長谷川 章(はせがわ あきら、1954年 - )は、日本の建… 長谷川 章(はせがわ あきら、1954年 - )は、日本の建築家・建築学者である。東京造形大学教授。専門はドイツ近代建築史。 1954年に東京都にて誕生。1979年に早稲田大学大学院修士課程を修了したのち、一級建築士資格を取得。坂倉建築研究所東京事務所にて12年勤務し、港北ニュータウン・多摩ニュータウン・東北自動車道サービスエリア・研修施設などの設計を担当する。1986年に「横浜人形の家」の設計で商環境デザイン大賞、横浜まちなみ景観賞、神奈川県建築コンクール優秀賞を受賞。1988年に「渋谷東急百貨店東横店」で北米照明学会(英語版)特別表彰受賞。 この間の1985年から1987年にかけ休職し、DAAD西ドイツ政府給費留学生としてアーヘン工科大学に留学。
原 宏一(はら こういち、1954年 - )は、日本の小説家… 原 宏一(はら こういち、1954年 - )は、日本の小説家。 長野県生まれ、茨城県育ち。 学生時代はギターに打ち込み、プロミュージシャンを目指した。坂本龍一、細野晴臣らが参加した大貫妙子の2ndアルバム『SUNSHOWER』('77)「誰のために」でもプレイしたが、圧倒的な才能に接して音楽の道を断念。早稲田大学卒業後広告制作会社のコピーライターとなる。1985年、東京コピーライターズクラブ新人賞を受賞し 、フリーランスとなる。 1997年、『かつどん協議会』で小説家デビューしたが、10冊ほど発表した本はすべて初版止まり。2007年に小説家を辞めることを決めて資料本も処分したが、1か月後に1999年に発表した『床下仙人』(祥伝社文庫)が有隣堂ルミネ町田店の書店員の目に止まり、店頭POPをきっかけに初の増刷が決定。
樋口 和喜(ひぐち かずよし、1954年 ‐ )は、日本の実… 樋口 和喜(ひぐち かずよし、1954年 ‐ )は、日本の実業家、外交官。メキシコ住友商事社長などを経て、駐エルサルバドル特命全権大使を務めた。 1954年、岐阜県岐阜市出身。早稲田大学商学部を卒業後、1979年に住友商事に入社した。入社後は、自動車製造事業部で中南米、北米他各地で自動車製造設備・部品ビジネス、製造投資に従事。1998年、メキシコ住友商事モンテレイ支店長。2004年、住友商事自動車製造事業部部長。2009年、メキシコ住友商事社長就任。2014年、自動車製造事業部参事、株式会社キリウ副社長兼メキシコキリウ社長。2017年6月、住友商事退職。メキシコ駐在通算4回17年。2017年6月から2020年11月まで外務省特別職としてエルサルバドル共和国駐箚特命全権大使を務めた。
藤本 幸久(ふじもとゆきひさ、1954年 - )は、三重県生… 藤本 幸久(ふじもとゆきひさ、1954年 - )は、三重県生まれの映画監督。北海道在住。 三重県四日市市に生まれる。早稲田大学政治経済学部在学中より土本典昭監督の下で映画制作に携わる。大学卒業後、土本作品の助監督等を経て1992年に自身の初監督作品「教えられなかった戦争・侵略・マレー半島」を公開。 以後、生活拠点を北海道上川郡新得町に移し、森の映画社を設立。夕張の炭鉱閉山をテーマとした作品「闇を掘る」で映画賞などを受賞。また、1996年から新得町で自身が主宰する「Shintoku空想の森映画祭」を10年以上にわたって開催するなどしている。 近年は北海道矢臼別や沖縄県辺野古、韓国梅香里の駐留米軍問題をテーマとした「マリーンズ・ゴーホーム」(2005年)、およびアメリカ海兵隊を取材した「アメリカばんざい」(2008年)などの作品を発表している。
松田 幸緒(まつだ さちお、1954年 -)は、日本の小説家… 松田 幸緒(まつだ さちお、1954年 -)は、日本の小説家、推理作家。 東京都生まれ、在住。早稲田大学第一文学部西洋史学科を卒業する。2009年、「最後のともだち」が第21回堺自由都市文学賞の佳作に選ばれる。2010年、「完璧なママ」が第8回北区 内田康夫ミステリー文学賞の大賞を受賞する。2014年、「ユメノアト」が第6回日経小説大賞の最終候補作に選ばれる。2015年、「中庭に面した席」で第95回オール讀物新人賞を受賞する。 趣味は読書、映画・音楽鑑賞など。好きな作家として、ウィリアム・トレヴァー、スティーヴン・ミルハウザー、アントン・チェーホフを挙げている。 「」内が収録されている松田幸緒の作品
