スポーツ選手、俳優、学者、実業家、芸能人など各界で活躍する人物情報に加え、外の言語(多言語)で紹介されている内容や、その人物にゆかりのある地の観光資源データを集めました。
屋部 旺成(やぶ ひろせ、2003年2月15日 - )は、ジ… 屋部 旺成(やぶ ひろせ、2003年2月15日 - )は、ジャパンラグビーリーグワンのNECグリーンロケッツ東葛に所属するラグビーユニオン選手。 沖縄県立名護高等学校ラグビー部出身。高1(2017年12月)から高3(2019年12月)まで、花園(全国高等学校ラグビーフットボール大会)に3年連続出場した。高3では主将を務める。 高校卒業後は沖縄県名護市にあるやんばるラグビークラブに所属し、2024年1月に全国クラブラグビーフットボール大会に出場した。 2025年1月7日、NECグリーンロケッツ東葛への入団を発表した。選手登録は、ジャパンラグビーリーグワン2025-26シーズン(2025年12月以降開催)からの予定。
東恩納 寛太(ひがしおんな かんた、1992年11月26日 … 東恩納 寛太(ひがしおんな かんた、1992年11月26日 - )は、ラグビーユニオン選手。 名護高校に入学しラグビーを始めた。卒業間近の2011年2月、高校日本代表に選ばれ、スコットランドとウェールズに遠征した。 2011年、帝京大学に進む。2012年、U20日本代表に選出され、IRBジュニアワールドラグビートロフィーで4試合出場した。 2015年、キヤノンイーグルス(現・横浜キヤノンイーグルス)に加入。同年11月15日に行われたジャパンラグビートップリーグ第1節の神戸製鋼コベルコスティーラーズ戦に先発出場で公式戦初出場を果たした。 2016年4月30日に行われた2016年アジアラグビーチャンピオンシップ第1戦韓国戦で途中出場で日本代表初キャップを獲得した。
金城 佑(きんじょう たすく、1992年9月11日 - )は… 金城 佑(きんじょう たすく、1992年9月11日 - )は、日本のラグビー選手。 2011年、名護高校卒業後、朝日大学に入る。 2015年、朝日大学卒業後、宗像サニックスブルースに加入。同年9月6日に行われたトップキュウシュウA第1節の新日鉄住金八幡戦に途中出場で公式戦初出場を果たした。 2019年9月、宗像サニックスブルースを退団。同年11月、高齢者のお金を盗んだ疑いで逮捕。
我那覇 真子(がなは まさこ、1989年[3]8月10日 -… 我那覇 真子(がなは まさこ、1989年[3]8月10日 - )は、政治活動家、予備自衛官。「琉球新報、沖縄タイムスを正す県民・国民の会」代表運営委員、日本文化チャンネル桜沖縄支局キャスター、元編集者。
沖縄県名護市出身。父は、琉球新報、沖縄タイムスを正す県民・国民の会の運営委員の我那覇隆裕。「県政奪還! 世直し自分直し沖縄庶民の会の共同代表我那覇隆夫は隆裕の兄、真子の伯父。ソーキそばの元祖を名乗る丸隆そばの創業者であり、名護市議(1970-1986)を務めた我那覇隆光は、隆夫、隆裕の父。 自由民主党所属の元衆議院議員である嘉数知賢は、隆夫、隆裕と異父兄弟である。
田仲 祐矢(たなか ゆうや、1988年8月7日 - )は、日… 田仲 祐矢(たなか ゆうや、1988年8月7日 - )は、日本のラグビー指導者、ラグビーレフリー(審判員)。現在名護高校ラグビー部の監督を務めている。 名護高校、大阪体育大学を経て、2022年、名護高校ラグビー部の監督に就任。なお名護高校時代、主将を務めた。
