スポーツ選手、俳優、学者、実業家、芸能人など各界で活躍する人物情報に加え、外の言語(多言語)で紹介されている内容や、その人物にゆかりのある地の観光資源データを集めました。
桂 楽珍(かつら らくちん、1962年4月26日 - )は、… 桂 楽珍(かつら らくちん、1962年4月26日 - )は、日本の落語家。本名は中山 行治(なかやま ゆきはる)。出囃子は『ワイド節』。吉本興業所属。上方落語協会会員。鹿児島県大島郡天城町(徳之島)出身。 徳之島で生まれ育ち、子供のころ河童と相撲をとったことがあると自称している。 鹿児島県立徳之島高等学校卒業後、一度は和歌山県で就職するも桂文珍「ヤングおー!おー!」や「花王名人劇場」での「老婆の休日」を聴いて落語に興味を持つ。1982年4月10日に桂文珍に入門。文珍の一番弟子となった。弟子入りを申し込む際、あまりの緊張からか出身の徳之島の方言で一方的にまくし立ててしまい、意思が全く伝わらなかったという。
一ノ矢 充(いちのや みつる、1960年12月28日 - )… 一ノ矢 充(いちのや みつる、1960年12月28日 - )は、鹿児島県大島郡徳之島町出身で高砂部屋(入門時は若松部屋)所属の元大相撲力士。本名は松田 哲博。得意手は押し、出し投げ、肩透かし。2007年11月28日の引退時点で現役最年長力士だった。また、2017年5月27日までは昭和以降の最高齢力士の記録も保持していた。初の国立大学出身の力士でもある。血液型AB型。最高位は東三段目6枚目(1991年7月場所)。 亀津中学校、徳之島高校時代は柔道部。琉球大学理学部物理学科在学中に相撲部を興す。大学卒業後、元関脇・房錦の若松部屋に入門、国立大学出身力士としては史上初の角界入りを果たした。身長が規定に及ばず(身長165cm、合格基準173cm)新弟子検査を合格することができないまま半年ほど過ぎたが、1983年(昭和58年)11月場所の新弟子検査で身長の計測係だった鏡山親方(元横綱・柏戸)のお情けで合格、大学時代の実績がほぼ皆無であったため幕下付出の資格は得られず前相撲から初土俵を踏んだ。
徳田 秀子(とくだ ひでこ、1938年〈昭和13年〉6月2日… 徳田 秀子(とくだ ひでこ、1938年〈昭和13年〉6月2日 - )は、日本の薬剤師。徳洲会創設者徳田虎雄の妻。 医療法人徳洲会副理事長、社会福祉法人愛心会理事長、社会福祉法人秀心会理事長を歴任した。 鹿児島県徳之島町出身(生まれは大阪府大阪市だが、広島県安芸郡坂町で幼少期を過ごし、終戦後に両親の出身地である徳之島に移住)。鹿児島県立徳之島高等学校卒業後、鹿児島銀行徳之島支店に勤務する。 1学年上の幼馴染である徳田虎雄とは、徳田が阪大医学部生だった1959年に結婚。上阪。苦学の末1961年近畿大学薬学部に入学し、出産・子育てをしながら1967年卒業。卒業と同時に国家試験に合格し、薬剤師の資格を取得。
徳田 虎雄(とくだ とらお、1938年〈昭和13年〉2月17… 徳田 虎雄(とくだ とらお、1938年〈昭和13年〉2月17日 - 2024年〈令和6年〉7月10日)は、日本の医師、政治家。鹿児島県徳之島町名誉町民。鹿児島県天城町名誉町民。モットーは「生か死か!」。 医療法人徳洲会創立者及び理事長、衆議院議員(4期)、沖縄開発政務次官、第7代日本体操協会会長、自由連合代表、特定医療法人沖縄徳洲会理事長、社会医療法人木下会理事長、医療法人静仁会理事長、埼玉医療生活協同組合理事長、札幌医療生活協同組合理事長、公益財団法人徳洲会国際奨学財団理事長、などを務めた。 日本の病院王と呼ばれながら国内に大規模な医療機関・医療事業グループを次々と築いていき、衆議院議員としても政治に関わった。