岩渕 克郎(いわぶち かつお、1919年〈大正8年〉2月 -… 岩渕 克郎(いわぶち かつお、1919年〈大正8年〉2月 - 2001年〈平成13年〉4月28日)は、岩手県東磐井郡猿沢村(現・一関市)出身の教育者。満州国にあった建国大学を卒業。在学中は学内の緑化を推進した。1946年(昭和21年)8月農業に就くかたわら「鶏鳴塾」を開く。1948年(昭和23年)8月、「鶏鳴塾」を閉じ、国家公務員(法務官)に就職。退職後、白河市で公証人を務める。晩年に福島県白河市の「(財)立教志塾」の初代塾頭に就任。 旧制中学校を2年で中退した後、師範学校を目指したが、二度受験に失敗したため水沢農学校(現・岩手県立水沢農業高等学校)に進学。1938年(昭和13年)3月に卒業後、同年5月満州国立建国大学政治学科に第一期生として入学した。
菊池 知勇(きくち ちゆう・ともお、1889年〈明治22年〉… 菊池 知勇(きくち ちゆう・ともお、1889年〈明治22年〉4月7日 - 1972年〈昭和47年〉5月8日)は、日本の教育者、歌人。 岩手県東磐井郡渋民村(現・一関市大東町曾慶)出身。奥玉高等小学校に入学したのち下折壁高等小学校を卒業。岩手師範学校(現・岩手大学教育学部)卒業。上京し、慶応幼稚舎の教員となる。1910年若山牧水の『創作』の創刊に参加、1926年初めての綴方専門誌『綴方教育』を創刊。1927年口語短歌誌『ぬはり』を創刊した。幼稚舎での教え子に詩人の薩摩忠がいる。 『ぬはり』は戦時下の用紙統制で1944年、『真樹』(1930年、山本康夫創刊)などと合併し『直毘』(なおび)として刊行された時期もあったが、その後も刊行が続いている。
粟野 健次郎(あわの けんじろう、元治元年5月18日(186… 粟野 健次郎(あわの けんじろう、元治元年5月18日(1864年6月21日) - 昭和11年(1936年)8月23日)は、日本の教育者。 陸奥国一関(現在の岩手県一関市)出身。新潟英語学校、新潟中学校を経て、文検に合格し1886年(明治19年)に中学師範各学校英語科教員免許状を受け、東京府中学校一等助教諭となった。翌年から第一高等中学校英語教員嘱託、1889年(明治22年)から第一高等学校教諭、1890年(明治23年)から第一高等学校教授を歴任した。東京時代の教え子に、夏目漱石、若槻禮次郎、本多光太郎らがいる。1892年(明治25年)、仙台の第二高等学校教授に転じ、土井晩翠、作家高山樗牛らを教導。
佐藤 衡(さとう こう)は、明治時代から昭和時代前期の政治家… 佐藤 衡(さとう こう)は、明治時代から昭和時代前期の政治家・教育者・漢学者。岩手県東磐井郡長坂村長。号は猊巌(猊嵒とも表記)。猊鼻渓の観光開発と景観保存に尽力した。 幼い頃より父から漢学の手ほどきを受けており、漢詩を得意としていた。漢詩人としては森槐南が主宰する随鴎吟社に所属し、機関誌『随鴎集』に多くの作品を投稿した。猊鼻渓の宣伝活動に際しては自身で景色を詠み込んだ詩を賦してアピールに努めたほか、私費を投じて各地の詩友を招いた。 父:佐藤謙治(洞潭)弟:佐藤敬吉(東華) この項目は、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(プロジェクト:人物伝、Portal:人物伝)。