名嘉 翔伍(なか しょうご、1988年6月22日 - )は、… 名嘉 翔伍(なか しょうご、1988年6月22日 - )は、日本の元ラグビーユニオン選手。2021年からジャパンラグビーリーグワン静岡ブルーレヴズのスクラムコーチを務めている。 2007年、名護高校卒業後、明治大学に入る。 2011年、明治大学卒業後、ヤマハ発動機ジュビロに加入。 2012年10月20日に行われたジャパンラグビートップリーグ第7節の九州電力キューデンヴォルテクス戦に先発出場で公式戦初出場を果たす。 2013年、ヤマハ発動機ジュビロの副将に就任した。 2021年、現役を引退して、同年8月に静岡ブルーレヴズのスクラムコーチに就任。
濱里 耕平(はまざと こうへい、1988年5月25日 - )… 濱里 耕平(はまざと こうへい、1988年5月25日 - )は、ジャパンラグビーリーグワン宗像サニックスブルースに所属するラグビー選手。 名護高校、やんばるクラブを経て、2010年、福岡サニックスブルース(現・宗像サニックスブルース)に加入。なお名護高校時代、高校日本代表候補に選ばれたことがある。また同年9月4日に行われたジャパンラグビートップリーグ第1節のコカ・コーラウエストレッドスパークス戦にて途中出場で公式戦初出場を果たす。
濱里 周作(はまざと しゅうさく、1985年12月28日 -… 濱里 周作(はまざと しゅうさく、1985年12月28日 - )は、日本の元ラグビー選手。 名護高校、やんばるクラブを経て、2007年、福岡サニックスブルース(現・宗像サニックスブルース)に加入。 2008年9月6日に行われたジャパンラグビートップリーグ第1節の日本IBMビッグブルー戦にて途中出場で公式戦初出場を果たす。 2020年、現役を引退した。
濱里 祐介(はまざと ゆうすけ、1984年8月17日 - )… 濱里 祐介(はまざと ゆうすけ、1984年8月17日 - )は、日本の元ラグビー選手。現在ジャパンラグビーリーグワン宗像サニックスブルースのフォワード・ラインアウトコーチを務めている。 16歳からラグビーを始めた。 2003年、名護高校卒業後、大阪体育大学に入る。 2007年、大阪体育大学卒業後、近鉄ライナーズに加入。 2009年、福岡サニックスブルース(現・宗像サニックスブルース)に加入。 2014年、福岡サニックスブルースの副将に就任した。 2020年、現役を引退した。
パッション屋良(パッション やら、本名:屋良 朝苗(やら ち… パッション屋良(パッション やら、本名:屋良 朝苗(やら ちょうびょう)、1976年(昭和51年)7月23日 - )は、日本のお笑いタレント(ピン芸人)。沖縄県名護市出身。国士舘大学体育学部卒業。マセキ芸能社所属。 沖縄県立名護高等学校を卒業後、1浪して国士舘大学体育学部へ入学し卒業。陸上部で円盤投げの選手として活躍し、教員免許も取得した。 2000年にコンビ「サミット75」を結成。解散したのちに「パッション屋良」名義でピン芸人として活動。 2006年3月29日放送の特別番組『ザ・放送ヲ阻止セヨ!!』(TBS)内の出川哲朗の指名により、実の母親に暴露される形で、14歳のころから16年付き合った女性と2005年6月に結婚していた事を公式に発表(他の芸能人がラジオでバラしていた)。
いさお名ゴ支部(いさお なごしぶ、本名:神山 功(かみやま … いさお名ゴ支部(いさお なごしぶ、本名:神山 功(かみやま いさお)、1974年9月17日 - )は、沖縄県で活動するローカルタレントである。沖縄県名護市出身。FECオフィス所属。
