阪本 亮一(さかもと りょういち、1937年 - 2020年… 阪本 亮一(さかもと りょういち、1937年 - 2020年)は、日本の営業コンサルタントである。 1937年大阪府大阪市生まれ、近畿大学理工学部卒業。地方公務員を経て、26歳で独立し、GEエアコン販売会社を設立し社長となる。1971年明治生命入社、連続20年優秀成績表彰受賞。現在は、営業コンサルタントとして利脳深耕研究所を主宰。またコミュニケーション力教育の専門家として、早稲田大学エクステンションセンターの社会人講座をはじめ多数の講師をつとめている。日本実戦話力検定協会理事長。 近年は、セミナーなどを通じた人材能力開発や東大阪市における画期的な製品開発に関するアドバイザーとして活躍をしていたが、2020年に亡くなったことが親族により発表された。
中沢 正夫(なかざわ まさお、1937年 - )は、日本の精… 中沢 正夫(なかざわ まさお、1937年 - )は、日本の精神科医。中澤と表記するときもある。統合失調症の治療に定評があり、著書多数。椎名誠率いる「東ケト会」のメンバー(付き医)であったとしても有名。 ある精神科医は自身が卒業した1968年ごろの中沢および群馬大学・生活臨床グループの様子を「時代的には生活臨床理論が完成し、それを武器に優れたオルガナイザーである中沢氏が『精神衛生をはじめようとする人のための100ケ条』を携え、保健婦を標的に全国制覇に乗り出した時代であった」と述懐した
天野 隆子(あまの たかこ、1937年 - )は、東京都出身… 天野 隆子(あまの たかこ、1937年 - )は、東京都出身の日本の時代考証家(明治・大正・昭和)である。慶應義塾大学経済学部卒。 1982年の連続テレビ小説『ハイカラさん』から、時代考証を担当しており、ほかにも、『おしん』、『あぐり』、『梅ちゃん先生』、『ちむどんどん』の時代考証や、NHKのスペシャルドラマ『坂の上の雲』の風俗考証も担当している。 2012年度NHK放送文化賞受賞者。 ()内に「朝」とあるのは、「朝ドラ」、すなわち「連続テレビ小説(NHK)」である。
井上 公三(いのうえ こうぞう、1937年 - 2017年)… 井上 公三(いのうえ こうぞう、1937年 - 2017年)は、日本の画家。 大阪府出身。1960年慶應義塾大学文学部美学美術史学科卒業。同年渡仏し、 アカデミー・ドゥ・ラ・グランド・ショミエールにて学ぶ。 1969年オーパベ大賞、1971年毎日現代美術展コンクール賞、1980年カーニュ・シュメール国際美術ビエンナーレ展審査委員長賞を受賞。 漫画家、井上三太は長男にあたる。
気賀 康夫(きが やすお、1937年 - )は、日本の保険… 気賀 康夫(きが やすお、1937年 - )は、日本の保険会社員、アマチュアマジシャン、囲碁著作家。 東京生まれ。慶応義塾大学経済学部卒業。同大学奇術愛好会三代目幹事長。まだ、同大学囲碁部に所属。 1960年、第一生命保険に入社、取締役、常務を務めた。1969年から1970年に、保険事業研究のためニューヨークに留学。 学生時代より故高木重朗に師事、1972年石田天海賞受賞。奇術関係のほか電卓、囲碁に関する著作も多い。囲碁については井口貝石のペンネームを用いた。 東京アマチュアマジシャンズクラブ会員。 この項目は、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(プロジェクト:人物伝、Portal:人物伝)。
原田 勝弘(はらだ かつひろ、1937年 - )は、日本の社… 原田 勝弘(はらだ かつひろ、1937年 - )は、日本の社会学者。明治学院大学名誉教授。被爆者の調査研究などに携わる。2012年、著書に、『生活研究の社会学 変容する生活像の軌跡と調査分析』(2012年、光生館)がある。