三﨑 良章 (みさき よしあき、1954年 - )は、日本の… 三﨑 良章 (みさき よしあき、1954年 - )は、日本の歴史学者、教員。東アジア史専攻。埼玉県深谷市出身。 埼玉県深谷市に生まれた。1977年(昭和52年)、早稲田大学の第一文学部東洋史学専攻を卒業し、1983年(昭和58年)、早稲田大学大学院の博士後期課程で単位取得後に退学した。マールブルク大学客員研究員、北京大学客員研究員を経て、早稲田大学、群馬大学、群馬県立女子大学の講師等を務めた。その後、早稲田大学本庄高等学院の教員となった。 専攻は東アジア史だが、主な研究対象は中国の五胡十六国時代と民族である。1994年(平成6年)7月、研究を通じて交流のあった町田隆吉(のちに桜美林大学教授)らとともに、五胡十六国時代を研究テーマとした「五胡の会」(ごこのかい)を立ち上げた。
由紀 草一(ゆうき そういち、1954年 - )は、日本の教… 由紀 草一(ゆうき そういち、1954年 - )は、日本の教育・思想・演劇評論家、高校教諭。本名・鈴木敏男。 茨城県出身。早稲田大学第一文学部卒業。同大学大学院文学研究科芸術学専修(演劇)修士課程を修了。 現在茨城県公立高等学校(定時制)勤務。担当教科は英語。処女出版『学校の現在』(1989年)以来自己の体験に基づく現実的な教育論で知られる。 『思想以前』(1999年)から思想方面へ発言範囲を拡大。『団塊の世代とは何だったのか』や『軟弱者の戦争論』などは、戦後日本の思想風土批判の書である。 大学院時代の専門だった演劇については、『20世紀の戯曲 1~3』(社会評論社 1998年~2005年 共著)の執筆者の一人として、福田恆存、安部公房、三好十郎、別役実らの戯曲について論じている。
吉野 孝(よしの たかし、1954年 -)は、日本の政治学者… 吉野 孝(よしの たかし、1954年 -)は、日本の政治学者。早稲田大学政治経済学部教授。専門は英米政治学。 長野県生まれ。1978年、早稲田大学政治経済学部卒業。1988年、同大学院政治研究科博士課程退学。 1988年、早稲田大学政治経済学部講師、1990年、早稲田大学政治経済学部助教授。フルブライト・プログラムにて、ウィスコンシン大学マディソン校留学。1995年、早稲田大学政治経済学部教授。2004年、早稲田大学政治経済学術院教授。早稲田大学総合政策科学研究所研究員、早稲田大学日米研究機構長、新宿区議会議員政治倫理審査会会長。元ジョンズ・ホプキンス大学高等国際問題研究大学院(SAIS)客員研究員。
千代 正行(ちよ まさゆき、1954年 - )は、茨城県生ま… 千代 正行(ちよ まさゆき、1954年 - )は、茨城県生まれの日本のギタリスト、作曲家、編曲家。 息子はプロレーシングドライバーの千代勝正。 茨城県牛久市に生まれる。青山学院大学入学後19歳の時にみなみらんぼうと出会いバックバンドとして参加。大学中退後、23歳でみなみの『山口さんちのツトム君』などNHK「みんなのうた」の編曲を手がけるも、ギタリストを目指し25歳の時に渡米。帰国後は森田童子の編曲や多くのCM音楽の他、映画やアニメ、ドラマの作曲、編曲も手がけている。とくに編曲を手がけた森田の『たとえばぼくが死んだら』は1993年の映画『高校教師』の主題歌に起用されてリバイバルヒットを記録した。 この項目は、音楽家(演奏者・作詞家・作曲家・編曲家・バンドなど)に関連した書きかけの項目です。
小田川 義和(おだがわ よしかず、1954年または1955年… 小田川 義和(おだがわ よしかず、1954年または1955年 - )は、日本の労働運動家、法務局職員。全法務中国地本書記長、国公労連書記長を経て全国労働組合総連合 (全労連) 議長。 島根県木次町 (現・雲南市) 生まれ。高校卒業後、広島法務局に採用され、三次支局に勤務。人権関係を長く担当。全法務省労働組合 (全法務) では、21歳で広島支部書記長、29歳から中国地方本部書記長を務めた。日本国家公務員労働組合連合会 (国公労連) では広島県国公事務局長を務め、県労連や広島地域労連の準備会の中心を担い、JRのローカル線存続など幅広く地域での運動に関わった。1991年 国公労連中央執行委員。同調査部長、同書記次長を経て同書記長。
塩浦 信太郎(しおうら しんたろう、1954年 - )は、群… 塩浦 信太郎(しおうら しんたろう、1954年 - )は、群馬県太田市出身のイラストレーター、カラクリ作家、映像作家。群馬県太田市武蔵島町の生まれる(新田郡尾島町武蔵島)。信出版(電子書籍出版社)SHIO-KARA塩浦カラクリを主宰。若い頃露天商をしながら、日本各地を旅し様々な経験をし、その後世界各地へと足を伸ばしヨーロッパ各地、アフリカ、インド、オーストラリア、アメリカ、南米、モンゴル、中国、韓国、タイ、アフリカなどを旅をしその経験を書籍にして出版、現在なネイティブアメリカンの文化に焦点を当て著作、創作活動を行っている、また各地の博物館や美術館、また百貨店などでもカラクリ作品の展示、販売も行いながら創作活動を行っている。
