投票で当選、宮崎県知事となる。 1953年(昭和28年)に郵政省は宮崎県に新しい民放局の周波数を割り当てたがものの、当初地元では民放設立の動きが全くなく、鹿児島県の南日本放送がこの機会を利用し宮崎市に中継局をつくろうと運動を始めていた。
竹下 豊次(たけした とよじ、1887年(明治20年)2月2… 竹下 豊次(たけした とよじ、1887年(明治20年)2月2日 – 1978年(昭和53年)4月25日)は、大正から昭和期の官僚、政治家。貴族院多額納税者議員、参議院議員(緑風会)。 宮崎県南那珂郡西方村(福島村大字西方、福島町を経て現串間市)出身。1904年(明治37年)旧制宮崎県立宮崎中学校(現 宮崎県立宮崎大宮高等学校)卒業。1907年(明治40年)旧制第七高等学校造士館卒業。1911年(明治44年)東京帝国大学法科大学独法科を卒業し、大学院に学んだ。1912年(大正元年)高等試験行政科に合格し、翌年に福岡県属警部となった。以後、同県警視、製鉄所副参事、同参事、農商務省工場監督官、同書記官・工場課長を歴任した。
泥谷 帯刀(ひじや たてわき、1886年(明治19年)5月2… 泥谷 帯刀(ひじや たてわき、1886年(明治19年)5月23日 - 没年不明)は、大正から昭和時代前期の台湾総督府官僚。 泥谷嘉之吉の長男として、宮崎県児湯郡高鍋町に生まれる。宮崎中学校を卒業後、1907年(明治40年)拓殖大学を卒業。同年渡台し、台湾総督府内務局に奉職する。1914年(大正3年)台南庁属を拝命し、翌年法務課勤務に転じ、1922年(大正11年)台中州竹山郡守に任じた。のち台北州文山郡守に就任した。