福井 敏雄(ふくい としお、1937年 - )は、日本の自動… 福井 敏雄(ふくい としお、1937年 - )は、日本の自動車技術者。元トヨタ・チーム・ヨーロッパ(TTE)副社長。東京都世田谷区出身。 父・福井近夫(後に日本テレビ放送網社長)が読売新聞社に勤務しており、転勤の関係で戦後間もない時期に京都に移住、高校の途中までを京都で過ごす。 1960年に慶應義塾大学工学部を卒業して日産自動車に入社。日産に入社した理由について、大学で大気汚染の研究をしていた際に実験用の分析機が必要になった際、当時子安にあった日産の研究所に機材を使わせてもらうよう依頼に行ったのがきっかけで、しばらく実験のため研究所に通っているとある日「ちょっと面接があるから」と呼び出されたところ、当時の川又克二社長をはじめとする役員陣がずらっと揃っており、そのまま内定が出て入社に至ったと語っている。
森友 健(もりとも けん、1937年 - )「森友綜合教室」… 森友 健(もりとも けん、1937年 - )「森友綜合教室」塾長。日本珠算連盟理事長・一般社団法人大阪珠算協会会長・近畿珠算強化連合会代表。大阪府生まれ。 この項目は、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(プロジェクト:人物伝、Portal:人物伝)。 この項目は、日本の歴史に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:日本/P:歴史/P:歴史学/PJ日本史)。
湯木 佐知子(ゆき さちこ、1937年 - )は、日本の実業… 湯木 佐知子(ゆき さちこ、1937年 - )は、日本の実業家。株式会社吉兆の役員。かつて存在した吉兆グループの一社であった船場吉兆の最後の社長。株式会社吉兆の創業者である湯木貞一の三女。甲南大学経済学部卒。 2007年に発覚した船場吉兆による多数の食品偽装疑惑を受け、同年12月10日に行われた記者会見にて、長男の湯木喜久郎に対して小声で「ないです(と言いなさい)」「頭が真っ白になった」「責任逃れの発言をしてしまいました」などの返答内容を指示し、喜久郎がそのまま発言するという一連の言動がマイクに全て拾われたことで有名になった。 ワイドショーなどではこの模様を「腹話術みたいだ」と揶揄され、メディア上では「ささやき女将」と称されるようになった。
岩田 信義(いわた のぶよし 1937年 - )は、日本の教… 岩田 信義(いわた のぶよし 1937年 - )は、日本の教育者、著作家、歴史家。神戸連続児童殺傷事件当時加害者の通っていた神戸市立友が丘中学校校長であり、事件に関わる著作を行った。 兵庫県神戸市出身。神戸大学教育学部卒業。神戸市内の学校教諭を経て神戸市立友が丘中学校校長に就任。事件当時は校長として、ことあるごとに記者会見を開き、記者からの質問には一つ一つ答えていた。 1998年には日本精神衛生会の広報誌で、メンタルヘルスについての連載を行っていた。 2000年には新潮45で、神戸連続児童殺傷事件が起きてから3年後に思うことの手記を掲載する。 2001年には『校長は見た!酒鬼薔薇事件の「深層」』という書籍を出版した。
木村 健(きむら けん、1937年-)日本の医師、アイオワ大… 木村 健(きむら けん、1937年-)日本の医師、アイオワ大学名誉教授、小児外科医、エッセイスト。 数多くの手術術式を開発して多くの小児外科領域の難病患者を救った。 日本並びにアメリカの医学教育、卒後研修、医療制度、病院経営論理に詳しく、講演会などで両国の比較などを通して啓発活動をしている。 1986年日本エッセイストクラブ「ベストエッセイ集、母の加護」に作品「肥後守」が選ばれた。ネットブログ「ドクターキムラのオピニオン」などに定期的にエッセイを掲載している。 2004年、広島大学より招聘を受け特別顧問に就任した。広島大学医学部付属病院を大学本部直属の広島大学病院と組織替して病院改革を行った。結果、診断確定から手術までの待ち時間が短縮されスピーディな手術が出来た。