山崎 登(やまざき のぼる、1954年 - )元NHK解説委… 山崎 登(やまざき のぼる、1954年 - )元NHK解説委員。元アナウンサー・記者。自然災害・防災研究家。国士舘大学教授。 長野県大町市生まれ。1976年入局。初任地は盛岡だった。その後佐賀、長野でアナウンサーを歴任後、1988年に放送センターに異動し、報道局社会部・災害担当記者となり、地域防災のあり方や、大規模災害に現場を数多く取材。 1995年-1997年、NHK名古屋放送局記者・ニュースデスク。1998年に災害班デスクを歴任後、2000年より解説委員を長らく務めた。 現在、国士舘大学教授(防災・救急救助総合研究所 救急システム研究科 救急システム専攻) 息子はアートディレクター、グラフィックデザイナーの山崎晴太郎。
池田 英雄(いけだ ひでお、1954年または1955年 - … 池田 英雄(いけだ ひでお、1954年または1955年 - )は、日本の地方公務員。佐賀県教育長、同副知事、県信用保証協会会長を歴任。瑞宝中綬章。 神埼市出身。1979年 (昭和54年) 佐賀県庁入庁。秘書課長や危機管理・報道監を経て2014年 佐賀県教育委員会教育長、2015年 佐賀県副知事就任。2017年12月 佐賀空港への自衛隊輸送機オスプレイ配備計画に関連し、熊本県内でアメリカ軍機に体験搭乗した。2019年 (令和元年) 5月 副知事退任。同年9月 佐賀県信用保証協会会長。佐賀県職員の退職者でつくる一般社団法人「佐賀県楠風会」最後の会長を務めた。
新井豆爾(あらい まめじ、本名:春美、1954年 - )は祇… 新井豆爾(あらい まめじ、本名:春美、1954年 - )は祇園甲部の芸妓、京舞井上流名取。京都市下京区出身。 新井豆爾は京都の花街、島原(当時は六花街の1つで後に花街連合から離脱)の芸妓・小育の次女として生まれ、姉は芸妓・ひろ次であった。幼少の頃、舞妓に憧れるが島原には舞妓が無く、母の知人の紹介により祇園甲部の置屋に奉公。そのため三味線、鳴り物以外、島原の流派であった花柳流は習得しなかった。だが唯一、祇園に行く前、「六花街合同舞踊」で姉と共に花柳流で踊りを披露したことがあった。 春美は祇園で井上流、礼儀作法を学び、1969年、舞妓として店出し(披露)し「豆爾」と名乗る。21歳で襟替えし、各著名人のお座敷を務め、32歳の頃、出産を機にお座敷を退き、当時の師匠、四世井上八千代の許しを得て芸妓として都をどり、温習会等の舞踊公演に出演。
数野 篤人(かずの あつひと、1954年 - )は、山梨県甲… 数野 篤人(かずの あつひと、1954年 - )は、山梨県甲府市出身の元サッカー選手。山梨県立機山高等学校、日本体育大学卒業。 山梨県立機山工業高等学校を経て、1973年に日本体育大学に進学。日体大時代は2年次からレギュラーとなり、1974年度の春季対抗戦(関東大学サッカーリーグ戦一部)優勝、1975年度の全日本大学選手権大会優勝に貢献した。卒業後は郷里の山梨県で教師を務める傍ら日本サッカーリーグ(JSL)2部の甲府サッカークラブ(日本プロサッカーリーグ(Jリーグ)加盟のヴァンフォーレ甲府の前身)に在籍。1978年シーズンにJSL2部で12得点を挙げ得点王に輝き、リーグ戦3位の原動力となった。 教職としては山梨県北杜市立小淵沢中学校校長、甲府市立甲運小学校校長、甲府市立上条中学校校長などを歴任後2014年3月に退職[要出典]。
佐藤 修悦(さとう しゅうえつ、1954年 - )は、三和警… 佐藤 修悦(さとう しゅうえつ、1954年 - )は、三和警備保障株式会社に勤務する警備員。岩手県花巻市出身。同社が得意とする鉄道警備業務のため考案したガムテープによるレタリング「修悦体(しゅうえつたい)」で知られる。 銀行員を3年間勤めたのち、喫茶室ルノアールでアルバイトを始め、22年間でブロック部長にまで昇進するも退職。いくつかの職を経て、1999年より三和警備保障にて警備員のアルバイトを始める。 2004年、JR東日本新宿駅東口で行われていた部分改築工事の際、鉄板の壁がいたるところに立っていたため迷路のような状況となっていた駅に誘導係として配置された佐藤が「声を使っての実際の誘導だけでは対応できない」として、ガムテープを使った案内表示を作り始めたのが「修悦体」の始まりである。
