水本 豊(みずもと ゆたか、1967年6月25日 - )は、… 水本 豊(みずもと ゆたか、1967年6月25日 - )は、日本の実業家。ミヤギテレビサービス代表取締役社長で、元宮城テレビ放送アナウンサー。 青森県八戸市出身。青森県立八戸高等学校(シンガーソングライターの坂本サトル、元ABAアナウンサーの松元美穂とは同期生)、立教大学卒業後、1991年4月にミヤギテレビ入社。 1994年から『ズームイン!!朝!』の四代目宮城担当キャスターを務め、『ズームイン!!SUPER』でも宮城担当キャスターを担当。合計10年『ズームイン』のキャスターを担当したが、2004年6月に柳瀬洋平にバトンタッチ。以降は『ズームイン!!SUPER』『OH!バンデス』のディレクターを務めていたが、『バンデス』ではピンチヒッターとして中継リポーターを担当することもあった。
坂本 政謙(さかもと まさのり、1964年 - )は、日本の… 坂本 政謙(さかもと まさのり、1964年 - )は、日本の実業家、株式会社岩波書店代表取締役社長。 1964年、青森県八戸市生まれ。青森県立八戸高等学校、立教大学法学部法学科卒業。大学時代は高畠通敏に師事。コスモ石油株式会社勤務を経て、1990年に岩波書店に入社。営業部で書店営業を担当したのち編集部へ異動、学術書の部門で『丸山眞男集』等の実務を担う。その後、『シリーズ 思考のフロンティア』や、原研哉、原田宗典等の著書を企画・編集。1999年に佐藤正午に小説を依頼し、佐藤のエッセイ集や短編集を編みながら、時が熟すのを待つ。2017年、担当した佐藤正午の『月の満ち欠け』が第157回直木賞を受賞。贈賞式では欠席した佐藤の代わりに受賞の言葉を代読した。
田中 義剛(たなか よしたけ、1958年〈昭和33年〉3月1… 田中 義剛(たなか よしたけ、1958年〈昭和33年〉3月13日 - )は、日本のタレント、シンガーソングライター、酪農家、実業家である。株式会社花畑牧場代表取締役。所属事務所はアップフロントクリエイト(2013年10月1日より所属。9月30日まではアップフロントプロモーションに所属していた。花畑牧場はアップフロントグループの子会社)。 青森県八戸市出身。青森県立八戸北高等学校・酪農学園大学酪農学部卒業。理科の教員免許を持っており、母校の酪農学園大学では特命教授を務めている。身長184cm。 サラリーマン家庭に育つ。 16歳の頃、漁船のコックをしていた友人がオホーツク海で遭難死。襟裳岬まで哀悼の旅に出て、その帰路、門別の牧場で馬の出産を目にし、牧場を開くことを夢に抱き、青森の高校を卒業後北海道の酪農学園大学へ進学。
長谷部 剛(はせべ つよし、1957年(昭和32年)8月22… 長谷部 剛(はせべ つよし、1957年(昭和32年)8月22日 - )は、日本のジャーナリスト、実業家。日本経済新聞社代表取締役会長。 青森県八戸市出身。青森県立八戸高等学校を経て、1980年に早稲田大学政治経済学部卒業後、日本経済新聞社入社。大阪編集局社会部、名古屋編集部、東京編集局経済解説部、経済部に記者として勤務。その後、秘書室長、東京編集局経済部長、経営企画室長等を歴任。 2012年常務、2015年専務、2020年副社長を経て、2021年3月に社長に就任。グローバルとデジタルを両輪とする事業戦略を進め、日経電子版の有料会員数を伸ばし、2026年3月代表権のある会長に退く。
中村 隆司(なかむら りゅうじ、1945年1月25日 - 2… 中村 隆司(なかむら りゅうじ、1945年1月25日 - 2024年7月5日)は、日本の実業家。日清製粉代表取締役社長や、オリエンタル酵母工業代表取締役社長、製粉協会会長などを務めた。 青森県八戸市出身。青森県立八戸高等学校を経て、1967年東北大学経済学部卒業、日清製粉入社。製粉業務部長を経て、1995年取締役製粉業務部長に昇格。1996年から1998年まで製粉開発部長を兼務した。2000年常務取締役物流部長。2001年に日清製粉グループ本社が設立されると同社常務取締役及び日清製粉専務取締役に就任。2004年から日清製粉代表取締役社長を務め、2006年から2007年までは製粉協会会長を兼務した。
藤井 達二(ふじい たつじ、1891年(明治24年)10月2… 藤井 達二(ふじい たつじ、1891年(明治24年)10月24日 - 1968年(昭和43年)8月9日)は、昭和時代の政治家、実業家。衆議院議員(1期)。 青森県三戸郡八戸町(現八戸市)に生まれる。1910年(明治43年)県水産試験場付属八戸講習所卒業。1936年(昭和11年)2月の第19回衆議院議員総選挙に青森県第1区から立憲政友会所属で出馬し当選。衆議院議員を1期務めた。 戦後、1949年(昭和24年)1月の第24回衆議院議員総選挙に立候補したが辞退し、1956年(昭和31年)7月の第4回参議院議員通常選挙にも全国区から出馬したが落選した。自由民主党県連合顧問、同副会長を歴任した。ほか、財界では身延木材専務取締役、那須土地取締役、大和木材、青森県農林商事各社長、日本海外興業会長などを務めた。