小沢 浩(こざわ ひろし、1937年 - )は、日本の宗教史… 小沢 浩(こざわ ひろし、1937年 - )は、日本の宗教史学者。専攻、近代日本民衆宗教史。 国際基督教大学教養学部人文科学科卒。東京教育大学大学院文学研究科博士課程単位取得退学。富山医科薬科大学助教授を経て、1989年富山大学人文学部教授となり、副学長等を歴任、2001年2月、過去に入試ミスがありそれを隠蔽してきた事実を知って当時の学長に調査と事実の公表を迫るが受け入れられず、折からの学長選に立候補、当選して着任後直ちに事件を公表、多数の犠牲者に対する謝罪と補償問題を解決し、同年11月1日付で辞職。のちに著書『ザ学長』を刊行して事件の詳細を明らかにした。
小倉 玄照(おぐら げんしょう、1937年 - )は、日本の… 小倉 玄照(おぐら げんしょう、1937年 - )は、日本の僧侶、文筆家。岡山県の曹洞宗成興寺第十三世住職。 岡山県生まれ。1960年、駒澤大学仏教学部禅学科卒業。高校教師となり、岡山県立久世高等学校、岡山県立津山東高等学校、岡山県立津山商業高等学校教諭を歴任。1973年3月に退職。 1973年、曹洞宗大本山永平寺講師(1988年末まで)。1982年、曹洞宗特派布教師(1988年まで3期)。 苫田郡加茂町の成興寺住職。加茂保育園園長、理事長を歴任。 著書に「道元禅師旧蹟紀行」「修証義のことば」「道元禅師の慕古」「禅と食」など。 この項目は、まだ閲覧者の調べものの参照としては役立たない、文人(小説家・詩人・歌人・俳人・作詞家・作家・放送作家・随筆家(コラムニスト)・文芸評論家)に関連した書きかけの項目です。
片岡 泰彦(かたおか やすひこ、1937年 - )は、日本の… 片岡 泰彦(かたおか やすひこ、1937年 - )は、日本の商学者。博士(商学)(駒澤大学)。大東文化大学教授。日本会計史学会会長。 父は会計学者の片岡義雄元駒澤大学教授。 1979年度文部省在外研究員としてロンドン大学およびアウクスブルク大学に留学。1980年度に日本会計研究学会賞、1988年度「イタリア簿記史論」で日本会計史学会賞を受賞。 1993年3月まで市立大月短期大学教授、同年4月より大東文化大学経営学部経営学科教授に就任。 1995年博士号(商学、駒澤大学)を取得。 2003年日本会計史学会会長。 2007年「複式簿記発達史論」で日本簿記学会賞を受賞。日本会計史学会理事などを歴任。 著書に『会社財務会計』『会社特殊会計』『簿記要論』『イタリア簿記史論』など。
田中 弘之(たなか ひろゆき、1937年 - )は、日本の歴… 田中 弘之(たなか ひろゆき、1937年 - )は、日本の歴史研究家。 東京都生まれ。1964年、駒澤大学文学部歴史学科卒業。駒澤大学図書館に勤務。駒澤大学図書館 副館長を務めた。 2012年度、『「蛮社の獄」のすべて』(吉川弘文館)で、住田正一海事史奨励賞を受賞(社団法人 日本海運集会所)。 この項目は、学者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(PJ:人物伝/P:教育)。
横山民司(よこやま たみじ、1937年- )は、日本の北欧語… 横山民司(よこやま たみじ、1937年- )は、日本の北欧語学者。 長野県生まれ。埼玉大学独文科卒・東京都立大学大学院独文科修士課程修了。後に北欧文学に転向。1975-77年ウプサラ大学に学ぶ。東京都立大学助手、成蹊大学講師、東京水産大学助教授、東海大学教授、目白大学教授を経て2008年停年。プレスポート・千点世界文学大系主幹。 近年『金瓶梅』の新訳も手がけた。
瀬戸 明(せと あきら、1937年 - )は、日本の哲学者。… 瀬戸 明(せと あきら、1937年 - )は、日本の哲学者。国立音楽大学名誉教授。 上智大学文学部哲学科を経て、1967年東京教育大学大学院文学研究科博士課程修了(哲学専攻)。国立音楽大学音楽部助教授、教授。東京唯物論研究会(東京唯研)、唯物論研究協会(全国唯研)会員。