永田 満徳(ながた みつのり、1954年 - )は、日本の俳… 永田 満徳(ながた みつのり、1954年 - )は、日本の俳人。 熊本県人吉市出身。1987年、熊本大学教授・首藤基澄の勧めで俳句結社「未来図」年入会し、中村草田男門下の鍵和田秞子主宰に師事。同年、「火神」創刊に参加、首藤基澄主宰に師事。後に編集長を経て三代目主宰に就任。「火神」は写生を基本とし、自然・人生・社会の実相にアプローチする俳句を目指し、熊本という地方から日本の文化活動の発展に寄与する視点で発行されている。1995年、「未来図」新人賞を受賞し、翌年同人となる。2019年、「未来図」終刊、「秋麗」入会、同年同人。2003年より俳人協会熊本県支部事務局次長(2010年まで)、2015年、俳人協会熊本支部事務局長( - 2018まで)を務め、2019年に県支部長となり、熊本県俳句大会の運営や結社間の交流吟行句会の開催など、支部活動の活性化に尽力。
野波 浩(のなみ ひろし、1954年 - )は、日本の写真家… 野波 浩(のなみ ひろし、1954年 - )は、日本の写真家。島根県生まれ。 LUNA SEA写真集「ZOE」、そして江角マキコ写真集「E-MODE」、劇団☆新感線写真集「婆娑羅」を発表。 その作品の数々はCG、コンピュータ処理ではなくすべて手作業であり、圧倒的で独特な[大言壮語的]世界観を放ってきた。 デジタル写真に移行してからもそのスタイルを変えず、多彩な写真技法を用いての作品制作を続けている。 ナイトメア、陰陽座、劇団☆新感線、宝塚歌劇団など音楽、舞台など多数の宣伝写真を手掛け活動中。また近年では、ライフワークとして撮り続けてきたスナップ写真も発表の場を増やしている。 この項目は、美術家・芸術家に関連した書きかけの項目です。
泉田 英雄(いずみだ ひでお、1954年 - )は、日本の建… 泉田 英雄(いずみだ ひでお、1954年 - )は、日本の建築史家。旧姓は小高。専門はアジア近代建築史、建築物保存。工学博士。 宮城県小牛田町生まれ。工業高等学校卒業後、4年間の建設会社勤務を経て青年海外協力隊に参加し、2年間にわたりマレーシアの工業高校にて建築の構法と施工法を教鞭。帰国後は日本大学理工学部建築学科に進学し、同校卒業後は筑波大学大学院芸術研究科に進学する。同大学院修了後は東京大学生産技術研究所藤森研究室研究生となる。1988年から筑波大学芸術専門学群講師。1999年には工学博士となり、1997年から豊橋技術科学大学建設工学系に移る(准教授)。 翻訳書にフィリップ・ギブス『マレー人の住まい』(学芸出版社)、イーマン・エドワース『住まいから見たシンガポール社会史』(日本経済新聞社)など多数。
喜久川 政信(きくかわ まさのぶ、1954年 - )は、カナ… 喜久川 政信(きくかわ まさのぶ、1954年 - )は、カナダ在住の空手家。沖縄県宮古島宮古島市(旧・平良市)出身。沖縄小林流空手振興会・カナダ総本部の会長である。沖縄空手道小林流尚倫会の垣花恵春会長(国際沖縄小林流空手道連盟会長)より2022年一月23日に範士十段を允許される。 幼少の頃より柔道、剣道に親しみ、知花朝信の初期の弟子で池原師、仲里周五郎系統の儀武師、喜屋武系統の当間師より空手の手ほどきを受ける。 1985年に沖縄空手道小林流小林館協会を退会し、東辰徳範士十段(1952-2012)と共に沖縄小林流空手振興会を設立し、会長に就任する。1990年にアメリカ海兵隊普天間基地の武道指導員。
椛島 良介(かばしま りょうすけ、1954年〈昭和29年〉‐… 椛島 良介(かばしま りょうすけ、1954年〈昭和29年〉‐ )は、漫画雑誌の編集者。北海道室蘭市出身。 『週刊少年ジャンプ』(集英社)にて荒木飛呂彦の連載を担当し、「ジョジョの奇妙な冒険」の誕生のきっかけとなった人物として知られる。 祖父は挿絵画家、漫画家の樺島勝一。叔父は赤塚不二夫等を担当した編集者の樺島基弘。 1954年、製鉄会社に勤務していた父親の転勤先である北海道の室蘭市に生まれ、幼少時代に東京都へ移り住む。子供時代から漫画に夢中となり、横山光輝やちばてつやの漫画の他、少年キング、少年サンデー等の熱心な読者となる。 大学時代に創刊された月刊プレイボーイに感銘を受け、卒業後の1979年に集英社に入社。
