佐藤 光樹(さとう こうき、1967年〈昭和42年〉11月7… 佐藤 光樹(さとう こうき、1967年〈昭和42年〉11月7日 - )は、日本の政治家。宮城県塩竈市長(2期)。元宮城県議会議員(4期)。 宮城県塩竈市出身。父親は宮城県議会議員を務めた佐藤光輔。塩竈市立第三小学校入学、塩竈市立第三中学校、東北学院榴ケ岡高等学校、東北学院大学経済学部経済学科卒業。 1990年(平成2年)、父の佐藤光輔の秘書となる。1995年(平成7年)7月、市川一朗参議院議員の公設秘書となる。 1999年(平成11年)、宮城県議会議員選挙に塩竈選挙区(定数2)から無所属で立候補。同選挙では自民党現職が1位当選し、日本共産党公認の元市議が2位で当選。佐藤は次点で落選した。 2003年(平成15年)、再び無所属で立候補し初当選した。
中野 正志(なかの まさし、1948年2月29日 - )は、… 中野 正志(なかの まさし、1948年2月29日 - )は、日本の政治家。「自由民主党宮城県ふるさと振興支部」支部長。 宮城県議会議員(3期)、衆議院議員(3期)、参議院議員(1期)、国土交通大臣政務官(第2次小泉改造内閣・第3次小泉内閣)、経済産業副大臣(第1次安倍改造内閣・福田康夫内閣)、日本のこころ幹事長、同代表などを歴任。 宮城県塩竈市生まれ。父親は消防士であった。東北学院中学校・高等学校を経て、東北学院大学法学部卒業。中学校、高校時代には土木作業のアルバイトに励んだ。大学1年生時に学内の弁論大会で優勝した。 大学卒業後には、約15年間に渡って三塚博の秘書を務めた。1983年、宮城県議会議員に当選。
今野 東(こんの あずま、本名:今野 東吾(こんの とうご)… 今野 東(こんの あずま、本名:今野 東吾(こんの とうご)、1947年12月17日 - 2013年4月24日)は、日本の政治家。衆議院議員(2期)、参議院議員(1期)、復興副大臣兼内閣府副大臣(野田第3次改造内閣)などを歴任。位階は従四位。 宮城県塩竈市出身。宮城県農業高等学校、明治学院大学社会学部第二部社会学科を卒業。 東北放送の関連会社でアナウンス業務を務めた後、フリーアナウンサーに転向。東日本放送の『トーホク独立TV』や仙台放送の『CATCH』のキャスター等を務めた。1997年には「東方落語」を発足させ、家元として活動。 1992年6月、エスエル出版より小説『相澤村れんげ条例』を出版し、日本文芸大賞現代文学新人賞受賞。
菊地 健次郎(きくち けんじろう、1947年〈昭和22年〉1… 菊地 健次郎(きくち けんじろう、1947年〈昭和22年〉1月26日 - )は、日本の政治家。勲等は旭日中綬章。元宮城県多賀城市長(4期)、元宮城県議会議員(3期)、元多賀城市議会議員(2期)。 宮城県塩竈市出身。東北学院榴ケ岡高等学校、中央大学法学部卒業。不動産会社に勤務。多賀城市議会議員を2期務める。 1995年(平成7年)、宮城県議会議員選挙に無所属で立候補し初当選した。その後、自由民主党に所属した。2003年(平成15年)に3選。 2006年(平成18年)8月6日に行われた多賀城市長選挙に立候補。3新人を相手に戦い初当選を果たした。8月28日、市長就任。2018年(平成30年)に4選。 2020年(令和2年)8月28日に健康上の不安を理由に辞任を表明。
三升 正直(みます まさなお、1923年〈大正12年〉12月… 三升 正直(みます まさなお、1923年〈大正12年〉12月11日 - 2011年〈平成23年〉6月21日)は、日本の政治家。宮城県塩竈市長(3期)。 宮城県塩竈市出身。旧制図南中学(のち仙台図南高等学校を経て仙台図南萩陵高等学校、現在の仙台市立仙台大志高等学校)卒業。塩竈市役所に入り、議会事務局長、収入役、助役などを歴任した。 1991年(平成3年)の塩竈市長選挙に共産党の支持を得て立候補し、自民、社会、公明、民社の各党が推薦する内海勇三らを破って、初当選を果たした。 ※当日有権者数:-人 最終投票率:-%(前回比:-pts) 同年5月1日、第5代市長に就任した。 1999年(平成11年)の市長選は新人2人との争いになったが、これを破って3選を果たした。
丹野 実(實、たんの みのる、1910年(明治43年)2月1… 丹野 実(實、たんの みのる、1910年(明治43年)2月15日 - 1976年(昭和51年)7月2日)は、昭和期の漁業指導者、政治家。衆議院議員。 宮城県宮城郡塩竈町(現塩竈市)で、丹野富治郎の息子として生まれた 塩竃市漁業会長、宮城県水産評議員、同食糧品統制組合理事、同粉食協会常任理事、同社会事業協会顧問、同生活協同体連合会理事などを務めた。 政界では、塩竈市会議員、同参事会員を務めた。1946年(昭和21年)4月、第22回衆議院議員総選挙に宮城県全県区から無所属で出馬して当選し、衆議院議員に1期在任した。この間、国民協同党政調会水産部長などを務めた。 その後、全国海苔増殖協会副会長、宮城県漁業協同組合会長、同県信用漁業協同組合連合会長、全国漁業協同組合連合会理事、関東北漁協連会長、大洋缶詰社長、日本ポゾラン会長、新東北化学社長などに在任した。