真島 節子(ましま せつこ、昭和12年(1937年) - )… 真島 節子(ましま せつこ、昭和12年(1937年) - )は、日本の絵本作家。山形県鶴岡市出身。 現代的な絵を、日本の伝統的な色使いで描く。
黒川 博通(くろかわ ひろみち、1937年〈昭和12年〉 -… 黒川 博通(くろかわ ひろみち、1937年〈昭和12年〉 - )は、日本の撮影技師。東京都出身。おもに光学撮影担当の撮影技師として、1960年代の東宝特撮映画の製作に携わった。 多摩美術大学在学中に、アルバイトとして映画『日本誕生』の造形に参加。大学卒業後の1961年に東宝特殊技術課に、光学撮影担当の撮影技師として勤務。 特撮監督の円谷英二とは仕事で直接関わる機会はなかったが、編集室の横に円谷の控室があったことから、円谷にマッサージを施していた。 この項目は、映画関係者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:映画/PJ映画)。
安達 惠美子(あだち えみこ、1937年 - )は、日本の医… 安達 惠美子(あだち えみこ、1937年 - )は、日本の医学者。 専門は「視覚の電気生理学」。東京出身。
池内 光久(いけうち みつひさ、1937年 - )は、日本の… 池内 光久(いけうち みつひさ、1937年 - )は、日本の危機管理スペシャリスト。日本カナダ検定協会副理事長。PCRM研究所代表、認定危機管理士、損害保険事業総合研究所講師、明治大学講師。 一橋大学経済学部卒、中央大学法学部専攻科修了、東京海上火災保険(株)ロサンゼルス・トロント首席駐在員・現法役員、マーシュ・ジャパン(株)、ニューインディア保険会社、共立IBJ(株)勤務の経験がある。 キャプティブと日本企業 リスク・マネジメントの強化にむけて(杉野文俊・前田祐治と共著/2013年 保険毎日新聞社)
神崎満治郎(こうざき みつじろう、1937年- )は、日本の… 神崎満治郎(こうざき みつじろう、1937年- )は、日本の法学者。元法務官僚。専門は登記法・成年後見の登記。商業登記法の第一人者。福岡県出身。「神﨑満治郎」とも表記される。 中央大学法学部通信教育課程卒業。司法書士事務所に勤務。1963年、国家公務員上級職試験甲種法律職合格。1964年、法務省入省。東京法務局登記官に任官。その後、東京法務局供託官を経て、1973年、名古屋法務局民事行政部法人登記課長補佐。1982年、東京法務局民事行政部供託第一課長。1984年、法務省法務総合研究所教官。1989年、宇都宮地方法務局長。1990年、浦和地方法務局長。1991年、横浜地方法務局長。1992年、札幌法務局長。
津井手 郁輝(ついで いくてる、1937年 - 没年不明)は… 津井手 郁輝(ついで いくてる、1937年 - 没年不明)は日本の文芸評論家。東京都生まれ。 1961年、中央大学商学部卒。1976年、探偵小説専門誌『幻影城』の第1回幻影城新人賞評論部門で「探偵小説と笑い-私的探偵小説論」が佳作となり、デビューした。受賞時は小田原市在住。第1回の評論部門では、ほかに寺田裕が佳作に選ばれている。 幻影城新人賞の受賞者を中心に結成された「影の会」のメンバー。
安井 俊夫(やすい としお、1937年 - )は、日本の地方… 安井 俊夫(やすい としお、1937年 - )は、日本の地方公務員。 愛知県生まれ。名古屋学院名古屋中学校・高等学校、1961年中央大学法学部卒業。大学卒業後、愛知県庁に勤務し、芸術文化や福祉関係の部局長、教育長を歴任する。1997年から「2005年日本国際博覧会(愛知万博)協会」の事務次長を務める。2004年から愛知総合看護福祉専門学校校長に就任。学生から「モリゾー先生」と呼ばれている。2007年、瑞宝小綬章受賞。 名古屋中学校・高等学校敬愛同窓会会長、俳句同好会青葉会会長、社会福祉法人愛知たいようの杜理事、社会福祉法人恩賜財団愛知県同胞援護会理事、社会福祉法人中日新聞社会事業団理事、社会福祉法人東海テレビ文化福祉事業団理事などを務めた[要出典]。