亀谷 彰一(かめや しょういち、1954年 - )は、日本の… 亀谷 彰一(かめや しょういち、1954年 - )は、日本の音楽家、1981年プラハの春国際音楽コンクール・トロンボーン部門にて日本人として初の本選進出を果たしディプロマ賞を受賞[要出典]。 タートル・ボーン代表、日本トロンボーン協会理事、名古屋トロンボーン協会顧問。 1954年、 北海道小樽市に生まれる。14歳よりトロンボーンを始め、17歳よりトロンボーンを真弓基教(元札幌交響楽団首席トロンボーン奏者)に師事。北海道札幌東高等学校を経て、 1976年、東京芸術大学音楽学部器楽科トロンボーン専攻へ入学し 1980年に卒業[要出典]。 1984年、フランス、クロード ドビュッシィー音楽院へ入学。ギイ・デスタンクに師事。
青沼 国夫(あおぬま くにお、1954年 - )は、日本の日… 青沼 国夫(あおぬま くにお、1954年 - )は、日本の日本語教育家。 1954年に岩手県胆沢郡前沢町(現・奥州市)に生まれる。1973年岩手県立水沢高等学校、1974年立教大学卒業。 日本語教育専門家として、タイ、フランス、サウジアラビアの大学や日系企業などに勤務。1999年チエンマイ大学、2002年キングサウド大学、2007年よりケラニア大学勤務。専門は第二言語習得理論。
所澤潤(しょざわ じゅん、1954年 -2025 )は、日本… 所澤潤(しょざわ じゅん、1954年 -2025 )は、日本の教育学者。群馬大学名誉教授。専門は、教育方法学と日本教育史。 旧制高校の起源が自然発生的なものではなく、ダビッド・モルレーの建言に基く開成学校予科の改組にあったことを解明したこと、および日本統治下で学校教育を受けた台湾人の日本語によるオーラル・ヒストリーを初めて採集公開したことで知られる。 近年は、台湾人のオーラル・ヒストリー、明治大正期の理科教育史、外国籍児童生徒の教育に取り組んでいるほか、記録資料学、NIEなどにも取り組んでいる。台湾人のオーラル・ヒストリー採集は他に類を見ない研究として知られている。
水口 章(みずぐち あきら、1954年(昭和29年) - )… 水口 章(みずぐち あきら、1954年(昭和29年) - )は、中東研究者、敬愛大学教授。専門は中東と国際関係、対外政策論、国際社会学、国際協力学。BS朝日番組審議会委員。 1976年(昭和51年)、日本大学文理学部史学科卒業。法政大学大学院公共政策研究科博士後期課程満期退学。駿台高等予備校講師を経て、1978年(昭和53年)に財団法人中東調査会の職員となりチーフ研究コーディネーター・上席研究員・『中東研究』編集長などを歴任。この間、2001年(平成13年)にBS朝日番組審議委員( - 現在)、2002年(平成14年)に大学評価・学位授与機構「国際的な連携及び交流活動に関する専門委員会」委員( - 2004年(平成16年))に就任した。
安村克己(やすむら かつみ、1954年- )は、日本の観光学… 安村克己(やすむら かつみ、1954年- )は、日本の観光学者。せとうち観光専門職短期大学学長。 神奈川県出身。県立川和高校を経て、立教大学社会学部産業関係学科卒業、1987年同大学院社会学研究科応用社会学専攻博士後期課程退学。1983年立教大学社会学部助手、1990年産能短期大学能率科助教授、1993年北海学園北見短期大学助教授、94年北海学園北見大学商学部教授、2001年鈴鹿国際大学国際学部観光学科教授。2001年「ツーリズムとポストモダン社会に関する社会学的考察」で立教大学博士(観光学)。2004年奈良県立大学地域創造学部教授、2014年追手門学院大学教授。2016年4月から2021年3月追手門学院大学地域創造学部学部長。
小田 伸午(おだ しんご、1954年 - )は、日本の心理学… 小田 伸午(おだ しんご、1954年 - )は、日本の心理学者、関西大学人間健康学部教授。専攻は、共生人間学、認知・行動科学、身体機能論。研究分野は、運動生理学、バイオメカニクス、行動学。 数年前より[いつ?]、世界のトップアスリートの動きの研究により、「ターンオーバー」「二軸動作」「常歩(なみあし)」を提唱し、著作活動、講習活動を通じて、その普及に努めている。社交ダンスにおける二軸動作についても、堀口史朗との出会いによって、現在研究が進んでいる。また、幼児向けの運動プログラムである遊健運動プログラムの監修を行っている。 またラグビー指導者として、1983年から1990年にかけて日本ラグビー協会強化委員、日本代表チームトレーニングコーチを務めた。