川上 好久 (かわかみ よしひさ、1954年2月 - )は、… 川上 好久 (かわかみ よしひさ、1954年2月 - )は、日本の地方公務員。沖縄県副知事を経て、沖縄県庁出身者として初めて沖縄振興開発金融公庫理事長に就任した。 沖縄県名護市出身。1972年沖縄県立名護高等学校卒業。1977年大阪大学経済学部卒業後、沖縄県庁入庁。2009年沖縄県企画部長。2012年沖縄県総務部長。2013年沖縄県副知事。2014年辞任。2015年沖縄振興開発金融公庫理事。2016年、島尻安伊子内閣府特命担当大臣(沖縄及び北方対策担当)に評価され、沖縄県庁出身者として初めて沖縄振興開発金融公庫理事長に就任し、2024年に任期満了で退任した。また、沖縄科学技術大学院大学評議員なども務めた。
宮里 政玄(みやざと せいげん、1931年(昭和6年)9月1… 宮里 政玄(みやざと せいげん、1931年(昭和6年)9月10日 - 2019年(平成31年)4月8日)は、日本の国際政治学者。琉球大学名誉教授。専門は、アメリカ外交史・日米関係。沖縄に関するアメリカ公文書などの研究の権威として知られる。 1931年、沖縄県国頭郡今帰仁村に生まれる。沖縄県立第三中学校(現在の沖縄県立名護高等学校)在学中に沖縄戦を迎えた。琉球大学を中退し、アメリカ合衆国のマスキンガム大学(英語版)へと留学した。その後は琉球銀行勤務を経て、1957年(昭和32年)に再び渡米してオハイオ州立大学大学院に留学し、インドネシアやベトナムなどに対するアメリカのアジア外交や統治政策を学修し、1961年(昭和36年)に論文『南アジアの中立主義に対するアメリカ外交 一九四七年から一九五五年』により博士号を取得した。
北島 角子(きたじま すみこ、1931年5月20日 - 20… 北島 角子(きたじま すみこ、1931年5月20日 - 2017年4月9日)は、沖縄県本部町出身の女優である。 父は沖縄芝居の役者で劇作家の上間昌成。1939年、家族とともに日本の委任統治下のパラオへ移住。パラオにて女学校へ進学。第二次世界大戦末期は野戦病院で看護師見習いに従事。1946年、米軍の輸送船で沖縄へ引き揚げた。名護高校を卒業ののち役者となった。
東江 康治(あがりえ やすはる、1928年9月10日 - 2… 東江 康治(あがりえ やすはる、1928年9月10日 - 2015年4月5日)は、日本の教育心理学者。名桜大学名誉学長。元琉球大学学長。 太平洋戦争末期の沖縄戦で鉄血勤皇隊として動員され、米軍の攻撃で右胸を撃ち抜かれたが、一命を取り留めた。当時、米国生まれの兄フランク・ヒガシが米兵として沖縄に入り、敵味方に分かれた兄弟としても知られた。 戦後、米政府の援助で米国に留学。教育心理学が専門で、1970年に琉球大学教育学部教授、1973年に教育学部長、1984~1990年に学長。沖縄県名護市の名桜大学の設立に携わり、1994~2000年に初代学長を務めた。平和論の講座を設けるなど平和教育に力を入れた。
渡具知 武豊 は、日本の政治家。沖縄県名護市長(3期)。元名… 渡具知 武豊 は、日本の政治家。沖縄県名護市長(3期)。元名護市議会議員(5期)。また、県内の保守系市長で構成された市長連合「チーム沖縄」のメンバーである。
仲程 倫由(なかほど のりよし)は、日本の内閣府官僚。内閣府… 仲程 倫由(なかほど のりよし)は、日本の内閣府官僚。内閣府政策統括官(防災担当)付企画官、内閣府大臣官房参事官、内閣府沖縄総合事務局次長等を歴任した。 沖縄県国頭郡本部町出身。沖縄県立名護高等学校を経て、1983年琉球大学法文学部卒業、総理府入庁。沖縄の開発を志し、沖縄開発庁などで勤務した。内閣府政策統括官(防災担当)付企画官(災害予防担当)、内閣府沖縄振興局参事官(特定事業担当) 、内閣府大臣官房参事官(総務担当)等を経て、2013年内閣府沖縄総合事務局総務部長。2015年から内閣府沖縄総合事務局次長(総務等担当)を務め、沖縄の生産性向上に向けた働き方改革促進などにあたった。2020年依願退官、北部港運顧問、沖縄美ら島財団参与。