山本 峯章(やまもと みねあき、1937年 - )は、政治評… 山本 峯章(やまもと みねあき、1937年 - )は、政治評論家。 東京都生まれ。九州学院大学(現第一工業大学)講師などを経て、1976、79年の二度東京2区で衆議院議員選挙に無所属で出馬、敗れる。政治評論家となり、ラジオ番組のパーソナリティーのほか、週刊誌・新聞などに署名原稿やコメントを寄稿。村上正邦と協力関係にある。
藤澤 全(ふじさわ まとし、1937年 - )は、日本の国文… 藤澤 全(ふじさわ まとし、1937年 - )は、日本の国文学者。博士(国際関係)。専門は日本近現代文学・比較文学。 北海道生まれ。都留短期大学(現都留文科大学)卒業後、小学校教員を務める。1962年日本大学通信教育部文理学部国文専攻卒業、ミシガン大学留学をへて日大文理学部助教授、1985年日本大学短期大学部教授、1997年日本大学国際関係学部教授、2000年同国際関係研究科教授、2007年1月日本大学を定年退職。 2001年11月、博士論文『井上靖の創作活動における西洋受容の諸相』によって日本大学より博士(国際関係)を授与される。
井上 スズ(井上 すず/いのうえ すず、1937年 - )は… 井上 スズ(井上 すず/いのうえ すず、1937年 - )は、日本の政治学者。獨協大学名誉教授。 1960年東京大学教養学部教養学科(フランスの文化と社会分科)卒。1966年東京大学大学院法学政治学研究科博士課程(政治史専攻)修了。「フランス革命における民衆的独裁 : その運動と組織」で法学博士(東京大学)。獨協大学外国語学部フランス語学科助教授、教授。2010年退任、名誉教授。
越後 亮三(えちご りょうぞう、1937年- ) は、日本の… 越後 亮三(えちご りょうぞう、1937年- ) は、日本の機械工学者。東京工業大学名誉教授。元芝浦工業大学副学長。元日本伝熱学会会長。元エネルギー・資源学会副会長。 1960年東京工業大学理工学部機械工学科卒業。1962年東京工業大学大学院理工学研究科修士課程を修了し工学部助手。1963年東京大学大学院工学研究科博士課程入学、1966年修了、工学博士。 1966年九州大学工学部応用原子核工学教室講師、1967年同助教授、1977年同教授、1981年東京工業大学工学部機械工学科教授(1996年京都大学大学院エネルギー科学研究科教授併任)、1997年同名誉教授。1997年芝浦工業大学教授を経て副学長。
岡崎 廉治(おかざき れんじ、1937年 - )は、日本の化… 岡崎 廉治(おかざき れんじ、1937年 - )は、日本の化学者。 専門は有機化学、物質変換。
粕谷 俊雄(かすや としお、1937年 - )は、日本の海洋… 粕谷 俊雄(かすや としお、1937年 - )は、日本の海洋生物学者。元帝京科学大学教授。 1937年生まれ。東京大学農学部水産学科卒業、財団法人日本捕鯨協会鯨類研究所所員、東京大学海洋研究所助手、水産庁遠洋水産研究所底魚海獣資源部鯨類資源研究室室長、三重大学生物資源学部教授のち、帝京科学大学教授となる。クジラ・イルカ・ジュゴンなどの水産哺乳類を研究対象としており、その生活史を研究し、保全管理の仕事に携わっている。 1972年東京大学農学博士取得。論文の題は「鼓室・耳周骨の形態にもとづく現生歯鯨類の系統分類学的考察 」。 この項目は、科学者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(プロジェクト:人物伝/Portal:自然科学)。