榎並 正樹(えなみ まさき、1954年 - )は、日本の地質… 榎並 正樹(えなみ まさき、1954年 - )は、日本の地質学者。名古屋大学名誉教授。専門は岩石学・地質学・地球科学で、高圧・超高圧変成岩の研究を行う。学位は、理学博士(名古屋大学・1983年)。日本鉱物科学会会長。
竹内 章郎(たけうち あきろう、1954年 - )は、日本の… 竹内 章郎(たけうち あきろう、1954年 - )は、日本の哲学者、岐阜大学名誉教授。専門は社会哲学、生命倫理、障害者論。日本哲学会理事。 神戸市生まれ。岐阜県立岐阜高等学校卒業、1978年一橋大学社会学部卒業。1989年同大学院社会学研究科博士課程単位修得退学。指導教官は岩崎允胤。1989年岐阜大学教養部講師、1992年助教授、1996年同地域科学部教授、社会福祉法人いぶき福祉会理事。2012年唯物論研究協会委員長。2015年日本哲学会評議員、2017年同理事兼評議員。2020年定年退職。
木下 直之(きのした なおゆき、1954年(昭和29年) -… 木下 直之(きのした なおゆき、1954年(昭和29年) - )は、日本の美術史研究者。東京大学名誉教授(文化資源学)、静岡県立美術館館長、神奈川大学国際日本学部歴史民俗学科教授。専門は、博物館学、美術史、写真史、見世物研究。
青山 秀明(あおやま ひであき、1954年 - )は、日本の… 青山 秀明(あおやま ひであき、1954年 - )は、日本の理論物理学者。京都大学名誉教授。 経済産業研究所 (RIETI) ファカルティフェロー https://www.rieti.go.jp/users/aoyama-hideaki/ 理研iTHEMS 客員主管研究員 https://ithems.riken.jp/ja/members/hideaki-aoyama 国際学会 Big Data for Economy, Science and Technology (B.E.S.T.) Society 会長 https://best-society.org/。 2019年に京都大学を65歳で定年退職したのち,京都大学総合生存学館,理研等の支持を得て,順調に研究を続けている。
東 多江子(ひがし たえこ 1954年 - )は、日本の脚本… 東 多江子(ひがし たえこ 1954年 - )は、日本の脚本家、小説家。 福岡県北九州市出身。同志社大学文学部(社会学科新聞学専攻)卒業。フリーライターを経て、1982年、NHK大阪放送局主催のラジオドラマ懸賞募集にて最優秀賞を受賞。脚本家になった。1985年新人ライターのグループ、ライターズ・カンパニーを設立。 文化庁の平成23年度(第62回)芸術選奨委員(放送部門)も務めた。
平山 晃康(ひらやま てるやす、1954年 - )は、日本の… 平山 晃康(ひらやま てるやす、1954年 - )は、日本の医学者、医師。専門は、脳神経外科学、脳卒中医学。学位は、医学博士。 日本大学松戸歯学部臨床教授、元日本大学医学部脳神経外科学系神経外科学分野教授(研究所)、元日本大学病院脳神経外科科長、元日本大学松戸歯学部付属病院副病院長。 兵庫県龍野市(現・たつの市)出身。龍野市立龍野小学校、淳心学院中学校・高等学校、日本大学医学部卒業。日本大学大学院医学研究科修了。日本大学医学部脳神経外科学系神経外科学分野教授。専門は、機能的脳神経外科・脳血管疾患・神経外傷・臨床神経生理。 機能的脳外科疾患(不随意運動、難治性疼痛など)の領域においては、故坪川孝志教授(前日本大学名誉教授)、片山容一教授(日本大学名誉教授)らとともに、不随意運動や難治性疼痛に対する脳深部刺激療法や難治性疼痛(とくに視床痛などの脳卒中後の痛み)に対する運動領野刺激療法の開発、臨床応用に携わった。
大芝 亮(おおしば りょう、1954年 - )は、日本の国際… 大芝 亮(おおしば りょう、1954年 - )は、日本の国際政治学者。専門は国際機構論。一橋大学名誉教授、広島市立大学広島平和研究所所長。イェール大学政治学博士(Ph.D.)。 国立大学法人一橋大学理事・副学長、青山学院大学国際交流センター所長、日本国際政治学会理事長を歴任。 計量分析の手法を用いた国際機構の分析などで知られている。 鹿児島大学准教授の大芝周子は子。 2004年一橋大における21世紀COEプログラム「ヨーロッパの革新的研究拠点」拠点副代表に就任。 指導学生に秋山信将(一橋大学教授)、金ゼンマ(明治大学教授等)。 この間、国立民族学博物館地域研客員教授、財団法人地球産業文化研究所研究委員会委員長等を務める他、早稲田大学政治経済学部、多摩大学、島根県立大学等でも教鞭をとる。
