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近藤 茂(こんどう しげる、1874年〈明治7年〉12月15… 近藤 茂(こんどう しげる、1874年〈明治7年〉12月15日 - 1954年〈昭和29年〉1月1日)は、明治から昭和初期にかけて活動した日本の電気技術者、実業家。工学博士。 逓信省の技官として電気局技術課長心得などを務め、退官後は実業界に転じて電力会社にかかわり大同電力常務取締役、昭和電力副社長に就任した。福井県出身。 福井県福井市出身。1874年(明治7年)12月15日、士族近藤寅之助の長男として生まれる。1896年(明治29年)7月第一高等学校第二部工科を卒業し、次いで1899年(明治32年)7月東京帝国大学工科大学電気工学科を卒業した。同期に日本電気会長を務めた秋山武三郎らがいる。 卒業後は逓信省に入り、電気事業の監督にあたる。
尾崎 勇次郎(おざき ゆうじろう、1873年〈明治6年〉3月… 尾崎 勇次郎(おざき ゆうじろう、1873年〈明治6年〉3月1日 - 1956年〈昭和31年〉5月19日)は、日本の内務・警察官僚、実業家。政友会系官選県知事。旧姓・片山。 後の兵庫県多紀郡篠山町(現丹波篠山市)で片山新三郎の二男として生まれ、1878年に尾崎文七の養子となる。第一高等学校を卒業。1899年、東京帝国大学法科大学法律学科(英法)を卒業。内務省に入省し地方局属となる。同年11月、文官高等試験行政科試験に合格。 1900年9月4日、和歌山県参事官となる。以後、宮城県参事官、福島県警察部長、香川県警察部長、樺太民政署事務官、同民政・事業部長、専売局主事、樺太庁内務部長、北海道庁内務部長などを歴任。
鶴見 正四郎(つるみ しょうしろう、1872年〈明治5年〉1… 鶴見 正四郎(つるみ しょうしろう、1872年〈明治5年〉1月24日 - 1953年〈昭和28年〉2月6日)は、日本の機械工学者・教育者・実業家。官立大阪高等工業学校の教授を務め、退官後に家庭用ガス湯沸器メーカーの陽栄製作所を創業した。 1872年〈明治5年〉1月24日に栃木県で生まれた。1896年〈明治29年〉7月に旧制第一高等学校を卒業し、1899年〈明治32年〉7月に東京帝国大学工科大学(のちの東京大学工学部)機械工学科を卒業した。同年10月に東京帝国大学大学院に進んだ後、1900年〈明治33年〉に官立大阪高等工業学校(当時の名称は大阪工業学校、のちの大阪大学工学部)の教授に着任した。1901年〈明治34年〉から1907年〈明治40年〉までは大阪高等商業学校(のちの大阪商科大学、大阪市立大学の前身)の教授嘱託も務めた。
下坂 藤太郎(しもざか とうたろう、1868年11月17日(… 下坂 藤太郎(しもざか とうたろう、1868年11月17日(明治元年10月4日) - 1941年(昭和16年)1月12日)は、日本の大蔵官僚、実業家。理財局銀行課長を最後に退官し、台湾銀行理事、副頭取を歴任。東洋製糖(のち大日本製糖)、東洋海上保険(のち日新火災海上保険)、日商(のち日商岩井)の各社長。 会津藩士下坂藤次郎の長男。三春中学、第一高等学校を経て、1894年(明治27年)東京帝国大学を卒業。大蔵省に入省し、翌年の第二回文官高等試験に次席合格する。秋田県収税長、本省参事官、書記官、監督局銀行課長などを経て、1899年(明治32年)6月辞職。翌月台湾銀行理事に就任し、副頭取に進む。1906年(明治39年)から翌年にかけて銀行制度調査のため欧米出張。
中山 巳代蔵(なかやま みよぞう、1867年10月27日(慶… 中山 巳代蔵(なかやま みよぞう、1867年10月27日(慶応3年10月1日) - 1921年(大正10年))は、日本の内務官僚、実業家。官選栃木県知事。 備前国邑久郡、のちの岡山県邑久郡豊原村(現瀬戸内市)出身。中山壮左衛門の長男として生まれる。第一高等学校を卒業。1894年、帝国大学法科大学を卒業。1895年、内務省に入省し土木局属となる。1906年12月、文官高等試験行政科試験に合格した。以後、長崎県参事官、土木監督署事務官兼内務事務官、内務書記官、京都府事務官などを歴任。 1906年12月、栃木県知事に就任。谷中村在留民の強制立ち退き、渡良瀬川改修を推進した。1911年8月、知事を休職となった。
近藤 会次郎(こんどう かいじろう、1866年11月20日(… 近藤 会次郎(こんどう かいじろう、1866年11月20日(慶応2年10月14日) - 1920年(大正9年)7月5日)は日本の技術者、経営者。浅野石油技師長。次男はピアニストの近藤柏次郎。 浅野財閥の石油事業に携わり、米国の石油技術を日本に導入した人物である。 1866年11月20日(慶応2年10月14日)に岐阜県安八郡仁木村藻池新田(現:輪之内町藻池新田)で古くからの農家の家に生まれた。1880年(明治13年)4月8日に岐阜県で最高学府だった華陽農学校に入学し、1883年(明治16年)7月13日に卒業すると、そこで助教諭として務めたが、半年後に辞職した。上京して共立英学校で数ヶ月学んでから、予備門(旧制第一高等学校)の入学試験に合格し入学し、1889年(明治22年)7月に卒業した。