北原 敦(きたはら あつし、1937年 - )は、日本の歴史… 北原 敦(きたはら あつし、1937年 - )は、日本の歴史学者。北海道大学名誉教授。元立正大学、帝京大学教授。専門はイタリア史、ファシズム。 近現代イタリア史研究の第一人者。師柴田三千雄とともに5歳年長の二宮宏之の影響が決定的とされる。 この項目は、学者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(PJ:人物伝/P:教育)。
佐野 彰一(さの しょういち、1937年 - )は、日本の自… 佐野 彰一(さの しょういち、1937年 - )は、日本の自動車技術者。東京都出身。東京大学工学部航空学科卒業。 本田技研工業(ホンダ)において、第1期ホンダF1のシャシー設計などを担当したことで知られる。 父親が自動車・オートバイ好きで、当時父親が持っていたメグロのオートバイがよく調子が悪くなるため、整備を手伝っていたことで、機械関係に興味をもつようになる。一方で幼少期は天文学に興味があったが、父親から「天文学者になってどうやって飯を食っていくんだ?」と聞かれて返答に詰まり、「宇宙に一番近いと思った」との理由で東大の航空学科に進んだとも語っている。この頃、父親のオートバイのエンジンのボアアップのため、ボーリングを発注した工場に持って行った際に、その土間に転がっていたホンダのエンジンを触った所「全然ガタがなかった」のに驚き、将来の就職先としてホンダを意識し始めたという。
沢田 康次(さわだ やすじ、1937年 - )は日本の物理学… 沢田 康次(さわだ やすじ、1937年 - )は日本の物理学者、工学者。 非線形・非平衡系の物理学、複雑系と形態形成、生命状態の物理学、脳型コンピュータと超伝導回路、人の感覚と運動系の物理学の研究に従事。 東北大学国際高等研究教育院シニアメンター。東北大学名誉教授。元東北工業大学教授・学長。 東北大学で工学部電気・情報系学科、大学院情報科学研究科の協力講座として研究室を主宰し、「生き生きとしているとは何だろうか」をテーマに物理学の研究を繰り広げる。 東北工業大学では研究・教育活動の後、学長として大学運営に取り組む。 この項目は、科学者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(プロジェクト:人物伝/Portal:自然科学)。
竹内 重夫(たけうち しげお、1937年 - )は日本の生物… 竹内 重夫(たけうち しげお、1937年 - )は日本の生物学者。元神奈川大学理学部教授、神奈川大学名誉教授。専門は発生生物学、萌芽研究。
土田 旭(つちだ あきら、1937年 - )は、日本の都市計… 土田 旭(つちだ あきら、1937年 - )は、日本の都市計画家、アーバンデザイナー。都市環境研究所代表所員(会長)。京都造形芸術大学客員教授。 兵庫県生まれ。1960年、東京大学工学部建築学科卒業。1965年、東京大学大学院工学系研究科建築学専攻博士課程単位取得。同大学工学部都市工学科助手を経て、1970年、都市環境研究所を設立。
村崎 恭子(むらさき きょうこ、1937年 - )は、アイヌ… 村崎 恭子(むらさき きょうこ、1937年 - )は、アイヌ語の研究者。横浜国立大学名誉教授。専攻は言語学、樺太アイヌ語学。 村崎は元々は東京外国語大学でモンゴル語を専攻していた。その後に東京大学に学士入学した際、アイヌ語の辞典を編纂するプロジェクトが偶然にも進行中であった。その際に樺太アイヌ語の調査を当時の指導教官に勧められたことが、アイヌ語研究に携わる転機となった。 また、村崎は1963年9月に『民族学研究』27巻4号の誌上で、 1962年6月の時点で北海道での千島アイヌ語の話者が途絶え、事実上死語となったことを報告した。彼女は1962年の夏に北海道で調査を行ったが、結果として千島アイヌ語のインフォーマントは既に存在しなかった。