部谷 京子(へや きょうこ、1954年 - )は、日本の映画… 部谷 京子(へや きょうこ、1954年 - )は、日本の映画美術監督。広島県広島市南区出身。 広島市立白島小学校、広島女学院中学校・高等学校卒業後に上京し、武蔵野美術大学造形学部卒業。在学中から円谷プロダクション制作の特撮テレビドラマ『恐竜戦隊コセイドン』に美術アルバイトとして参加。以後、フリーの美術スタッフとして活動する。1984年、武田一成監督『私の中の娼婦』(にっかつ)で初めて美術スタッフとしてクレジットに名前が載る。 1992年、周防正行監督『シコふんじゃった。』で、美術監督としてデビューし、1996年、同監督の『Shall we ダンス?』、2006年、同監督の『それでもボクはやってない』の美術に対し、第20回日本アカデミー賞最優秀美術賞を受賞。
渡部 昭男(わたなべ あきお、1954年 - )は、日本の特… 渡部 昭男(わたなべ あきお、1954年 - )は、日本の特殊教育・教育行政学者。鳥取大学名誉教授。神戸大学大学院人間発達環境学研究科名誉特任教授、大阪信愛学院大学教育学部教授。専門は教育行政学、特別ニーズ教育学、地域教育、発達保障。 愛媛県生まれ。1977年、京都大学教育学部教育社会学(教育行政学専攻)卒業。1982年、同大学院教育学研究科博士課程満期退学、鳥取大学教育学部講師、1987年、助教授、1996年、教授。1999年、教育地域科学部教授。2004年、地域学部教授、人間発達研究所副所長、鳥取大学附属養護学校校長。2011年、名誉教授、神戸大学大学院人間発達環境学研究科教授。2020年、神戸大学大学院人間発達環境学研究科名誉特任教授、大阪成蹊大学教育学部特別招聘教授。
根本 祐二(ねもと ゆうじ、1954年 - )は、日本の経済… 根本 祐二(ねもと ゆうじ、1954年 - )は、日本の経済学者。東洋大学名誉教授兼国際PPP研究所リサーチ・パートナー。公共政策、インフラ、都市開発、地域開発等が専門。九州フィナンシャルグループ社外取締役。 鹿児島県鹿児島市出身。鹿児島県立鹿児島中央高等学校卒業後、1974年に東京大学経済学部に入学、卒業後の1978年に日本開発銀行(現:日本政策投資銀行)に入行。鹿児島事務所、大阪支店、プロジェクト・ファイナンス部、経済企画庁調査員、設備投資研究所主任研究員、ブルッキングス研究所(米国)客員研究員、首都圏企画室長、地域企画部長などを経て、2006年4月東洋大学大学院経済学研究科公民連携専攻教授に就任。
高橋智(たかはし さとる、1954年〈昭和29年〉 - )は… 高橋智(たかはし さとる、1954年〈昭和29年〉 - )は、日本の教育学者。教育学博士(東京都立大学)。特別支援教育・特別ニーズ教育の第一人者。東京学芸大学教授。北海道岩見沢市出身。
後藤 和子(ごとう かずこ、1954年 - )は、日本の経済… 後藤 和子(ごとう かずこ、1954年 - )は、日本の経済学者。摂南大学経済学部教授。文化経済学・文化政策・財政学が専門。博士(経済学)(京都大学、1998年)。
小林 良彰(こばやし よしあき、1954年 - )は、日本の… 小林 良彰(こばやし よしあき、1954年 - )は、日本の政治学者。慶應義塾大学法学部教授。専門は政治学・政治過程論・政治理論。第22期日本学術会議副会長。
浅井 隆(あさい たかし、1954年― )は、日本の経済評論… 浅井 隆(あさい たかし、1954年― )は、日本の経済評論家、株式会社第二海援隊社長。 東京都生まれ。早稲田大学政治経済学部在学中に環境問題研究会などを主宰する一方学習塾を経営。海外放浪の旅から帰国後、大学を中退し毎日新聞社に入社。1994年退社。96年情報商社「第二海援隊」を設立、2005年日本の改革・再生をするための会社と謳う「再生日本21」を設立。経済書を中心とした著書を執筆している。
森永 公紀(もりなが こうき、1954年(昭和29年) - … 森永 公紀(もりなが こうき、1954年(昭和29年) - )は、日本放送協会(NHK)専務理事技師長 技術統括/情報システム・セキュリティ統括。
小林 弘祐(こばやし ひろすけ、1954年(昭和29年) -… 小林 弘祐(こばやし ひろすけ、1954年(昭和29年) - )は、日本の医学者(医学博士)、内科医。学校法人北里研究所理事長。一般社団法人日本呼吸器学会理事、内科系学会社会保険連合副理事長。