山口 幸夫(やまぐち ゆきお、1937年 - )は、特定非営… 山口 幸夫(やまぐち ゆきお、1937年 - )は、特定非営利活動法人原子力資料情報室の共同代表。 新潟県十日町市出身。1965年に東京大学数物系大学院博士課程(物性物理学専攻、工学博士)修了。1968年に東京大学工学部(物理工学科)講師となる。 ベトナム反戦運動をしていた「ただの市民が戦車を止める会」(神奈川県相模原市の「戦車闘争」(1972年)の時に結成)の会員らと有機農法の作物の共同購入をするなど、三里塚闘争への支援も行っている。成田空港問題シンポジウムを主催した隅谷調査団に河宮信郎を推挙したが、シンポジウム後は闘争の幕引きを図る動きに反発し、地球的課題の実験村と行動を共にした。現在は一般社団法人三里塚大地共有運動の会代表理事を務める。
佐藤 達夫(さとう たつお、1937年 - )は日本の医師、… 佐藤 達夫(さとう たつお、1937年 - )は日本の医師、医学者。東京医科歯科大学名誉教授。初代東京有明医療大学学長。
呉 文子(オ・ムンジャ、朝: 오문자, 1937年(昭和12… 呉 文子(オ・ムンジャ、朝: 오문자, 1937年(昭和12年) - )は、在日朝鮮人のエッセイスト。在日女性文学誌『地に舟をこげ』編集委員。 岡山市に在日朝鮮人二世として生まれる。山陽女子高等学校(現、山陽学園高等学校、岡山県)卒業。東洋音楽短期大学(現、東京音楽大学)卒業。1991年(平成3年)、同人誌『鳳仙花』を創刊。2005年(平成17年)の20号まで同誌代表。1994年(平成6年)から1996年(平成8年)まで、調布市女性問題広報紙「新しい風」編集委員。1998年(平成10年)から1999年(平成11年)まで、調布市「町づくり市民会議」諮問委員。
眼龍 義治(がんりゅう よしはる、1937年-)は、富山県高… 眼龍 義治(がんりゅう よしはる、1937年-)は、富山県高岡市出身の作曲家。 高校生のころから作曲家を志して、東京音楽大学の前身東洋音楽短期大学を経て東京藝術大学作曲科を卒業。作曲は池内友次郎、島岡譲、三善晃、指揮法を渡邉暁雄、筝・三味線を上木康江に師事した。またアラン・ホヴァネスのアシスタントとして渡欧したこともある。31年間、尚美学園大学作曲科の教鞭を取った後、現在江原学園・東京音楽療法専門学校・東京ピアノ調律アカデミーで教える。作風は仏教的なものをテーマにした邦楽作品が多い。1999年から2004年までは、NPO法人邦楽教育振興会に所属した。趣味は茶道(裏千家)、剣道、弓道、スキー、写真と多岐に渡る。
田中 敏雄(たなか としお、1937年 - )は、日本の文学… 田中 敏雄(たなか としお、1937年 - )は、日本の文学研究者。東京外国語大学名誉教授。専門は現代ヒンディー文学。 東京都生まれ。東京外国語大学ヒンディー語専攻卒業後、インド・デリー大学に留学。帰国後は東京外国語大学にて教鞭を執り、ヒンディー文学の研究と教育に従事した。 2000年3月に東京外国語大学を退職し、名誉教授の称号を受ける。その後、麗沢大学および恵泉女学園大学で非常勤講師を務めた。 現代ヒンディー文学を中心に、インドの言語文化、非暴力運動(サッティヤーグラハ)などに関する研究を行った。 代表的な著作に『南アフリカでのサッティヤーグラハの歴史 1 非暴力不服従運動の誕生』(東洋文庫)などがある。
高杉 學(たかすぎ まなぶ、1937年〈昭和12年〉- )は… 高杉 學(たかすぎ まなぶ、1937年〈昭和12年〉- )は、日本の画家、美術教育者。 現在、蒼騎会運営委員、三多摩美術家連盟代表、日本美術家連盟会員。 風景画、静物画を中心とした、油彩を得意とする。2012年の代表作は「水 光る」(油彩、F80)。 この項目は、美術家・芸術家に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:美術/PJ:美術)。