吉野 晃(よしの あきら、1954年 - )は、日本の文化人… 吉野 晃(よしの あきら、1954年 - )は、日本の文化人類学者である。東京学芸大学教育学部教授。東京都出身。
藤田 尚志(ふじた たかし、1954年(昭和29年) - )… 藤田 尚志(ふじた たかし、1954年(昭和29年) - )は、日本の免疫学者、京都大学ウイルス研究所教授。理学博士(早稲田大学)。
小泉 義之(こいずみ よしゆき、1954年 - )は、日本の… 小泉 義之(こいずみ よしゆき、1954年 - )は、日本の哲学者、倫理学者。 主に近世哲学から現代哲学(大陸哲学・フランス現代哲学)までが研究対象。倫理学、特に生命倫理学に関する研究の他、文化研究においても有名。哲学修士(東京大学)。立命館大学名誉教授。 哲学及び倫理学を専攻。現代的生命論を探求し、同時にこれまでの哲学史、古代ギリシア哲学、中世神学、近世哲学、現代思想などに対し批判的歴史的研究を行う。生命観と自然観の再検討を行う研究者である。現代の生命科学及び技術の進展に対応する生命論を目指している。 特に初期はルネ・デカルトの研究者として活躍した。デカルト研究の著書が多数あり。のち、ジル・ドゥルーズの代表的研究者としても広く知られるようになる。
稲辺 保(いなべ たもつ、1954年 - 2018年10月1… 稲辺 保(いなべ たもつ、1954年 - 2018年10月14日)は、日本の物理化学者。専門は分子結晶。北海道大学名誉教授。理学博士。 1954年に札幌市で生まれた。出身高校は北海道札幌旭丘高等学校。1976年に北海道大学理学部を卒業、1981年に北海道大学大学院理学研究科博士課程を修了した。理学博士号取得後、1984年までノースウェスタン大学のトビン・マークスのもとで博士研究員として研究に従事した。1984年から1992年まで分子科学研究所の丸山有成のもとで助手として働いた。1992年に北海道大学理学部助教授、1993年に同大学教授、2017年に同大学名誉教授となった。2018年10月14日に亡くなった。
長谷川 公一(はせがわ こういち、1954年 - )は、日本… 長谷川 公一(はせがわ こういち、1954年 - )は、日本の社会学者。環境社会学・社会運動論の研究で知られる。学位は、博士(社会学)(東京大学・論文博士・2004年)。盛岡大学および盛岡大学短期大学部学長。東北大学名誉教授。尚絅学院大学名誉教授。元尚絅学院大学特任教授。 山形県上山市生まれ。山形県最上町、同県尾花沢市で少年時代を過ごす。山形県立山形東高等学校を経て、1977年東京大学文学部卒業。1983年、東京大学大学院社会学研究科博士課程社会学専攻単位取得退学。2004年東京大学より博士(社会学)の学位を取得。 東北大学教員としての最終講義をもとに、2021年、個人史と研究史と社会史を統合的に記述した「パーソナルな物語」としての『環境社会学入門――持続可能な未来をつくる』を刊行した。 1983年東京大学文学部助手。
羽鳥 光彦(はとり みつひこ、1954年 - )は、日本の国… 羽鳥 光彦(はとり みつひこ、1954年 - )は、日本の国土交通技官。第23代気象庁長官。 群馬県出身。1972年群馬県立高崎高校卒業。1982年3月25日、東北大学大学院理学研究科博士課程修了、論文「風波の発達における非線形過程の実験的研究」で東北大学理学博士。同年気象庁入庁、舞鶴海洋気象台配属。2000年大阪管区気象台技術部長。観測部管理課長、総務部企画課長等を経て、2007年福岡管区気象台長、2009年4月予報部長、2011年1月18日第23代気象庁長官に就任。2014年3月末で退官した。同年一般財団法人気象業務支援センター理事長。2024年、瑞宝重光章受章。
諏訪元(すわ げん、1954年 - )は、日本の人類学者。東… 諏訪元(すわ げん、1954年 - )は、日本の人類学者。東京大学総合研究博物館教授。2017年から2020年まで同館長。2020年から同館特任教授。 1992年に、当時としては最も古い化石人類となったアルディピテクス・ラミダスを発見した。そして、それがきっかけとなって発見されたアルディ(現存最古の猿人の全身骨格)の分析は『サイエンス』の2009年ブレイクスルー・オブ・ザ・イヤー(英語版)に選出されたが、総勢47人の研究者が名を連ねたその研究においても、中心的な役割を果たした一人である。 そうした諸研究が評価され、2010年に朝日賞、2012年に日本進化学会賞、2018年に日本学士院エジンバラ公賞を受賞した。