中山 理(なかやま ただし、1937年- )は、数学教育者。… 中山 理(なかやま ただし、1937年- )は、数学教育者。 東京生まれ。東京学芸大学卒業。慶應義塾幼稚舎教諭を40年務めた。ほか十文字中学・高等学校講師、大妻女子大学講師。日本私立初等学校算数部会全国委員。
日野 多香子(ひの たかこ、1937年 - )は、日本の児童… 日野 多香子(ひの たかこ、1937年 - )は、日本の児童文学作家。 東京生まれ。東京学芸大学卒業。 『風の花ぞの』で1969年度第10回講談社児童文学新人賞佳作。 1977年、『闇と光の中』(理論社)で第10回日本児童文学者協会新人賞受賞。 2017年、児童文化の発展のための長年の功績に対し、児童文化功労賞受賞を受賞。 この項目は、文人(小説家・詩人・歌人・俳人・著作家・作詞家・脚本家・作家・劇作家・放送作家・随筆家/コラムニスト・文芸評論家)に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:文学/PJ作家)。
福島 脩美(ふくしま おさみ、1937年 - )は、日本の臨… 福島 脩美(ふくしま おさみ、1937年 - )は、日本の臨床心理学者。日本カウンセリング学会認定カウンセラー/スーパーバイザー。埼玉県生まれ。専門は、カウンセリング心理学、教育臨床心理学、性格心理学。2021年、瑞宝中綬章受章。 この項目は、科学者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(プロジェクト:人物伝/Portal:自然科学)。
萱原 昌二(かやはら しょうじ、1937年 - )は、日本の… 萱原 昌二(かやはら しょうじ、1937年 - )は、日本の教育学者。専門は、日本史教育。 この項目は、学者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(PJ:人物伝/P:教育)。
木本 至(きもと いたる、1937年 - )は日本の文芸・文… 木本 至(きもと いたる、1937年 - )は日本の文芸・文化・歴史評論家。群馬県出身。 1959年、東京教育大学教育学科卒業。光文社で『女性自身』『二人自身』の編集を手がけ、1966年退社。 以後、書評、評論に活躍。伝記物と性文化論などを得意とする。 おもな著書に『にっぽん先駆者物語』『オナニーと日本人』『医の時代-高松凌雲の生涯』『評伝・宮武外骨』『雑誌で読む戦後史』など。
小林 一美(こばやし かずみ、男性、1937年 - )は、日… 小林 一美(こばやし かずみ、男性、1937年 - )は、日本の中国史学者、神奈川大学名誉教授。長野県生まれ。1969年東京教育大学大学院文学研究科博士課程単位取得退学。75年名城大学助教授、86年神奈川大学外国語学部教授。2005年退職。中国近代史、特に義和団の乱について研究。
小松 聰(こまつ そう、さとし、1937年 - )は、マルク… 小松 聰(こまつ そう、さとし、1937年 - )は、マルクス経済学者。専門は国際経済論、経済政策論。宇野理論に基づく現状分析を手掛けた。 静岡県生まれ。1956年静岡県立浜松北高等学校卒業。1960年東京教育大学文学部経済学科卒業。1965年同大学大学院文学研究科経済学専攻博士課程修了。学部・大学院で大島清に師事。1986年「ニューディールの経済体制 : 失業救済政策を中心として」経済学博士(北海道大学)。松山商科大学講師、経済学部助教授、筑波大学社会科学系助教授、教授。筑波大学を停年前に退職後、東京家政学院筑波女子大学教授。のち東日本国際大学経済学部教授。
鈴木 智夫(すずき ともお、1937年 - 2025年)は、… 鈴木 智夫(すずき ともお、1937年 - 2025年)は、日本の歴史学者。元愛知学院大学教授。専門は東洋史、中国近代史(社会経済史)。博士(文学)。